レオーベンへの道 27:チロル軍のブレッサノネの放棄とヴィピテーノへの後退
Road to Leoben 27
ヴァルヴァゾーネの戦い、グラディスカの戦い、タルヴィスの戦い
勢力 | 戦力 | 損害 |
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フランス共和国 | ヴァルヴァゾーネの戦い:推定17,000~20,000人 グラディスカの戦い:推定約10,000人 タルヴィスの戦い:推定約11,000人 |
ヴァルヴァゾーネの戦い:死傷者と捕虜の合計約500人 グラディスカの戦い:ほぼ無し タルヴィスの戦い:約1,200人 |
オーストリア | ヴァルヴァゾーネの戦い:推定約15,000人~18,000人 グラディスカの戦い:推定3,000~4,000人 タルヴィスの戦い:推定約8,000人 |
ヴァルヴァゾーネの戦い:死傷者と捕虜の合計約700人、大砲6門 グラディスカの戦い:死者約500人、負傷者 不明、捕虜2,513人、大砲8門 タルヴィスの戦い:1797年2月22日~23日にかけての一連の戦いの損害の合計約2,500人、大砲25門、荷車400台 |
キウーサでの戦闘
1797年3月24日夜明け、フランス軍はコルマへの攻撃を再開した。
軽歩兵部隊は東の高地を登ったが、チロル州兵からの攻撃を受けなかった。
しかしエイサック渓谷の道上では、ロイ騎兵大尉がフランス部隊を撃退して優位性を示した後に道を明け渡し、キウーサに撤退した。
ロイ騎兵大尉はキウーサに到着するとデゲルマン中佐の指揮下に入って大隊に組み込まれ、峠の防衛任務を行った。
フランス軍は道をゆっくりと前進していた。
軽歩兵部隊は高台へ迫り、さらに前進した。
この小さな町への入り口は封鎖され、税関のため周囲は高さ1.5mの防壁で囲まれ、長さ200mほどのラディチャー(Laditscher)と呼ばれる屋根付きの橋で守られており、そこには400人のオーストリア兵が配置されていた。
キウーサを見下ろす高地にあるブランゾール城(Burg Branzoll)は、その砲火を橋と峡谷からの射撃と合わせて十字砲火を形成することが可能だった。
散兵は町の中の私有地の囲いを防衛し、東の高山からの小道は逆茂木で塞がれ、正規軍に支援されたチロル州兵によって防衛されていた。
◎キウーサでの戦闘
◎1,700年頃のキウーサ
※屋根付きの橋や城があり、私有地は壁で囲まれているのがわかる。山の上の方には修道院がある。
第4半旅団に付属した騎兵隊がキウーサへの最初の接近を行い、第17半旅団所属の大隊(恐らくバラグアイ・ディリエール師団)が東の高山からオーストリア軍を追い出して渓谷に後退させ、チロル州兵を分散させた。
第4半旅団の2個大隊と第29半旅団の2個大隊は力ずくで防壁を迂回して郊外に進出し、一部は橋に到達した。
しかし、橋はバリケードで囲まれており、十字砲火に晒されたため、無秩序に後退することを余儀なくされた。
正午に近づいた頃、ジュベールはキウーサを突破するためにデュマ師団を前進させた。
そして1個軽半旅団にオーストリア軍の右側面にある切り立った岩山を登らせた。
デュマ師団は橋へ突撃を行ったが、側にいた士官は次々と倒された。
そのためデュマ将軍は1人で師団の指揮を執り、しばらくの間橋の入り口で戦うことを余儀なくされた。
※「クラウゼン橋(キウーサ橋)のデュマ将軍」。パリの日刊紙「Le Petit Journal」に掲載された挿絵。1912年。
その直後、岩山を登っていたフランスの軽歩兵半旅団が右側面にある険しい崖を登りきり、渓谷に配置された守備隊に石塊や岩片を転がした。
守備隊は、この新たな攻撃に動揺し、混乱に陥った。
ジュベールは好機を掴み、第11半旅団と第33半旅団を急進させた。
屋根付き橋の守備隊は数に圧倒されて捕虜となり、デゲルマン中佐は戦闘を続けながら後衛をブレッサノネに後退させた。
そしてブレッサノネを防衛するビカソヴィッチ将軍の指揮下に入り旅団と合流した。
ブレッサノネでの戦闘とデュマ中将の負傷
◎1774年のキウーサ及びブレッサノネ周辺地図
ジュベール将軍も多くの部隊を前進させ、騎兵隊による攻撃は両軍とも日没まで続いた。
神聖ローマ皇帝フランツ2世の嫉妬よって戦場に送り込まれた弟のヨハン大公(Erzherzog Johann Baptist von Österreich)率いる少数の竜騎兵隊はロイ大尉、フロフォード大尉、ゴードン中尉、デルザニッチ(Dersanich)中尉によって率いられ、数的優位のフランス騎兵隊に対し勇戦していた。
デュマ将軍率いる騎兵隊が孤立しているのを見て、これらの勇敢な竜騎兵達はフランス軍の真っ只中に突入した。
副官であるデルモンコート大尉はすぐに助けに駆け付けたが、デルモンコート大尉は肩に重傷を負い、デュマ中将も負傷して大きな損害を受けた。
竜騎兵の努力とブレッサノネの前に配置された大砲の広範の砲撃が、歩兵の退却をカバーした。
