レオーベンへの道 31:ザンクト・ファイトへの撤退
Road to Leoben 31
ヴァルヴァゾーネの戦い、グラディスカの戦い、タルヴィスの戦い
勢力 | 戦力 | 損害 |
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フランス共和国 | ヴァルヴァゾーネの戦い:推定17,000~20,000人 グラディスカの戦い:推定約10,000人 タルヴィスの戦い:推定約11,000人 |
ヴァルヴァゾーネの戦い:死傷者と捕虜の合計約500人 グラディスカの戦い:ほぼ無し タルヴィスの戦い:約1,200人 |
オーストリア | ヴァルヴァゾーネの戦い:推定約15,000人~18,000人 グラディスカの戦い:推定3,000~4,000人 タルヴィスの戦い:推定約8,000人 |
ヴァルヴァゾーネの戦い:死傷者と捕虜の合計約700人、大砲6門 グラディスカの戦い:死者約500人、負傷者 不明、捕虜2,513人、大砲8門 タルヴィスの戦い:1797年2月22日~23日にかけての一連の戦いの損害の合計約2,500人、大砲25門、荷車400台 |
クラーゲンフルト周辺でのオーストリア軍の再配置
◎クラーゲンフルト周辺でのオーストリア軍の防衛態勢
カール大公はクラーゲンフルトに到達した主力とライン方面から来た2個師団(メルカンディン師団、カイム師団)での反攻計画を諦めなければならないと考えていた。
合計約13,000人の兵力であり、ボナパルト将軍率いるフランス軍に対抗するには十分ではないと考えたのである。
もしバヤリッヒ師団が健在であり、カール大公と合流できていれば反転攻勢に出ることができただろうことが悔やまれた。
1797年3月28日、カール大公は本部をクラーゲンフルトから北に約15㎞ほどの位置にあるザンクト・ファイト・アン・デア・グラン(Sankt Veit an der Glan)に移した。
道を監視するために驃騎兵(ユサール)の1個騎兵中隊がザンクト・レオンハルト(Sankt Leonhard)に配置され、フィラハからザンクト・ファイトに繋がる道の警戒に当たった。
ロイス師団の残りの部隊はクラーゲンフルトにある製錬所に近づき、オクスカイ旅団がホレンブルクから後退できるようにするための場所を空けた。
メルカンディン師団はクラーゲンフルトの前に留まり、前衛をヴェルター湖の東端に位置するザンクト・マルティン(Sankt Martin)に配置した。
最も外側の騎兵隊の駐屯地はヴェルター湖北岸沿いのクルンペンドルフ(Krumpendorf)にあり、付近に支援部隊を配置していた。
ゼッケンドルフ将軍に対するクロアチア方面への後退命令
◎ゼッケンドルフ将軍へのプトゥイまたはクロアチア方面への後退命令
リュブリャナの北に位置するゼッケンドルフ旅団は主力から分離されており、7個大隊、4個中隊、8個騎兵中隊、騎兵1,047騎を含む4,641人を擁していた。
カール大公はゼッケンドルフ将軍に、もしクラーゲンフルトが占領された場合、およそ2日間しか持ち堪えることができないことを伝え、危険を回避するためにサヴァ川の背後に長く留まり続けることの無いよう指示し、マリボルを経由したシュタイアーマルク(Steiermark)州への計画された退却線ではなく、ドラヴァ川のほとりにあるプトゥイ(Ptuj)か、またはクロアチア方面へ退却するよう命じた。
ゼッケンドルフ旅団はドラヴァ川とサヴァ川の間の地域でできる限りベルナドット師団を引きつけて時間を浪費させ、カール大公率いる主力は多くの退路を確保しておく必要があったのである。
そして、ただちに2個軽騎兵中隊をショーシュタニ(Šoštanj)、スロヴェニ・グラテツ(Slovenj Gradec)、ラヴァミュント(Lavamünd)とヴォルフスベルク(Wolfsberg)経由でフリーザッハ(Friesach)に派遣するよう命じた。
サヴァ川の背後からフリーザッハへは上記のルートで約180㎞あり、騎兵でも3日~4日ほどの距離がある。
恐らく、3月29日~30日にフランス軍がクラーゲンフルトを占領した場合を考えてクラーゲンフルトを経由するルートではなく回り込むようなルートで移動するよう命じたのだろう。
28日、ゼッケンドルフ旅団はクラスニエ(Krašnja)に後退し、29日、そこからさらに後退している時、フランス軍主力がクラーゲンフルトに進出したという知らせを受け取った。
クラーゲンフルトからフェルカーマルクト(Völkermarkt)とザンクト・オズヴァルト(Sankt Oswald)を経由してマリボルに至る道は開かれていた。
