レオーベンへの道 17:グラディスカの戦い
Road to Leoben 17

ヴァルヴァゾーネの戦い、グラディスカの戦い、タルヴィスの戦い
勢力 | 戦力 | 損害 |
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フランス共和国 | ヴァルヴァゾーネの戦い:推定17,000~20,000人 グラディスカの戦い:推定約10,000人 タルヴィスの戦い:推定約11,000人 |
ヴァルヴァゾーネの戦い:死傷者と捕虜の合計約500人 グラディスカの戦い:死者と負傷者の合計約500人 タルヴィスの戦い:約1,200人 |
オーストリア | ヴァルヴァゾーネの戦い:推定約15,000人~18,000人 グラディスカの戦い:推定3,000~4,000人 タルヴィスの戦い:推定約8,000人 |
ヴァルヴァゾーネの戦い:死傷者と捕虜の合計約700人、大砲6門 グラディスカの戦い:死者約500人、負傷者 不明、捕虜2,513人、大砲8門 タルヴィスの戦い:1797年2月22日~23日にかけての一連の戦いの損害の合計約2,500人、大砲25門、荷車400台 |
フランス軍の前進の開始
3月19日の朝、ギウはコルモンス、ベルナドットはグラディスカ、セリュリエはサン・ピエール(San Pier)への行進を開始した。
ホーエンツォレルン将軍率いる後衛は前衛となり、半数はゴリツィア方面に撤退し、残りの半数はグラディスカの前に集結した。
ゴリツィア方面に撤退したフェダック(Fedak)中佐はサン・マルティーノ(Šmartno)に2個騎兵中隊と3個中隊とともに最右翼に駐屯し続け、必要に応じてゴリツィアに撤退するよう指示を受けた。
グラディスカの戦いにおけるナポレオンとベルナドット将軍のエピソード
3月19日朝、ベルナドット将軍は川と要塞を見下ろす丘を占領し、師団本体の到着を待つために立ち止まった。
午前10時頃、ボナパルト将軍が幕僚と護衛を引き連れてベルナドット師団の元に到着した。
ボナパルトは全速力で丘を駆け上がっってベルナドットの左側で立ち止まり、周囲を見渡すと、「あそこにあなたが攻撃すべき敵がいます。あなたはそれを攻略するか、それともグラディスカを封鎖するかを選択する必要があります。私は(イゾンツォ川の)向こうの丘にセリュリエ将軍とともに行きます。夜になる前に合流しましょう。」と言った。
その後、馬の腹に拍車を当てて全速力で出発した。
ベルナドットはそのような曖昧な命令に慣れていなかった。
ライン戦線での上官だったジュールダン将軍は、あらゆる不測の事態を予測し正確な書面による指示を出す人物だった。
ボナパルトは彼にグラディスカを占領するか封鎖するよう命令し、どちらを行うかを決定する責任を彼に課した。
ベルナドットは、もしグラディスカを封鎖すれば攻撃しなかったことを責められ、もしグラディスカを攻撃すれば封鎖すべきだったと言われるだろうと思った。
「私にはすべてが見えています。」と彼は目に涙を浮かべながら7歳年下の参謀長ジャン・サラザン(Jean Sarrazin)大佐にこう言った。
「彼は私を妬ましく思っており、辱めようとしています。攻城のための道具や資材は残っておらず、私を守るための書面による命令はありません。」
参謀長サラザンは「これは間違いなくボナパルトのいつもの命令の仕方です。そして1日の終わりにはあなたの行動について彼に報告する時が来るでしょう。」と答えた。
※Sir Dunbar Plunket Barton著「Bernadotte; the first phase, 1763-1799」(1914)の一部翻訳。
アウグスティネッツ旅団への降伏勧告
ベルナドットは(恐らく戦いを避けた臆病者と思われないために)グラディスカ要塞を攻撃することを決断した。
ラウール(Lahure)大佐を派遣して降伏を呼び掛け、同時にオーストリア軍の状況をよく観察し、帰還したら要塞の正確な状況を報告するよう指示した。
ラウール大佐は任務を忠実に遂行し、アウグゥティネッツ大佐の「降伏はしないが、フランス軍の尊敬を勝ち取るためには気を引き締めるつもりだ。」という返答を持ち帰り、「要塞の外構の状態は悪く、溝は乾いています。壁は梯子を使えば簡単によじ登ることができる。」との情報をもたらした。
しかしベルナドット師団には攻城のための道具や資材はなかった。
そのため砲撃で門を破壊するか燃やす、もしくは手斧などで門を破壊しなければならないことが想像された。
ベルナドットは決意を固めて攻城準備に取り掛かった。
ベルナドット師団のグラディスカへの接近
ベルナドット師団は3列でグラディスカに接近した。
グラディスカは城壁に囲まれた都市であり、イゾンツォ川右岸に要塞化された城があった。
◎18世紀頃のグラディスカ都市計画図