しかしブレッサノネの位置はフランス軍がすでに高所に進出しているため、放棄する必要があった。
歩兵はブレッサノネの町を通り抜け、インスブルックへの道をフランス軍が迂回しようとしている地点であるウンターアウエ(Unter-Aue)に向かって後退した。
ブレッサノネから運び出すことができなかった物資はすべてフランス軍の手に渡り、ケルペン師団はこの日の戦闘(コルマ~ブレッサノネ)で士官11人、兵士600人を失ったと言われている。
チロル軍のヴィピテーノへの後退
◎ブレッサノネを放棄したケルペン師団の置かれている状況とケルペン将軍の決断
ジュベール師団はブレッサノネを越えて追跡したものの、エイサック渓谷での戦闘における大きな損害と疲労により師団の大部分をその場で野営させ、オーストリア軍の後衛から距離を置いていた。
ケルペン師団はインスブルックとリーエンツ(Lienz)への道の分岐点に位置するアイカ(Aica)に配置されていた。
しかし、ケルペン中将はアイカに長く留まることを考えていなかった。
チロル軍左翼を越えるためにリエンツ(Rienz)渓谷を前進するバラグアイ・ディリエール師団は、かなりの進捗を見せていた。
両側面はチロル州兵隊の撤退によって露出し、クロイツベルク(Kreuzberg)のスポーク師団との連絡線も断たれようとしていた。
ケルペン将軍はリオ(Rio)に向かって後退するか、ヴィピテーノ(Vipiteno)に向かって後退するかを決定しなければならなかった。
リオへの後退を選択した場合、、ラウドン将軍との連絡も完全に断ち切り、州都インスブルックを放棄することとなる。
ブレッサノネ近郊での戦闘中、オラニエ将軍からの書簡とともにカール大公からの書簡も届けられていた。
書簡には、ポンテッバの喪失と、フランス軍がフィラハに向かって前進したことが書かれていた。
これがケルペン師団の後退路を決める決定打となり、ケルペン将軍は師団をヴィピテーノに後退させることを決断した。
ケルペンはヴィピテーノにライン方面からケルンテン州方面へ向かっていた7,000人に満たないソマリヴァ旅団を引き付け、次の手立てによってヴィピテーノを保持し続けることを期待していた。
散り散りとなっていたチロル州兵が再び集結してヴィピテーノの両側の高地を占領し、イン(Inn)渓谷へ繋がる小道を塞ぎ、クーフシュタイン要塞(Festung Kufstein)を占領する予定だった。
◎1797年3月24日時点でのラウドン旅団の状況
ラウドン将軍は右側面を覆い、ヴィルピアノ(Vilpiano)近郊に前衛をメラノ近郊に旅団本体を配置し、ヴィピテーノに繋がるサレンティーノ(Sarentino)に1個大隊を配置していた。
ラウドン旅団からヴィピテーノまでは2つの連絡線があり、1つは冬には使用できないサレンティーノのあるタルヴェーラ渓谷、もう1つは冬でも使用できるパッシーリア(Passiria)渓谷である。
これらの山々はチロル州兵によって防御されていた。
ケルペンは主力とともにヴィピテーノに急行し、そこで陣地を強化して防御するための手配を行い、インスブルックから州兵を呼び出すことができるよう手配しようとした。
これらの計画の実行のために時間を稼ぎ、そしてフランス軍の前進を妨害し主力が回復するための時間を稼ぐために、デゲルマン中佐が指揮する3個大隊、半個騎兵中隊、騎兵50騎を含む約1,500人を前衛としてアイカ近郊に残した。
ジュベール将軍はケルペン師団の後退に合わせてブレッサノネに入り、師団に少しの休息を与えた。
ジュベール将軍の懸念とプステリア渓谷への道の確保
この時、ジュベール将軍の手にその後の運命が委ねられていた。
リエンツ(Rienz)渓谷はジュベール将軍の手にあり、プステリア渓谷を通じてボナパルト本体と連絡を取るかどうかはジュベール将軍次第だった。
しかし、2つの懸念がジュベール師団の前進を阻んでいた。
◎ジュベール将軍の懸念と決断
ジュベール師団の右側には約8,500人を擁するスポーク師団があり、ケルペン師団もジュベール師団の前に立ち塞がり、リオに兵力を配置してリエンツ渓谷の入り口を占領していた。
それはジュベールが分遣隊をリーエンツ(Lienz)に向かわせた場合、その行進を妨害する危険な障害となり、もしくはジュベールが師団を率いてリーエンツに向かった場合、即座にスポーク師団と協力してジュベール師団の後方を攻撃する可能性があった。
そのためジュベールは、初めにケルペン師団をヴィピテーノまで押し続けてケルペン師団の活動を麻痺させ、その間、プステリア渓谷への道を確保ことを決断した。
3月25日、ジュベールはプラットナー(Plattner)の石造りの建物に威力偵察を行った。
フランス軍は前衛に攻撃を仕掛けたが、すぐに撤退した。
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