レオーベンへの道 28:スポーク将軍のカール大公本体との合流の決意とフランス軍のフィラハへの接近
Road to Leoben 28
ヴァルヴァゾーネの戦い、グラディスカの戦い、タルヴィスの戦い
勢力 | 戦力 | 損害 |
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フランス共和国 | ヴァルヴァゾーネの戦い:推定17,000~20,000人 グラディスカの戦い:推定約10,000人 タルヴィスの戦い:推定約11,000人 |
ヴァルヴァゾーネの戦い:死傷者と捕虜の合計約500人 グラディスカの戦い:ほぼ無し タルヴィスの戦い:約1,200人 |
オーストリア | ヴァルヴァゾーネの戦い:推定約15,000人~18,000人 グラディスカの戦い:推定3,000~4,000人 タルヴィスの戦い:推定約8,000人 |
ヴァルヴァゾーネの戦い:死傷者と捕虜の合計約700人、大砲6門 グラディスカの戦い:死者約500人、負傷者 不明、捕虜2,513人、大砲8門 タルヴィスの戦い:1797年2月22日~23日にかけての一連の戦いの損害の合計約2,500人、大砲25門、荷車400台 |
スポーク師団のリーエンツへの集結とカール大公本体との合流の決意
クロイツベルク(Kreuzberg)周辺のスポーク将軍は、前線を強化しリヴァルゴ(Rivalgo)の前哨部隊にベッルーノとフリウーリ方面からの道を観察させ、ロンガローネまで偵察させていた。
そしてゼットウィッツ少佐にトルメッツォに再び赴きブート(But)川の渡河地点を確保しフランス軍の動きを偵察するよう命じていた。
アゴルドに1個大隊、モエーナに2個大隊を配置しており、これらがチロル軍との連絡を維持していたが、22日にモエーナの2個大隊がブレッサノネへの後退を余儀なくされた後、アゴルドの1個大隊はカプリーレ(Caprile)とその後ろのリヴィナッロンゴ・デル・コル・ディ・ラーナ(Livinallongo del col di lana)へ撤退していた。
その後、フランス軍はブレッサノネへも進軍し、チロル軍はインスブルック方面への撤退を余儀なくされており、プステリア渓谷を脅かそうとしてた。
もしフランス軍がプステリア渓谷に進出してきた場合、スポーク師団の退路は遮断されてしまう可能性がある。
そのため3月25日、スポーク将軍は師団の全部隊をリーエンツ(Lienz)に集結するよう命じた。
◎スポーク将軍によるリーエンツへの集結命令
スポーク師団は13個大隊、半個騎兵中隊で構成され、騎兵70騎を含む8,474人を数えた。
そしてスポーク将軍はフランス軍の近くを通り抜けてフィラハに向かいカール大公と合流することを決意し、これらの経緯を記した書簡を送った。
この時点では23日夜にカール大公が送った書簡は届いていなかったのだと考えられる。
カール大公のフィラハからの撤退の決断
3月25日、カール大公はメルカンディン師団をフィラハからフェルデンに撤退させ、再配置を行った。
この時、フランス軍は未だタルヴィジオにおり、その前衛はコッカウ(Coccau)を通過していなかった。
騎兵隊の一部をフィラハの前方に位置するブライべルク(Bleiberg)の道に配置し、フィラハにブラディ(Brady)旅団を配置した。
ブラディ将軍はドラヴァ川に架かる橋を重点的に防衛する方針を取った。
前衛をフィラハのリント(Lind)に配置し、歩兵の分遣隊をローゼック(Rosegg)への橋に配置した。
メルカンディン師団本体はフェルデン周辺に配置された。
◎フランス軍のフィラハへの接近
3月26日、フランス軍の主力がフィラハ近くに進軍し、そして前哨基地をフィラハから約1時間ほどの地点に進めた。
そして分遣隊をブラディ旅団の左翼方向にあるドラウ(Drau)に派遣した。
ブラディ将軍はフランスの分遣隊の動きを観察するために半個中隊をフェーダーラッハ(Föderlach)に派遣した。
カール大公はフランス軍がガイル渓谷に出てドラヴァ渓谷のシュピタルに進出していることを懸念してパウムガルテン(Paumgarten)大尉率いる哨戒部隊をシュピタルに派遣した。
哨戒部隊はシュピタル、ザンクト・ミヒャエル、ラートシュタットを経由してロッテンマン(Rottenmann)に進み、エンス渓谷を観察するよう命じられていた。
その後、カール大公はこのままフィラハで戦うよりもクラーゲンフルトに後退し、ロイス師団と合流してからフランス軍に対抗すべきであると考え、フィラハからクラーゲンフルトへ本部を移した。
ベルナドット将軍への書簡とフランス軍の置かれている状況
3月26日、ボナパルトはベルナドット将軍に書簡を送った。
そこには、「カール大公やヴェネツィア軍によって後方が攻撃された場合の対処方法」、「ベルナドット師団にゴリツィアからトルミン(Tolmin)までの間にある山道をよく研究すること」、「ベルナドット師団の前にいる敵兵力は1,500人であり、これを攻撃して捕虜を得て情報を手に入れること」、「敵軍にスパイを送り込むこと」などが書かれていた。
この時点でのベルナドット師団の主な役割は前進してリュブリャナを占領することではなく、ゴリツィアの本部からタルヴィジオまでの連絡線を守ることと情報収集であり、主力はタルヴィジオ周辺に集結しつつあるマッセナ師団、ギウ師団、シャボー師団であることがわかる。
ボナパルトは戦域におけるより多くの情報を収集して情報の確度を上げ、時間と空間をイメージしつつオーストリア軍の動きを予測し、最善の道(勝ち筋)を探ろうとしていたのだろう。
ボナパルトはこの時点で総裁の一人であるカルノーから連絡のあったオーストリア軍のライン方面からの増援約30,000人の一部であるメルカンディン師団及びカイム師団しか到着していないだろうことを把握しており、残りは未だ後方でカール大公軍と合流しようと行進しているだろうことを予測していた。
もしそれらの増援がカール大公軍と合流した場合、フランス軍は数的劣勢な立場に置かれてしまうのである。
数日前にもカルノーに増援の要求をしたが、これから急遽増援をイタリア方面に送ったとしても間に合わないだろうことが予想された。
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