◎現代のグラディスカ

※北や北西、西の斜堤部分は公園になっており、斜堤の名残である。地図では分からないが東側にも斜堤があったであろう痕跡がある。城壁内側の南には今も城が残されている。
そして周囲は塹壕によって覆われていたため正面からの攻撃では容易に陥落させることは難しいと考えられた。
そのためベルナドットは攻撃準備を開始した。
セリュリエ師団によるイゾンツォ川の通過
◎セリュリエ師団によるイゾンツォ川の通過とその後の計画

セリュリエ師団はカッセリアーノにあるイゾンツォ川の橋の上を通り抜けようとした。
しかし、ゼッケンドルフ将軍はミトロフスキー旅団と砲台からの砲撃により橋を保持した。
川幅が広く、深さがあり、流れの速いイゾンツォ川は、当時、霜によって弱まりどの地点でも渡ることができる状況だった。
そのためセリュリエはアンドレオシー将軍に渡河に適した浅瀬を探索させ、浅瀬を発見すると密集隊形に編成してためらうことなく川に足を踏み入れた。
オーストリア軍は一斉射撃でセリュリエ師団の前進を止めようともせずに急速に後退した。
セリュリエはサン・ピエールを占領すると北と東の高地の占領に向かい、その後、グラディスカの守備隊の退路を遮断するために高地に沿ってグラディスカに向かう予定だった。
ベルナドット師団によるグラディスカへの攻撃の開始
セリュリエがサン・ピエールの北と東の高地を獲得している間、ベルナドットは散兵をアウグスティネッツ旅団の守る塹壕へ向かわせた。
しかし、激しい一斉射撃とぶどう弾の数回の砲撃を受け、ベルナドット師団の散兵は後退を余儀なくされた。
◎ベルナドット師団によるグラディスカへの攻撃の開始

