レオーベンへの道 20:メルカンディン師団の再出発とオクスカイ旅団によるタルヴィジオの放棄
Road to Leoben 20

ヴァルヴァゾーネの戦い、グラディスカの戦い、タルヴィスの戦い

勢力 戦力 損害
フランス共和国 ヴァルヴァゾーネの戦い:推定17,000~20,000人
グラディスカの戦い:推定約10,000人
タルヴィスの戦い:推定約11,000人
ヴァルヴァゾーネの戦い:死傷者と捕虜の合計約500人
グラディスカの戦い:ほぼ無し
タルヴィスの戦い:約1,200人
オーストリア ヴァルヴァゾーネの戦い:推定約15,000人~18,000人
グラディスカの戦い:推定3,000~4,000人
タルヴィスの戦い:推定約8,000人
ヴァルヴァゾーネの戦い:死傷者と捕虜の合計約700人、大砲6門
グラディスカの戦い:死者約500人、負傷者 不明、捕虜2,513人、大砲8門
タルヴィスの戦い:1797年2月22日~23日にかけての一連の戦いの損害の合計約2,500人、大砲25門、荷車400台

スポーク将軍のコルティナへの到着とメルカンディン師団のフィラハへの出発

 マッセナ師団の前衛がアルプス山脈に侵入した後(恐らく18日~19日)、メルカンディンはコルティナに到着したスポーク将軍からカール大公の意図をより正確に知らされた。

 同時に、マッセナがロンガローネからベッルーノに戻ったことを知り、クロイツベルクに差し迫った危険はないことを確信した。

 そのためメルカンディンは、19日~20日に再びオーバードラウブルクに向けて出発し、20日~21日にオーバードラウブルクでカール大公が17日にファッラ(Farra)の本部から送った最後の命令を受け取った。

※カール大公は3月16日に行われた「ヴァルヴァゾーネの戦い」に敗北し、16日夜~17日にはパルマノヴァ要塞に後衛(ホーエンツォレルン旅団)を配置してその後ろのトッレ川とイゾンツォ川の間の地域に後退し、18日にはさらにイゾンツォ川の背後に後退している。その後、19日に「グラディスカの戦い」に敗北し、20日にイゾンツォ川の背後から撤退している。

 メルカンディン師団の一部をポンテッバに、他の一部をフィラハに行進させるよう命じる内容だった。

 メルカンディン師団は地元住民の噂に翻弄されて時間を浪費していたため、その行軍には大きな遅れが生じていた。

 もし地元住民の噂に翻弄されなければ、すでにフィラハに到着しオクスカイ旅団と合流していただろう。

オクスカイ旅団によるタルヴィジオの放棄

 カサソーラ峠での敗北の後、オクスカイ旅団の兵力はわずか900人に過ぎなかった。

 そこへオーストリア本国からの1,000人の増援がポンテッバに到着した。

 しかし、これらの大隊は大部分が新兵で構成されており、大規模な作戦の実行は期待できなかった。

 オクスカイがクラーゲンフルトを担当していたノイゲバウアー中将宛に増援の緊急要請を送ったがノイゲバウアー将軍には守備隊以外に保有している兵力は無く、オクスカイの増援要請を断らざるを得なかった。

 そこでオクスカイ将軍から送られてきた書類を複写し、メルカンディン将軍へ送った。

 しかし行軍を再開したメルカンディン師団は先頭が3月20日にリーエンツ到着したばかりであり、リーエンツからポンテッバまで約60㎞の距離があったため、即座に部隊をポンテッバに到着させることはできなかった。

 オクスカイは20日まで防御に適したポンテッバで増援の到着を待っていたが、増援は到着せずその地を離れた。

 オクスカイはタルヴィジオに後退し、数が少なく訓練もあまりされていない部隊だったため、数的優位な敵と戦ってはならないと考え、そこからさらにポドコーレンへ向かって後退した。

◎オクスカイ旅団のタルヴィジオの放棄とそれに関わるオーストリア軍の危機

 これらの後退の結果、もしマッセナがオーストリア軍よりも早くタルヴィジオを占領した場合、プレディル湖を経由してイゾンツォ川に通じる道はマッセナ師団によって遮断され、イゾンツォ渓谷を通ってタルヴィジオの方向に後退する予定であるバヤリッヒ師団(ゴントルイユ旅団、グラッフェン旅団、コボロス旅団など)の退路が断たれてしまう状況となった。

ベルガモ共和国とブレシア共和国に関するヴェネツィア政府との最初の交渉

 3月20日、ブレシアを追われたバッタジアの報告を受け取って事態を把握したヴェネツィア政府は、「絶対防衛」の準備を全連隊に命じ、諸都市に共和国への忠誠の誓いを改めて要求した。

 同時に枢密院議員フランシスコ・ペーザロを派遣し、タリアメントでボナパルトと会見した。

 ヴェネツィア政府はベルガモとブレシアの所有権を主張し、不法に占領している武装勢力を排除するためにボナパルトの承認を得たいと申し出た。

 しかしボナパルトは、「彼らはフランスの友人である。」と答えた。

 そして「ヴェネツィア共和国の上院はフランスの敵の派閥からすべての役人を選び、さらに敵に武器を供給している。このような状況下で、フランスは最悪の意図がヴェネツィア上院にあると考えるべきではないか?そもそも、もう既に宣戦布告されてるのではないか?それでも、上院がチャンスと考えて行動を起こせば、それはヴェネツィアに破滅をもたらすだろう。ヴェネツィアが領有権を維持するための最も確実な方法は、フランスと同盟を結び、12,000人の兵と24門の大砲を皇帝(オーストリア帝国)との戦争に派遣することだった。さらに、当然のことながら、憲法の変更は避けられず、少なくとも本土で最も尊敬されている一族が黄金の本に登録されることは避けられないだろう。あなたがすぐに戻ってきて、同盟を結ぶ権限をもたらしてくれるように願っている。」と言った。

 ペーザロはすぐにヴェネツィアへ戻り、これら交渉の結果を伝えた。