レオーベンへの道 30:カール大公本体のクラーゲンフルト周辺への集結とスポーク将軍へのザルツブルクでの合流命令
Road to Leoben 30

ヴァルヴァゾーネの戦い、グラディスカの戦い、タルヴィスの戦い

勢力 戦力 損害
フランス共和国 ヴァルヴァゾーネの戦い:推定17,000~20,000人
グラディスカの戦い:推定約10,000人
タルヴィスの戦い:推定約11,000人
ヴァルヴァゾーネの戦い:死傷者と捕虜の合計約500人
グラディスカの戦い:ほぼ無し
タルヴィスの戦い:約1,200人
オーストリア ヴァルヴァゾーネの戦い:推定約15,000人~18,000人
グラディスカの戦い:推定3,000~4,000人
タルヴィスの戦い:推定約8,000人
ヴァルヴァゾーネの戦い:死傷者と捕虜の合計約700人、大砲6門
グラディスカの戦い:死者約500人、負傷者 不明、捕虜2,513人、大砲8門
タルヴィスの戦い:1797年2月22日~23日にかけての一連の戦いの損害の合計約2,500人、大砲25門、荷車400台

ゼッケンドルフ師団の後退

◎ベルナドット師団のロガテツへの進出とゼッケンドルフ旅団の後退

 1797年3月27日、ゼッケンドルフ少将は、マリボル(マールブルク)へ向かわせた砲兵予備隊がすでに安全であると確信した。

 同時にゼッケンドルフ将軍はベルナドット師団の接近を見て、すでにロガテツ近くの前哨基地を脅かそうとしているところだった。

 数的優位なフランス軍からの攻撃を受けないようにするため、また軍との再統合を早めるため、この日、ゼッケンドルフ将軍はサヴァ川の背後に退却した。

 ホーエンツォレルン将軍は後衛を率いリュブリャナへ後退した。

 ホーエンツォレルン旅団の前哨部隊は「強力な敵の分遣隊がリエカに派遣された。」ことを報告した。

 リエカではピットーニ将軍が防衛し、物資や装備を船に乗せて退避させていた。

スポーク将軍へのザルツブルクでの合流命令

◎スポーク将軍へのザルツブルクでの合流命令

 3月27日、カール大公は25日にスポーク中将が送った報告書をクラーゲンフルトで受け取った。

 チロル軍が後退を続けてブレッサノネを奪われ、カール大公本体はフィラハから撤退しようとしており、スポーク師団は危険にさらされようとしていた。

 そしてスポーク将軍の報告書から、カール大公が23日夜に送った書簡が届いていないことが読み取れた。

 そのため、カール大公は、すぐに「フランス軍はフィラハの前にまで進出していること。」、「3月30日までにソマリヴァ大佐の旅団はザルツブルクに到着し、スポーク将軍はソマリヴァ旅団と合流すること。」をスポーク将軍に命じた。

 この時点でスポーク将軍はリーエンツまで行軍し、その後フィラハまで35㎞ほどの地点にあるシュピタルに向かうものと考えられた。

 カール大公はフィラハからの撤退を決断していたため、スポーク師団がフィラハに向かったとしても到着する頃にはフランス軍によって占領されている可能性があった。

 そのためスポーク将軍にリーエンツからザルツブルクへ向かうよう命じたのである。

 ライン河からザルツブルクに向かっている部隊は、ソマリヴァ大佐とアウエルスペルク(Franz Xaver Johann Sarkander Alois Graf von Auersperg)大佐が指揮し、4個大隊、12個中隊、6個騎兵中隊で構成され、騎兵926騎を含む5,426人を数えた。

 リンツ(Linz)に向かっている部隊はエデル(Eder)大佐とニンプシュ(Nimptsch Freiherr von Fürst and Kupferberg, Joseph Graf)伯爵(恐らく大佐)が指揮し、3個大隊、12個中隊、12個騎兵中隊で構成され、騎兵1,850騎を含む5,950人を数えた。

 これらの合計は、7個大隊、24個中隊、18個騎兵中隊、騎兵2,776騎を含む11,376人であり、スポーク師団約8,500人が加わればおよそ20,000人となる予定だった。

おそらくレオーベン周辺で反転攻勢に移るというカール大公の戦略は若干の変更を余儀なくされ、フィラハからレオーベン~ウィーンまでの間のいずれかの地点までフランス軍の前進を遅らせつつ、被害を最小限に押さえて後退し、ザルツブルクに集結するはずであるソマリヴァ旅団及びスポーク師団とリンツに向かっているエデル旅団をレオーベン~ウィーンの間のいずれかの地点に向かわせて合流し、兵力が少なくなり後方連絡線が延びきったフランス軍を撃退することを計画していたと考えられる。

 そしてカール大公はこの日の内に前衛をフィラハから撤退させ、すべての部隊にクラーゲンフルト周辺に集結するよう命じた。

 オーストリア軍前衛のフィラハからの撤退を見たボナパルトはマッセナ師団をフィラハに進めて占領した。

カール大公による軍の再編成とクラーゲンフルト周辺への集結

 3月28日、ゼッケンドルフ師団を除くロイス師団のすべての部隊がクラーゲンフルトに集結した。

 カール大公は再編成を行い、戦える体制を整えようとした。

 カール大公率いる主力はメルカンディン、ロイス、カイムの3個師団で構成され、23個大隊、9個騎兵中隊を有し、総兵力は842騎兵を含む13,243人だった。

 メルカンディン師団はブラディ旅団とオラニエ旅団で構成され、歩兵9個大隊と9個騎兵中隊を有し、騎兵842騎を含む5,184人を数えた。

 ロイス師団はミトロフスキー旅団とリンデナウ(Lindenau)旅団で、9個大隊を有し、4,918人を数えた。

 カイム師団はラターマン(Lattermann)旅団とオクスカイ旅団で、5個大隊を有し、3,141人を数えた。

 そして徴兵されたばかりでまだどこにも配属されていない新兵や3月10日以降の敗残兵、武装した輜重隊の兵士をかき集め、旅団を形成した。

 この新たな旅団はケルペン少将が率い、2,274人を数えた。

 ケルペン少将はこの新たな旅団をユーデンブルク(Judenburg)に集め、装備を整えて組織化し、早く戦うことができるよう訓練を行った。

 軍の物資はフリーザッハ(Friesach)に送られた。

 クラーゲンフルトと軍の退却線に沿った町の駐屯地は、兵舎、病院、制服の備蓄、食糧倉庫などを撤収してシュタイアーマルク(Steiermark)州に移動し、そこから一部はさらに内地へ戻るよう命じられた。