アルコレ戦役 34:連絡の齟齬による不運とリヴォリからの撤退
Battle of Arcole 34

カルディエーロの戦い、アルコレの戦い

勢力 戦力 損害
フランス共和国 カルディエーロの戦い:約13,000人
アルコレの戦い:約19,000人
カルディエーロの戦い:死傷者と捕虜の合計約1,800人、大砲2門
アルコレの戦い:死傷者約3,300人、捕虜約1,200人
オーストリア カルディエーロの戦い:12,000人~16,000人
アルコレの戦い:約22,000人
カルディエーロの戦い:死傷者と捕虜の合計1,243人
アルコレの戦い:死傷者約2,070人、捕虜約4,144人、大砲11門

リヴォリからの撤退

 11月21日午前1時半、ダヴィドウィッチは20日午後11時と日時の記入された報告書をコーラにいるデラー大佐から受け取った。

 「敵が日暮れとともにオーストリア軍右翼を押し戻したこと」が書かれていた。

 この報告によりフランス軍が21日夜明けとともにダヴィドウィッチ師団に深刻な攻撃を仕掛けてくることが予想された。

 そのため、これまでリヴォリを防衛するために行動してきたダヴィドウィッチは「リヴォリを全力で防衛するつもりだがチロル軍は包囲の危機に直面しており、何か不測の事態が生じた場合、秩序立って包囲から逃れるために撤退準備を行うこと」、「ルーゴから良い連絡が届かなかった場合、チロル軍はリヴォリを撤収しアラに撤退しなければならないだろうこと」が書かれた書簡を持たせた使者をアルヴィンチの元に送った。

 しかし夜明けまでに良い連絡は届かず、チロルへの退路が遮断されフランス軍主力によって包囲される危険性は時を追うごとに増していった。

 正面のフランス軍はマッセナ師団、ヴォーボワ師団、マッカール将軍及びボールヴォワール将軍率いる予備軍で構成されており、ガルダ湖とアディジェ川の間に広がっていた。

◎リヴォリからの撤退

 フランス軍はリヴォリに向かって前進しており、遂にダヴィドウィッチ師団のレクツェニー(Leczeny)中佐率いる前衛部隊と衝突した。

 フランス軍との接触を確認したダヴィドウィッチは包囲される可能性から脱するためにすべての部隊に撤退命令を下した。

 撤退はすぐに手配されて実行に移された。

 師団はリヴォリの野営地を片付け、前衛だったレクツェニー中佐の部隊が後衛となりオクスカイ師団はバルド山方面に、ダヴィドウィッチ本体はアディジェ渓谷方面に向かって後退した。

リヴォリへの反転と敗北

 11月21日午後9時、アラに向かって後退しているダヴィドウィッチの元にアルヴィンチが19日夜にオルモから送った書簡が届けられた。

 そこには「フランス軍は主力をチロル軍に振り向け、フリウーリ軍はその妨害を行っていること」、「リヴォリ周辺を全力で防衛することを望んでいること」などが書かれていた。

 しかしダヴィドウィッチはすでにリヴォリ周辺からの撤退を速やかに行っていたため、先ほど出した撤退命令を即座に変更し、すべての部隊に引き返して撤退前の位置を取り戻すよう命令を発した。

 そして後衛のレクツェニー中佐の部隊に、前衛となりフランス軍に向かって前進するよう指示した。

 この命令は各列の間にかなりの混乱とためらいをもたらした。

 レクツェニー中佐は前衛としてフランス軍に立ち向かった。

 しかし、数的優位なフランス軍に押し戻され支援を求めた。

 その後、オーストリア軍全体が散兵戦に巻き込まれた。

 カヴァイオーンに配置された右翼であるオクスカイ旅団はフランス軍左翼を撃退したが、すぐにフランス軍左翼に支援が入りカヴァイオーンに釘付けにされた。

 オーストリア軍中央と左翼は戦いが始まったにも関わらず、未だ攻撃準備を整えていなかった。

 そのため、瞬く間にボーモント将軍率いる6個騎兵中隊に中央が突破され、他の列が左翼に向かって勢いよく前進した。

 同時にガルダ湖東岸に多くの船が接近して上陸し始めた。

 ペスキエーラ要塞で指揮を執っているギョーム将軍が部隊を派遣していたのである。

 正面は不利な状況にあり、後方では右側背を衝かれて退路を遮断される危険を察したダヴィドウィッチは、オクスカイ旅団を背後にあるバルド山の最も低い斜面に退却させ、残りをアディジェ渓谷に退却させた。そしてそこに陣取ってフランス軍に抵抗するよう師団全体に命令を下した。

 ダヴィドウィッチは戦闘を行いながらの退却を余儀なくされ、マッセナはバルド山でオーストリア軍が攻撃準備を整える前に先制しようとしたが、すべての攻撃がはね返された。

オージュロー師団による退路の遮断とジュベール将軍による追撃

 その頃オージュローは6,000人以上の兵を率いてルーゴとサンタ・アナを越えてレッシーニ山脈のフォッセ、ブレオニオ、コステ近くでルシニャン旅団とセウレン中佐の部隊を押し戻し、オージュロー師団の前衛はペーリにまで進出しアラに向かおうとしていた。

 ダヴィドウィッチは、オクスカイ将軍に旅団を率いてバルド山を登りマドンナ・デッラ・コロナに移動するよう命じ、他の将軍達にはドルチェを経由してアラに移動するよう命じた。

 マッセナはジュベール旅団を切り離し、アディジェ川右岸沿いを行進するオーストリア軍の列がドルチェに到達するのが困難なほどの猛烈な勢いでアディジェ渓谷に突入させた。

 途中、オーストリア軍の1個大隊が孤立してアディジェ川を背後に包囲され、川を渡るための船は無く、勇敢な抵抗の後に捕虜となった。

 ドルチェに到達したダヴィドウィッチは非常に危険な位置にいることに気づいた。

 師団はアディジェ川と高い山々に阻まれ、通行可能な道はフランス軍によって占領され、完全に包囲されていたのである。

◎フランス軍によるダヴィドウィッチ師団本体の完全包囲

 ボナパルトはマッセナ師団、ヴォーボア師団、リヴォリ高原の予備軍を止め、ジュベール将軍のみを前進させドルチェまで逃亡者を追跡した。

 しかしドルチェでビカソヴィッチ旅団の激しい抵抗に合い撃退された。