レオーベンへの道 48:テラ・フェルマの反乱
Road to Leoben 48
ヴァルヴァゾーネの戦い、グラディスカの戦い、タルヴィスの戦い
勢力 | 戦力 | 損害 |
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フランス共和国 | ヴァルヴァゾーネの戦い:推定17,000~20,000人 グラディスカの戦い:推定約10,000人 タルヴィスの戦い:推定約11,000人 |
ヴァルヴァゾーネの戦い:死傷者と捕虜の合計約500人 グラディスカの戦い:ほぼ無し タルヴィスの戦い:約1,200人 |
オーストリア | ヴァルヴァゾーネの戦い:推定約15,000人~18,000人 グラディスカの戦い:推定3,000~4,000人 タルヴィスの戦い:推定約8,000人 |
ヴァルヴァゾーネの戦い:死傷者と捕虜の合計約700人、大砲6門 グラディスカの戦い:死者約500人、負傷者 不明、捕虜2,513人、大砲8門 タルヴィスの戦い:1797年2月22日~23日にかけての一連の戦いの損害の合計約2,500人、大砲25門、荷車400台 |
テラ・フェルマの反乱
※「テラ・フェルマ」は北イタリア本土におけるヴェネツィア共和国の領土のこと。
1797年4月12日、フランス軍艦の接近がますます頻繁になったため、ヴェネツィア側はすべての港に最大限の警戒を続けるよう命じた。
しかしヴェネツィア政府はフランス軍艦や私掠船に服従し、フランスのすべての要求に同意し、政治犯を釈放し、本土の安定のためという口実を受け入れ、平和の実現に向けた第一歩を踏み出した。
それにもかかわらずフランス軍はヴェネツィア共和国の領土に駐屯し続けた。
フランス軍による横暴な態度に反フランス感情が最高潮に達し、パドヴァ、トレヴィーゾ、パルマ周辺地域の民衆達はフランス軍に対して蜂起した。
ほとんどの村で警鐘が鳴り響き、各町のフランス守備隊間の連絡は遮断された。
◎1797年4月12日時点での北イタリアの状況
ヴェローナの司令部は襲撃の脅威に晒されたため、バランド将軍は旅団をヴェローナに集結させざるを得なかった。
そして何かあった時のためにいつでも城に退却して抵抗できるよう準備した。
ガルダ湖の東岸で、シュヴァリエ将軍はラツィーゼ(Lazise)を経由してペスキエーラに到達しようとしたが、カステルノーヴォに向かって進み、そこで分遣隊の一部がヴェネツィア人に襲われた。
この時ラウドン旅団の先頭はリヴォリにまで到達しており、危険を感じたバランド将軍はセルヴィエズ旅団とシュヴァリエ旅団を回収し、ヴェローナ守備隊と合流させるためにペスキエーラへ向かった。
ヴィクトール師団のパドヴァへの到着とヴェローナへの救援
一方、ヴィクトール師団はパドヴァに到着し、さらにトレヴィーゾとカステルフランコを占領した。
ジュベール将軍指揮下のバラグアイ・ディリエール師団は既に上ケルンテン州から出発しており、ブレンタ川とイゾンツォ川の間で反乱が起こるのを牽制ようとしてた。
そしてフランス軍の後方連絡線を再確立し、物資を前線へ運ぶために重要地点であるジェモナへ急いだ。
◎テラ・フェルマの反乱に対するキルメインの対応
同時にケルペン師団の分遣隊がタリアメント川とピアーヴェ川源流域へ前進していたため、その動きを監視した。
キルメインによって派遣されたラホーズとシャブラン指揮下の部隊4,000人は、窮地に陥ったヴェローナ守備隊を救援するためにペスキエーラに向かって急いだ。
キルメイン自身もミラノからマントヴァ守備隊を率いるミオリス将軍の元に向かい、武器を手に取った民衆達がすべての道路を占拠し、フランス軍の連絡線を遮断したため、信頼できる使者によってヴィクトール将軍に師団とともにレニャーゴへ行進するよう命令を送り、バラグアイ・ディリエール将軍にパドヴァへ行進するよう命令を送った。
ライン方面の停戦の破棄
4月13日、オッシュ将軍はラトゥール(Latour)中将に停戦の破棄を通知した。
以前締結した条項に従い、4月17日午前0時を停戦の終了日と定められた。
ラトゥールは停戦を延長しようと交渉したが、停戦の延長に関する提案はすべて拒否された。
この時のラトゥールが有する兵力は、ライン河とシーグ(Sieg)川の間の右翼ヴェルネック(Werneck)中将指揮下の騎兵9,092騎を含む28,841人。
マンハイムの中央シュターダー(Stader)中将指揮下の騎兵7,639騎を含む29,000人。