イタリア方面軍の協力なしにグラディスカを占領することを望んでいたベルナドット将軍は、セリュリエ師団を待たずに前進し、パルマノヴァへ続くヌォーヴァ門に向かって4門の大砲を配置した。
そして砲撃で一掃し、右岸側からの攻撃を開始した。
この攻撃はアウグスティネッツ旅団の注意を引きつけ、意図せずグラディスカの左岸側へ接近するセリュリエ師団の行軍を隠した。
グラディスカの防衛体制は不完全だったため、この町を防衛することは困難だった。
城壁の上に設置済みの大砲は6ポンド砲2門と3ポンド砲5門だけであり、その他は未だ配置されていなかった。
それにも関わらず砲撃はフランスの散兵を追い散らし、ベルナドットがヌォーヴァ門へ向けて配置した4門の大砲の内2門を解体した。
しかし、守備隊は弾薬が不足しつつあった。
セリュリエ師団の到着とグラディスカの完全包囲
ベルナドット師団の砲弾がグラディスカの町に火を点けた瞬間、セリュリエ師団が現れ左岸側に配備された砲台を破壊した。
アウグスティネッツ大佐は橋の防御を諦め、左岸側で防衛している2個中隊を撤収させ、橋を破壊した。
これによりアウグスティネッツ旅団は退路を断たれ、グラディスカで完全に包囲されることとなった。
ベルナドットはアウグスティネッツ大佐に最後通告を行なった。
ベルナドット将軍からアウグスティネッツ大佐への最後通告
「閣下、あなたは勇敢な男のように守り、それによって兵士たちの尊敬を勝ち取りました。しかし、あなたの側のこれ以上の抵抗は犯罪となるでしょう。
後世に自分を正当化するために、私は10分以内に降伏するようあなたに呼びかけなければなりません。 さもなければ、私はあなたの軍隊を剣で処刑するでしょう。
あなたが引き起こすであろう流血を止めてください。
慈善の原則は指揮官を動かさなければならず、あなたにこの義務を課します。
攻城梯子の準備ができました。 擲弾兵と軽歩兵は攻撃の合図を待ち望んでいます。」
グラディスカの降伏
夕暮れ時、サンタンドレーア(Sant'Andrea)のケルペン旅団から派遣された2個大隊が、道を切り開き退却命令を実行させるためにグラディスカに接近していた。
しかしフランス師団を突破できず、主力のあるゴリツィア方面に後退することを余儀なくされた。
アウグスティネッツ旅団は夕方6時まで途切れることなく砲撃を続けた。
しかし、ここで問題が発生した。
弾薬が尽きようとしていたのである。
各人に10個以下の弾薬、全体として60発のブドウ弾と250発の弾丸しか無かった。
そのためこれ以上抵抗することができず、アウグスティネッツ大佐はベルナドットの最後通告に同意することを決断した。
夜の9時に降伏が署名され、9時半にまだ参謀3人と上級士官62人、守備隊2,448人が防衛施設にいたが退去した。
その後、武装が解除され、兵士達は捕虜となった。
オーストリア軍側の死者は約500人であり、大砲10門がフランス軍の手に渡ったと言われている。
士官達は、捕虜交換前にフランスに対して敵対しないという誓約の下、オーストリアの前哨基地に解放された。
19日、ギウ将軍はコルモンスで総司令官からの次の命令を待っていた。
カール大公は今や止まることなく後退を続け、フランス軍がオーストリア領に侵入するための最後の障壁を越えようとしているのを見て、全軍をフィラハに集結させ、再び攻撃的にフリウーリの平野に前進することを決定した。
ナポレオンへのグラディスカ占領の報告のエピソード
ベルナドットは降伏に関する処理を部下に任せてボナパルトとその幕僚がいるであろう高地へ向かい、500名の損失を伴うグラディスカ占領を報告した。
ボナパルトはベルナドットを冷たくあしらった。
ベルナドットがその日の出来事を詳細に説明している間、ボナパルトは腕を組み、眉をひそめ、唇を押さえてベルナドットの向かいに立った。
ボナパルトはベルナドットが最も軽率な行動を選択したと答えた。
「あなたは一人も失うべきではなかった。そして、セリュリエ師団が丘の上を占領するまで、その場所を封鎖するだけで十分だっただろうし、オーストリア軍は兵糧不足から間もなく降伏したに違いない。」と言った。
グラディスカの戦いにおけるベルナドット将軍の選択についての考察
ナポレオンは歴史を知り、兵法を学び、多くの本を読んでいる。
「損失は最低限に抑えるべきである」という戦争の原則を知っており、自らも「ミッレージモの戦い」などで痛い目を経験してきてもいた。
恐らくナポレオンは「グラディスカの封鎖」を望んでおり、「攻城のための道具も資材も無いベルナドット師団がグラディスカを封鎖するに留めるかどうか」を見たかったのだと考えられ、尚且つ「攻城」を選択して損失を出した場合、それは失策であると経験させて覚えさせようとしたのだろう。
もしナポレオンが本当にベルナドット将軍を使えない将軍であると考えていたなら師団の司令官職を解任していただろうし、ベルナドット将軍の評価は低かっただろう。
しかしナポレオンの中でベルナドット将軍の評価は高く、師団の司令官職を解任していない。
カール大公のメルカンディン師団についての想定
一方、ヴァルヴァゾーネの戦い前日からグラディスカの戦いが終わるまでの間、メルカンディン師団の側では、戦略的洞察に基づいたカール大公の計画の実行を妨害し、大きな危険をもたらす一連の事故と誤解が蓄積されていた。
しかし、3月19 日夕方時点で、ゴリツィアの本部には3月14日以降にカルニック・アルプス(Carnischen Alpen)で起こったこれらの有害な事件についての情報はまだ届いていなかった。
そのため、メルカンディン中将が十分早くシュピタルに到着したであろうことは依然として自信を持って想定されており、カール大公が3月17日に送った「ハンガリー4個歩兵大隊でタルヴィジオを経由してポンテッバに向かうオクスカイ将軍を支援するために急ぐように」という命令を受け取っていると考えられていた。
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