危険を感じたゼッケンドルフはツェリエ(Celje)への後退を急いだ。
クラーゲンフルトからの撤退
3月28日、ボナパルトは本部をタルヴィジオからフィラハに移した。
そして遂にギウ、シャボー、マッセナの各師団がタルヴィジオ~フィラハ周辺で合流する目途が立ち、翌29日に再編成を行った。
その後、マッセナ師団を先行させ、シャボー師団前衛のタルヴィジオへの到着を合図としてギウ師団にヴェルター湖西岸に位置するフェルデン(Velden)を経由してクラーゲンフルトへの進軍を続けるよう命じ、ギウ師団の一部をフィラハを経由するルートでドラヴァ渓谷のパターニオン(Paternion)へ向かわせた。
3月29日朝、シャボー師団はタルヴィジオからアルノルトシュタイン(Arnoldstein)に向かい、シャボー将軍麾下の第5騎兵連隊はフィラハへ向かった。
3月29日午後2時、マッセナ師団の強力な縦隊が左の森の中の道を進み、騎兵隊が右の道を進み、クルンペンドルフ(Krumpendorf)へ向かいオーストリア軍の前哨基地を攻撃した。
前哨部隊は200人が捕虜となり、大砲2門を失ってクルンペンドルフの町に押し戻された。
メルカンディン将軍はクラーゲンフルトからザンクト・ファイト(Sankt Veit)への道の途中にあるザンクト・ドナト(Sankt Donat)へ退却し、ミトロフスキー旅団と合流した。
ミトロフスキー将軍は後衛をザンクト・ミヒャエル(Sankt Michael)で停止させた。
フランス軍はクラーゲンフルトに進軍した。
夜の間、メルカンディン中将は歩兵とともにザンクト・ファイトを経由して町の30分後方にある石橋まで退却を続けた。
ミトロフスキー旅団はザンクト・ミヒャエルとザンクト・ドナトに後衛として配置されたままだった。
同日、ベルナドット師団の前衛はリュブリャナの町を占領した。
クレマ共和国の樹立
1797年3月27日、フランスの竜騎兵大隊が何の抵抗も受けずにクレマ市内に入り、翌28日には歩兵数個中隊が侵入した。
フランス軍は市庁舎を占拠し、ザン・バッティスタ・コンタリーニ公爵を逮捕した。
地主と高貴な市民で構成されるクレマの新たな臨時政府は、クレマ共和国の樹立を宣言した。
クレマ共和国はフランスのランドリュー少将に軍の最高指揮権を委ね、ランドリューはそれを受け入れた。
ヴェネツィア軍のミンチョ川への進出とガルダ湖西と南でのフランス軍との対峙
ヴェネツィア軍がサローで武装していることを危惧したキルメイン将軍はブレシアのクトゥー(Couthaud)将軍とベルガモのランドリュー将軍に鎮圧を命じ、クトゥー将軍はレキ率いるブレシア革命軍1,200人と大隊長ファントゥッチ(Fantucci)少佐率いるロンバルド軍の一部である500人をブレシアから進軍させた。
報告や他の多くの状況から、フランスの将軍たちはすでに、ヴェネツィア政府が民衆運動を興奮させ、民衆たちと同じくフランス軍に敵対しようとしていることを完全に確信していた。
そのためヴェローナではバランド将軍に命じ砦に大砲と食料を備えさせ、ペスキエーラの通行を制限し、農民たちがミンチョ川に架けていた橋を破壊した。
そして3月29日、レキとファントゥッチ率いる軍はキエーゼ川のほとりにあるトルミニ(Tormini)に到着し、サローの前に現れた。
ファントゥッチは降伏勧告を行なったが、ヴェネツィア軍フィオラヴァンティ将軍はこれに応じなかった。
ファントゥッチがサローを攻撃しようとした時、市の代議員が現れて協定を提案し、衝突は回避されることとなった。
一方、ファントゥッチがサローに向けて行軍している間、ランドリューは1,500人の兵とともにガルダ湖の南端、ロナートとデゼンツァーノ近くに駐屯し、ヴェネツィア元老院がマッフェイ将軍とフィリベルティ将軍の指揮下でヴァレッジョとヴィッラフランカおよびその周辺に集中させたヴェネツィア軍を監視していた。
各地での反乱鎮圧のためにヴェネツィア政府は軍の一部を動員させ、ブレシアに向かわせていたのである。
しかし、この反乱はフランス軍が支援しているものであり、フランスとしては反乱を鎮圧をさせるわけにはいかなかった。
事態は一触即発であり、ヴェネツィア軍は反乱鎮圧のため、フランスがヴェネツィア共和国内各都市に樹立した傀儡政権の軍はフランスの利益と民主共和制を守るために両軍は対峙した。
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