レオーベンへの道 46:ナポレオンによるヴェネツィア政府への脅迫とグラーツの占領
Road to Leoben 46
ヴァルヴァゾーネの戦い、グラディスカの戦い、タルヴィスの戦い
勢力 | 戦力 | 損害 |
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フランス共和国 | ヴァルヴァゾーネの戦い:推定17,000~20,000人 グラディスカの戦い:推定約10,000人 タルヴィスの戦い:推定約11,000人 |
ヴァルヴァゾーネの戦い:死傷者と捕虜の合計約500人 グラディスカの戦い:ほぼ無し タルヴィスの戦い:約1,200人 |
オーストリア | ヴァルヴァゾーネの戦い:推定約15,000人~18,000人 グラディスカの戦い:推定3,000~4,000人 タルヴィスの戦い:推定約8,000人 |
ヴァルヴァゾーネの戦い:死傷者と捕虜の合計約700人、大砲6門 グラディスカの戦い:死者約500人、負傷者 不明、捕虜2,513人、大砲8門 タルヴィスの戦い:1797年2月22日~23日にかけての一連の戦いの損害の合計約2,500人、大砲25門、荷車400台 |
停戦協定締結後の再配置
1797年4月8日、カール大公との6日間の停戦協定締結後、ボナパルトはイタリア方面軍全師団に停戦を伝え、停戦解除後の戦いに向けて移動を命じた。
◎ユーデンブルクの停戦協定によって獲得した勢力圏への進出
※フランス軍はユーデンブルク周辺を中心として各師団間の距離が近く、師団の兵力も集中しているのに対し、オーストリア軍は各師団間の距離が遠く、師団の兵力も分散していることが分かる。
午前11時半、ベルナドット将軍に倉庫のあるノイマルクトで師団を停止させ、ザンクト・ミヒャエル近くのマウターンドルフ(Mauterndorf)に前衛を進めるよう命じた。
続けて正午、ギウ将軍に監視部隊をロッテンマン(Rottenmann)に送るよう命じ、さらにイルドニング(Irdning)に哨戒部隊を派遣し、そこからエンス渓谷を通ってラートシュタットに監視部隊を置くよう命じた。
同じく正午、ジュベール将軍にデュマ将軍とデルマス将軍にチロルの防衛を任せ、以前発した命令に従って師団主力とともにリーエンツに向かいシュピタルでナポレオン本体との連絡を確立することを命じた。
しかし、この頃すでにジュベール師団はチロルを放棄しリーエンツに接近していたため、この命令は実行できなかった。
夕方4時、マッセナ将軍に明日朝9時にレオーベンを出発してブルックに向かい、トローファイアッハ(Trofaiach)に監視部隊を置くよう命じた。
続けて夕方4時、シャボー将軍に明日朝9時にレオーベンの1リュー(1 lieue = 4 ㎞)後ろの位置からブルックに向かい、グラーツへの道に入り、ブルックの町から1リュ―離れた位置に移動し、前衛を前に出すよう命じた。
そしてサンス(Sens)にいるブリエンヌ軍事学校時代の旧友フォーヴレ・ド・ブリエンヌにイタリア方面軍司令部に向かうよう要請する書簡を送った。
そんな中、ミラノからの急使がキルメイン将軍からの危険を知らせる書簡を持ってユーデンブルクの本部に到着した。
ナポレオンによるヴェネツィア政府への脅迫
◎1797年4月9日時点での北イタリアの戦況
1797年4月9日、ボナパルトからの4月3日付けの書簡がようやくヴィクトール将軍の元に届いた。
これによりヴィクトール師団はパドヴァへの行軍を開始し、同時にキルメイン将軍指揮下に入った。
この時にはミオリス将軍率いるマントヴァ要塞守備隊や各都市の守備隊もキルメイン指揮下に置かれていた。
同日、ボナパルトは副官ジュノーに書簡を持たせ急遽ヴェネツィア政府の元に派遣した。
◎ナポレオンがジュノーに持たせた書簡の内容
「ユーデンブルク本部より 共和歴V目ジェルミナル(芽月)20日(1797年4月9日)
最も穏やかなヴェネツィア共和国の大地全体が武装しています。
あらゆる面で、あなたが武装させ結集させた農民たちは「フランス人に死を!」と叫び、すでにイタリア方面軍の数百人の兵士が犠牲となっています。
あなたは自分が組織した連合を無駄に否定しています。
私がドイツの中心にいる今、私には世界の最初の人々に強制する力がないと思いますか?
