レオーベンへの道 40:セルヴィエズ旅団のボルッツァーノからの撤退とラウドン旅団によるボルッツァーノの占領
Road to Leoben 40
ヴァルヴァゾーネの戦い、グラディスカの戦い、タルヴィスの戦い
勢力 | 戦力 | 損害 |
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フランス共和国 | ヴァルヴァゾーネの戦い:推定17,000~20,000人 グラディスカの戦い:推定約10,000人 タルヴィスの戦い:推定約11,000人 |
ヴァルヴァゾーネの戦い:死傷者と捕虜の合計約500人 グラディスカの戦い:ほぼ無し タルヴィスの戦い:約1,200人 |
オーストリア | ヴァルヴァゾーネの戦い:推定約15,000人~18,000人 グラディスカの戦い:推定3,000~4,000人 タルヴィスの戦い:推定約8,000人 |
ヴァルヴァゾーネの戦い:死傷者と捕虜の合計約700人、大砲6門 グラディスカの戦い:死者約500人、負傷者 不明、捕虜2,513人、大砲8門 タルヴィスの戦い:1797年2月22日~23日にかけての一連の戦いの損害の合計約2,500人、大砲25門、荷車400台 |
ボルッツァーノでの戦闘<2日目>
ラウドン将軍は4月3日朝にボルッツァーノを攻撃しようと準備を整えていた。
しかし夜明け前、ラウドン旅団のすべての陣地がフランス軍の攻撃を受けた。
◎ボルッツァーノでの戦闘<2日目>の開始
セルヴィエズ旅団左翼はナイペルク大尉率いる右縦隊によって押し戻された。
このオーストリア軍縦隊はカルダーロを通ってブロンツォーロ(Bronzolo)とノイマルクトまで前進した。
ブロダノヴィッチ大佐も中央の縦隊に対して前進してきたフランス軍分遣隊を破り、グリーズ(Gries)を通ってタルヴェラ橋(Ponte Talvera)まで追撃した。
しかしタルヴェラ橋には騎兵を伴う強力なフランス予備軍が駐屯していた。
そのため中央の縦隊は車輪が壊れた大砲を残し、再びジーベナイヒ(Siebeneich)まで後退しなければならなかった。
ブロダノヴィッチは増援のために歩兵分遣隊をジーベナイヒで受け取るとすぐに再び前進し、サン・マウリーツィオ(San Maurizio)でフランス分遣隊の側面を獲得し、その後方に押し込み、それによってフランス分遣隊を後退させた。
フランス軍はイェネーシエンの近くに位置する左縦隊に対しても、少しの勝利も収めることができなかった。
イェネーシエンではラウドン将軍が活発な銃撃でフランス部隊を迎え撃った。
その後、フランス軍がルングルシュタイン城を占領すると、ラウドン将軍の銃撃はルングルシュタイン城にも向けられたが、この日の戦いはここで止まった。
ラウドン将軍による今後の方針の決定
フランス軍の行動を観察するとボルッツァーノから撤退の準備をしている兆候を示していたが、もしかしたら今回のような攻撃がラウドン旅団側とケルペン師団側のどちらに行なわれるかもしれなかった。
セルヴィエズ旅団はブレッサノネへ大砲を持った部隊を派遣し、ボルッツァーノではトレントに続く道の左側に馬車を寄せて並べていたのである。
ラウドン将軍はこの状況でどうするか悩んでいた。
旅団をより長くメラノに留めておくためには、今後数日間戦闘を続けるための食糧と火薬が不足していた。
4月2日と3日の戦いでのラウドン旅団(州兵除く)の損害は死傷者60人、捕虜200人だった。
そのためラウドン旅団の兵力は約1,700人にまで減少していた。
州兵の善意と忍耐を当てにすることはできず、人々が持ち込んだ食糧が尽きた場合、畑にも食糧がなくなり、解散は避けられない。
ボルッツァーノでラウドン旅団と対抗しているセルヴィエズ旅団はブレッサノネかトレントのどちらかに撤退する可能性があった。
もし戦いが発生した場合、セルヴィエズ旅団はミットヴァルドのジュベール師団本体と合流する可能性が高いと考えられた。
ブレッサノネ周辺に兵力を集中させたジュベール師団はヴィピテーノ近郊のケルペン師団を攻撃し、インスブルックに押し戻し、そしてラウドン旅団の州都への退路を遮断することができるのである。
◎セルヴィエズ旅団がブレッサノネに後退した場合の懸念
