レオーベンへの道 51:レオーベン条約
Road to Leoben 51
ヴァルヴァゾーネの戦い、グラディスカの戦い、タルヴィスの戦い
勢力 | 戦力 | 損害 |
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フランス共和国 | ヴァルヴァゾーネの戦い:推定17,000~20,000人 グラディスカの戦い:推定約10,000人 タルヴィスの戦い:推定約11,000人 |
ヴァルヴァゾーネの戦い:死傷者と捕虜の合計約500人 グラディスカの戦い:ほぼ無し タルヴィスの戦い:約1,200人 |
オーストリア | ヴァルヴァゾーネの戦い:推定約15,000人~18,000人 グラディスカの戦い:推定3,000~4,000人 タルヴィスの戦い:推定約8,000人 |
ヴァルヴァゾーネの戦い:死傷者と捕虜の合計約700人、大砲6門 グラディスカの戦い:死者約500人、負傷者 不明、捕虜2,513人、大砲8門 タルヴィスの戦い:1797年2月22日~23日にかけての一連の戦いの損害の合計約2,500人、大砲25門、荷車400台 |
レオーベン条約の締結
※「1797年4月18日、ボナパルト将軍がレオーベンで仮の和平条約を締結(Il generale Bonaparte conclude i preliminari di pace a Leoben il 18 aprile 1797)」 1,800年代 ギヨーム・ギヨン=ルティエール(Guillaume Guillon-Lethière)画。
1797年4月18日、レオーベンで遂にフランス共和国とオーストリア帝国の和平条約が締結された。
何日も協議を重ね、草案を検討し、締結に至ったのである。
その間、ボナパルトとしては前方には停戦中ではあるがオーストリア軍が布陣しており、後方ではテラ・フェルマの反乱軍及びヴェネツィア軍と対立し包囲されていたため細心の注意を払いながらのマネジメントだっただろうことは想像に難くない。
ただレオーベン条約は「仮」の条約であり、密約も同時に締結されていた。
レオーベン条約の内容
「和平に関する仮条約。
共和歴V年ジェルミナル(芽月)29日(17987年4月18日)、レオーベン近郊のエッゲンヴァルト城(Château d'Eggenwald)にて。
皇帝陛下、ハンガリー国王、ボヘミア国王などなど(肩書が多すぎて書ききれない)とフランス共和国の名において迅速かつ公正かつ確固たる和平によって戦争の悪を終わらせたいという同じ願いに動かされた行政長官は、以下の仮条項に同意した。
第1条 皇帝陛下および国王陛下とフランス共和国との間には、友好と理解がなければならない。
両勢力間の敵対行為は本日より停止する。
第2条 皇帝陛下および国王陛下とフランス共和国は、階級およびその他の作法に関して、現在の戦争前に皇帝陛下とフランス共和国の間で行われていたのと同じ儀礼を両者の間で維持するものとする。
第3条 皇帝陛下とフランス共和国は、両国国内の平穏に貢献するために全力を尽くすことを約束する。
第4条 両締約国は、できるだけ早く(現在のスイスにある)ベルン市(Berne)に全権代表を派遣し、そこで3か月以内、できればそれより早く、両大国間の最終的な和平を処理し締結する。
この会議には、各同盟国の全権が行われる招待に応じる場合、参加が認められることとする。
第5条 皇帝陛下は、神聖ローマ帝国とフランス共和国との間に平和が回復されることを心からお考えであり、フランス共和国行政長官も、前に記した平和を強固な基盤と公平性の上に確立したいという意向を皇帝陛下に表明し、これに同意する。本日より神聖ローマ帝国とフランス共和国の間の敵対行為が停止されることになった。
神聖ローマ帝国の統合に基づいて両大国間の最終的な和平を処理し、締結するために、それぞれの全権委員から構成される会議が開催されるものとする。
第6条 皇帝陛下および国王陛下は、オーストリア領ネーデルラントとして知られるベルギーの州に対するすべての権利を放棄し、フランス共和国の法律によって定められたフランスの国境を承認する。
この権利放棄は以下の条件に従って行われる。
1、割譲国の土壌に付随するすべての抵当債務はフランス共和国が負担すること。
2、国外退去を希望するベルギー諸州のすべての住民および(財産)所有者には動産および不動産を売却するために3年の期限が与えられ、最終的な平和条約の公布から3か月以内に退去を申告する必要がある。
3、フランス共和国は、最終的な和平の際に、皇帝陛下の都合に応じて皇帝陛下に公平な補償を提供すること。
第7条 フランス共和国は、ベルギー属州に属さないオーストリア家の世襲国家の所有するすべてを皇帝陛下に返還する。
第8条 フランス軍は、皇帝陛下による現在の仮条約の批准後、まずフランス軍が占領するオーストリアの州、すなわちシュタイアーマルク州、ケルンテン州、チロル州、カルニオーラ州、フリウーリ州から撤退する。
第9条 捕虜は仮条約の批准後、双方が指定する様々な地点にそれぞれ返還される。
我々署名者は、皇帝陛下及び国王陛下、そしてフランス共和国の全権に基づいて、現在の暫定的な和平条項を作成した。
これは、仮条約が批准され、正式な条約が交わされるまで秘匿される。