あなたが扇動している虐殺でイタリア方面軍が苦しむと思いますか?
戦友たちの血は復讐されるだろうし、崇高な任務を負ったフランス大隊の中で、勇気が2倍になり、資源が3倍になったと感じない者はいない。
ヴェネツィア政府は、我々が常に行ってきた寛大さに対して、最も卑劣な態度で反応しました。
この書簡を届けるために私の第一補佐官をあなたの元に派遣します。
戦争か平和か。
直ちに軍を武装解除し、フランス兵殺害の犯人を捕えて私に引き渡さなければ、宣戦布告となります。
トルコ人はあなたの国境にはいません、あなたを脅かす敵はいません。
あなた方は意図的に(フランス)軍に反抗する連合を正当化する口実を作り出しました、それは24時間以内に解散してください。
私達はもうシャルル8世の時代には生きていません。
※シャルル8世は第一次イタリア戦争を始め、緒戦は勝利しナポリ王国を下したが、神聖ローマ帝国、スペイン王国に支援されたナポリ軍・ヴィネツィア軍・教皇軍・フィレンツェ軍・ミラノ軍に包囲されて敗北した15世紀のフランス王。
フランス政府の意向に反してあなたが私に戦争を強いたとしても、あなたが武装させた兵士達のようにフランス兵が罪のない人々の田畑を荒らすことはありません。
私は人々を救い、人々はあなた達の圧政から救出するためにフランス軍が侵した過ちですら祝福してくれるでしょう。」
ジュノーは、もしボナパルトにとって満足のいく答えをヴェネツィア政府から引き出せた場合、そのことをキルメインに伝え、引き出せなかった場合、マントヴァのキルメインの元へ行くよう命じられた。
そして同時にキルメインにも書簡が送られた。
◎キルメイン宛の書簡のおおよその内容
「もし彼(ジュノー)の要求が24時間以内に受け入れられなければ、キルメインはパドヴァ、トレヴィーゾ、バッサーノにいるヴェネツィア軍全員の武装を解除し、捕虜としてミラノに送り返し、最も信頼できる国民から各都市に市政を樹立しなければならないだろう。
ベネツィアで逮捕されたフランスの友人たちの安全のために、身分が高いか熱意があるヴェネツィア政府の支持者を人質として逮捕し、アンコーナとトリエステの指揮官は私掠船にヴェネツィアの国旗を追跡するよう命令せよ。
ここで規定された、あるいは状況に応じて必要とされたすべての措置は、元老院が許可した時間の満了から24時間後にテラ・フェルマ(ヴェネツィア共和国がイタリア本土に持つ領土)のどこにも武装したヴェネツィア兵が見つからなくなるほどの勢いと厳しさをもって実行すること。
これらのことは同時に実行に移され、ヴェネツィア政府は小さな島にあるため(抵抗は)長くは続かないだろう。」
ジュノーがボナパルトの書簡をヴェネツィア総督に手渡したとき、ヴェネツィア共和国は24時間以内に戦争か平和かの選択をすることができた。
しかしこの書簡がヴェネツィア政府を躊躇させ、フランス軍に対するあらゆる敵対的な措置を停止する時間を与えたのはわずかな期間だった。
グラーツの占領
◎シャボー師団によるシュタイアーマルク州州都グラーツの占領
4月10日、シャボー師団はグラーツを占領し、ボナパルトは本部をブルックに移した。
ボナパルトはフランス軍による住民への虐待や略奪に悩んでおり、食糧や飼料の供給の遅れ、それらの重量の不正や品質不良を各旅団長に報告するよう命じた。
もしそれでも住民への虐待や略奪が続くようであれば師団長は参謀長や総司令官に報告して対応する措置が講じられることとなった。
そして4月7日に締結され、4月13日に切れる停戦協定で獲得した地域の占領を急いだ。
特に首都ウィーンに次ぐ都市であるグラーツはレオーベンから約60㎞離れており、その広さと重要性から占領後の処理も通常よりも長くかかると考えられた。
尚且つ、住民による反乱が起きないように慎重に占領を進める必要があった。
そのためボナパルトはすぐにグラーツに向けて旅立った。
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