しかし、もしセルヴィエズ旅団がトレントに向かって左岸側から後退していたとしたら、ボルッツァーノを占領したラウドン旅団はセルヴィエズ旅団とジュベール師団本体から同時攻撃にさらされるだろうことが予想された。
◎セルヴィエズ旅団がトレント方向に後退した場合の懸念
また、この日ラウドン将軍はケルペン将軍からも州兵軍右翼からも連絡を受け取っておらず、これらの状況から決断はラウドン将軍が行わなければならなかった。
危険な状況ではあるが、ラウドン将軍は得られた利点を放棄してまで後退する気になれなかった。
そのためもう1日、4月4日に旅団が占領している陣地で持ち堪え、その間にケルペン師団と州兵軍による攻勢が行われないかどうか様子を見ることにした。
もしかしたら状況に変化が現れ、得られた利点をさらに大きな成功に利用するための機会を与えられる可能性があった。
ケルペン師団と州兵軍の状況
一方、4月3日、ケルペン中将は師団をヴィピテーノに置き、平静を保っていた。
州兵軍では、指揮していた士官たちが散り散りに逃亡した民衆を集め、自信を持たせようと鼓舞した。
これまで根拠のない不安から戦いを行わなかったサレン渓谷の州兵軍右翼にも鼓舞は行われ、部分的に成功した。
州兵軍右翼を率いるラ・モッテ中尉は最終的に一部を前進させ、アッツヴァングからクロベンシュタイン(Klobenstein)までともに下山した。
ジュベール将軍の決断とセルヴィエズ旅団のボルッツァーノからの撤退の開始
4月3日、ジュベール将軍はチロルから撤退し、プステリア渓谷を通ってケルンテン州まで行進し、最終的にナポレオン本体と合流することを決定していた。
これは以前から決定されていたことだったが、ボナパルトの進捗に関する詳細な情報が不足していたため、その実行を延期していただけだった。
◎1797年4月3日時点でのジュベール師団の置かれている状況
ボナパルトからの連絡は未だ無かったが、この時点でジュベール師団の状況は日に日に危険度を増していた。
もしプステリア渓谷と近隣地域のこれまで敵対してこなかった住民たちがついに武器を手に取りプステリア渓谷を塞いだ場合、ジュベール師団本体は狭いエイサック渓谷に閉じ込められ、この食糧に乏しい地域で食糧を奪われることになるだろう。
その場合、師団は降伏するか、軍に支援された武装民兵を押し通ってミッドヴァルトからロヴェレトまでの道を突破するかどちらかになる可能性があった。
そのため4月3日夜、セルヴィエズ旅団はトレントに向かって撤退を開始した。
4月3日夜明け前に始められたラウドン旅団への攻撃はこの撤退を悟られないようにするためのものだった。
ラウドン旅団によるボルッツァーノの占領
4月4日朝、ラウドン旅団の哨戒部隊はセルヴィエズ旅団がボルッツァーノから完全に撤退していると報告した。
イェネーシエンのラウドン将軍はそれを知ると旅団すべてを率いてボルッツァーノに出発した。
ボルッツァーノの街では100 Zentner(約5トン)以上の火薬と鉛、そして大量の食糧を発見した。
フランス軍が急いで持ち帰ったものの残りだったが、すでに弾薬と食糧の不足に苦しんでいた旅団にとっては望ましい戦利品だった。
ラウドン将軍はヴィピテーノ周辺のケルペン師団に対し、ボルッツァーノを占領した利点を利用してジュベール師団主力に対するための支援を望んでいた。
とりわけセルヴィエズ将軍がミットヴァルドに派遣した部隊に対し幕僚竜騎兵25騎と志願兵300人で構成される分遣隊を派遣し、コルマとキウーサを経由して追撃した。
そしてラウドン将軍はセルヴィエズ旅団のトレント方面への撤退とボルッツァーノの占領、その経緯などについてケルペン中将に報告した。
一方、フランス軍側では、この日までに、ボナパルトから本体との合流準備を行うよう命じる4月3日付の書簡がジュベール将軍の元に届けられた。
ボナパルトからの命令は主に「合流準備を行うこと」、「リーエンツまで安全に行軍できるようにすること」だったが、師団の置かれている状況を鑑みて、ジュベール将軍はブレッサノネからの撤収命令を下した。
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