それ(正式な条約の締結)は可能であれば1ヵ月あるいはそれよりも早くウーディネ市で行なわれる。
1797年4月18日(フランス共和国建国V年ジェルミナル(芽月)29日) に、レオーベン近郊のエッゲンヴァルト宮殿にて締結。
現時点での署名:
ボナパルト
マルキ・デ・ガロ(ナポリ王国のガロ侯爵)
メルヴェルト伯爵、少将」
レオーベン密約の内容
「秘密の仮条約。
共和歴V年ジェルミナル(芽月)29日(17987年4月18日)、レオーベン近郊のエッゲンヴァルト城にて。
ハンガリーおよびボヘミアの国王である皇帝陛下とフランス共和国の間で、以下の条項が合意された。
第1条 締約国間で合意された和平仮条約第7条の規定にかかわらず、皇帝陛下は、本日付でイタリアにおけるオリオ右岸とポー河右岸を越える領土の一部を放棄すること。
ただし、この割譲と仮条約第6条で行われた割譲に対して、皇帝陛下は、オリオ川、ポー河、アドリア海とその海の間に含まれるヴェネツィア本土の一部ならびにヴェネツィア共和国のダルマチアとイストリアによって補償されることを条件とする。
そしてこの(ヴェネツィア共和国領の)割譲により、仮条約第6条によりフランス共和国が皇帝陛下に対して契約した約束が履行される。
第2条 フランス共和国は、ロマーニャ、ボローニャ、フェラーラの3公使館に対する権利を放棄するが、カステルフランコ要塞は留保する。
留保する地区の半径はカステルフランコ要塞の城壁からモデナ州の境界までの距離に等しく、大砲の射程より小さくなることはあり得ない。
ヴェネツィア共和国のアッダ川、ポー河、オリオ川、ヴァルテリーヌ(Valteline)とチロルの間に含まれる部分はフランス共和国に属する。
第3条 両締約国は、ヴェネツィア本土で取得した上記の州および国々を相互に保証する。
第4条 フランス共和国から譲渡されたロマーニャ、フェラーラ、ボローニャの3つの公使館は、前3条に記載された国家の一部に対する補償としてヴェネツィア共和国に付与される。
第5条 皇帝陛下とフランス共和国行政総局は、前条の速やかな執行を妨げる可能性のあるすべての障害を排除するために協議する。
そして、この目的のために、ヴェネツィア共和国との間で行われるすべての適切な取り決めを担当する委員または全権委員を任命する。
第6条 現在フランス軍が占領しているパルマノヴァ要塞、マントヴァ要塞、ペスキエーラ要塞、レニャーゴ要塞、ヴェローナ城塞、オソッポ要塞、ブレシア城塞は、最終的な和平条約の批准後、あるいは相互の合意により手配できる場合にはそれより早く、皇帝陛下に引き渡されるものとする。
第7条 前記要塞は現在の状態で返還され、大砲に関してはヴェネツィアの要塞は占領時に発見された数が返還され、マントヴァ要塞には攻城砲122門が返還される。
第8条 両締約国は、秘密の仮条約の第1条で、皇帝および国王陛下によってイタリアの州の一部が譲渡されたことに同意する。
そして第2条によりフランス共和国から取得したヴェネツィア諸国の一部は、今後独立共和国を形成することになる。
第9条 皇帝陛下は、モデナ公国、レッジョ公国、マッサ(Massa)公国、カラーラ(Carrara)公国に関して共和国が行った取り決めには反対しない。
ただし、フランス共和国が皇帝陛下と協力して、神聖ローマ帝国全体の平和のために、モデナ公とその正当な相続人に有利な補償を得ることが条件となる。
第10条 前条に基づいて割譲されたそれぞれの国は、その特権を保持し、土地に抵当に入れられた債務は領土に従い、引き続きその所有者の責任となる。
第11条 上記諸国からの退去を希望するすべての住民は退去することができ、占有後 3 か月以内に申告しなければならない。
そして彼らには動産および不動産を売却するための3年間の期限が与えられる。
我々署名者は、皇帝陛下とフランス共和国の全権に基づいて、本秘密条約に署名した。この秘密条約は、仮条約に一字一句挿入されたのと同じ効力を有し、同時に批准され、割譲されることになる。
1797年4月18日(フランス共和国建国V年ジェルミナル(芽月)29日) に、レオーベン近郊のエッゲンヴァルト宮殿にて締結。
現時点での署名:
マルキ・デ・ガロ(ナポリ王国のガロ侯爵)
ボナパルト
メルヴェルト伯爵、少将」
その後、レオーベン秘密の仮条約に条項が追加されたことにより、ヴェネツィア共和国領であるイストリアとダルマチアはオーストリアに与えられることとなった。
この日、レオーベンで「仮」と言えどフランス共和国とオーストリア帝国との和平条約と秘密条約が締結されたことにより、ヴェネツィア軍とテラ・フェルマの反乱勢力はオーストリア帝国の支援を完全に失い、ヴェネツィア共和国のその後の運命が決定付けられた。
これらの条約によってオーストリア領ネーデルラント(現在のベルギーのほとんどとルクセンブルク、ドイツのラインラント=プファルツ州)はフランス領となり、ヴェネツィア共和国はフランス共和国とオーストリア帝国によって分割されることが決定されたのである。
そしてこれが1797年3月10日から始まった第一次イタリア遠征最後の戦役が終結した瞬間だった。
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