そして左翼スターレー(Sztaray)中将指揮下の騎兵9,960騎を含む35,252人。
合計93,093人だった。
対するフランス軍はアルザス(Alsace)にモロー将軍が指揮するライン・モーゼル方面軍約60,000人があり、ライン下流ではサンブレ・エ・ムーズ軍が約70.000人に増加し、その先頭にオッシュ将軍がいた。
兵力差は30,000人~40,000人であり、フランス軍の方が優勢だった。
ラザール・カルノーの「もしライン・モーゼル方面軍及びサンブレ・エ・ムーズ軍の進軍状況が思わしくなかった場合、領土拡大のためにノイビート周辺から侵攻を開始する」計画が発動しようとしていたのである。
停戦期間の延長
4月13日、シャボー師団によるグラーツの占領状況を11日と12日に確認してレオーベンに戻ったボナパルトは、12日に来訪したメルヴェルト少将と和平に向けて交渉し、さらに停戦期間を3日延長し、4月16日までとすることが決定された。
同時にチロルにおける停戦期間も3日延長することとなった。
しかしその直後の交渉によりさらに4月20日まで延長された。
その際、ボナパルトはメルヴェルト少将が少しでも安心できる場所を選び、レオーベンにあるエッゲンヴァルト城のガーデンハウスで交渉が行なわれた。
◎エッゲンヴァルト城ガーデンハウス
※出典:Wikipedia
しかし実際のところ視界には入らないが周囲はフランス兵によって囲まれていた。
この時にベルナドット将軍が交渉に立ち会うようレオーベンに呼ばれているが、恐らく、イタリア方面軍の中で最も規律正しく礼儀をわきまえている将軍であるため呼ばれたのだろうと考えられる。
そして、ジュベール将軍に対しフリウーリ州に向かったバラグアイ・ディリエール師団を呼び戻すよう命じ、グミュントとザンクト・ミヒャエル方面へ師団の勢力範囲を拡大するよう命じた。
◎バラグアイ・ディリエール将軍の板挟み
この時バラグアイ・ディリエール将軍はキルメイン将軍からの命令と総司令官からの命令を同時期に受け取ったが、総司令官からの命令を優先させた。
さらにオーストリア軍から奪った壊れて役に立たない大砲などをクラーゲンフルトに送るよう命じた。
これらの大砲はクラーゲンフルトで修復して再利用するのである。
恐らくボナパルトはカール大公を威圧し、弱みを見せないよう細心の注意を払い、和平を実現させようと考えたのだろう。
もし和平が実現せずにオーストリア軍とヴェネツィア軍、テラ・フェルマの反乱軍と同時に敵対しなけれならない状況となった場合、フランス軍は大きく後退を余儀なくされ、イタリアを失うだろうと考えられる。
キルメイン将軍とヴィクトール将軍が有する兵力のみでヴェネツィア軍と後方の反乱を鎮圧することができなかったとしても、オーストリア帝国との休戦条約を締結することができれば、その後にヴェネツィア軍と武装した民衆を撃破すればいいと考えていた可能性が高い。
そして翌14日、ボナパルトは重ねて徴用や略奪を禁じ、徴集した寄付金を返済するよう命じた。
この時点のボナパルトがオーストリア領内での反乱を非常に恐れていたことが窺える命令である。
テラ・フェルマの反乱の拡大とヴェネツィア政府の抵抗
フランス軍がチロルから撤退し、オーストリア軍がトレント経由で迫って来ているという情報がテラ・フェルマに広まったとき、フランス軍の支配から解放された地区のチロルの民衆達は再び武器を取り、サッビア谷と隣接する渓谷の住民達と共闘した。
そしてヴェネツィアの農民たちはアディジェ川のキウーサ砦に残っていたフランス守備隊を攻撃した。
ヴェネツィア政府はチロルの民衆の蜂起とガルダ湖畔でのラウドン旅団の成功を知り、軍備の増強を加速した。
ヴェネツィア政府の能力は未だ健在であり、ジュノーはその対応に追われた。
4月15日、ジュノーはヴェネツィア総督に最後通告を行なったが、総督はそれを拒否し、ラウドン旅団がアディジェ渓谷を通りヴェローナに到着するまでの時間を確保するために、ジュノーにフランス軍の軍事行動を一時的に停止するよう要求した。
しかし、フランス軍がそのような要求を飲むはずはなかった。
4月16日、ヴェネツィア政府はアディジェ渓谷を下って接近してきているだろうラウドン将軍にテラ・フェルマで何が起こっているのかを知らせ、支援を求める書簡を送った。
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