アルコレ戦役 32:ダヴィドウィッチ師団包囲殲滅計画への変更とアルヴィンチ最後の作戦
Battle of Arcole 32
カルディエーロの戦い、アルコレの戦い
勢力 | 戦力 | 損害 |
---|
フランス共和国 | カルディエーロの戦い:約13,000人 アルコレの戦い:約19,000人 |
カルディエーロの戦い:死傷者と捕虜の合計約1,800人、大砲2門 アルコレの戦い:死傷者約3,300人、捕虜約1,200人 |
オーストリア | カルディエーロの戦い:12,000人~16,000人 アルコレの戦い:約22,000人 |
カルディエーロの戦い:死傷者と捕虜の合計1,243人 アルコレの戦い:死傷者約2,070人、捕虜約4,144人、大砲11門 |
ダヴィドウィッチ師団包囲殲滅計画への変更
11月18日午後以降、ボナパルトはダヴィドウィッチから送られたアルヴィンチへの使者を捕らえたことにより、チロル軍の詳細な配置を手に入れていた。
そしてヴォーボワ師団がペスキエーラでミンチョ川を渡って後退してしまったことによりヴィッラノーヴァでマッセナ師団と合流させてフリウーリ軍を攻撃する計画は時間的に現実的では無くなっていた。
これによりフリウーリ軍を少しでもヴェローナから遠ざけることが難しくなる可能性が高まるだけでなく、計画自体を変更しなければならなくなった。
ボナパルトは当初の計画を変更し、フリウーリ軍を遠ざけるのではなくカルディエーロで食い止めるようにし、ヴェローナに近いチロル軍を早急に打倒することを決断した。
◎ナポレオンによるチロル軍包囲殲滅計画への変更
恐らくチロル軍およびフリウーリ軍の位置を考えたとき、フリウーリ軍はブレンタ川の背後へ後退していくだろうことが想定されたためその脅威の度合いは薄れた。チロル軍はヴェローナ近くまで進出してきておりオージュロー師団によってチロルへの退路を遮断できることが想定されたため、ヴォーボワ師団とマッセナ師団でダヴィドウィッチ師団の正面を攻撃し、ペスキエーラから船でガルダ湖東岸に部隊を上陸させてバルド山方面への退路を遮断させることによりダヴィドウィッチ師団を完全に包囲することができると考えたのだろう。
そしてボナパルトはマッセナ師団にカルディエーロに向かうよう命じた。
ヴィッラノーヴァに到着したマッセナ師団の状況は酷いものだった。
食糧は不足し、特に第32半旅団は3日間何も補給を受けていなかった。
そのため兵士たちは夜中に軍旗を放り出し食糧を探すために住民の家に個別に訪問して略奪を行った。
この時、フランス軍は有利な態勢ではあったものの少しの遅れがフランス軍を窮地に追い込む可能性がある状況だった。
そのためマッセナは兵士達の空腹にもかかわらずカルディエーロへの出発を決心し、ボナパルトに遅滞なくパンを送ることを求める書簡を送った。
マッセナはカルディエーロに出発し、その後に師団の大部分が続いた。
食糧が不足している状況だったが、師団は行進を止めることは無かった。
11月19日未明、ボナパルトはマッセナの書簡を受け取ると、マッセナにカルディエーロでルクレール将軍の部隊と交代してヴェローナに戻るよう命じた。
11月19日朝、ボナパルトはヴェローナを発ち、ヴィラフランカに向かった。
マッセナはヴェローナに到着するとすぐに第32半旅団と第75半旅団を切り離して休養させ、残りの部隊とともにヴィラフランカに移動するよう命令を受けた。
マッセナはそこに集まったすべての軍を指揮することになっていた。
アルヴィンチ最後の作戦
11月19日午前9時、総司令官アルヴィンチ、カスダノウィッチ将軍、プロべラ将軍、シュビルツ将軍、ミトロフスキー将軍、ホーエンツォレルン将軍、そして副官の中佐や大佐、ヴィンセント男爵と参謀長ヴァイロサー中佐がオルモに集結した。
フリウーリ軍はアルコレの戦いでの敗北により兵力は約16,000人にまで打ち減らされていた。
それにもかかわらず将軍たちは「もしフリウーリ軍が活動を停止したままなら、ボナパルトは全力を尽くしてチロル軍に身を投じ、それは粉砕される可能性があるだろう。これを防ぐには、すべてのリスクを冒さなければならない。」との発言に賛成票を投じた。
同時にアルヴィンチは出動命令を発した。
アルヴィンチは19日の内にフランス軍主力はフリウーリ軍に背を向けヴェローナを経由してチロル軍に向かって行進していることを確信した。
アルバレード、アルコレ、ヴィッラノーヴァを偵察し、フランス軍が後退した場合はサン・ボニファーチョとアルコレを占領するよう命令が直ちにミロラドヴィッチ少佐に送られた。
しかし、この命令がミロラドウィッチ少佐に届くのが遅すぎたため、ミロラドウィッチ少佐は騎兵隊をロニーゴへ前進させることしかできず、翌20日朝に命令を実行することになった。
そしてアルヴィンチはダヴィドウィッチにも書簡を送った。
「ボナパルトは20日にチロル軍の前に姿を見せ、22日か23日にはアディジェ川に引き返してフリウーリ軍と対決することを望んでいます。たった今、チロル軍に向かって全力で進軍しているフランス軍の計画を妨害しているところです。その妨害にもかかわらずダヴィドウィッチ師団がフランス軍に直面したとしてもアディジェ川を渡り右岸にも兵力を分割して敵の攻撃に備えて下さい。ダヴィドウィッチ師団のみで敵の最初の攻撃を全力で撃退し、ボナパルトが主力をフリウーリ軍に向けた場合、ボナパルトの後ろを追跡してください。私は、それぞれの側からの最も正確な合意と可能な限りの最大限の協力により、11月1日以降に開始されたすべての作戦に費やされた多大な努力と重大な犠牲の目的を、今、達成することを喜んで望んでいます。」
◎アルヴィンチ最後の作戦
つまりアルヴィンチがフランス軍の後ろを追跡しているからダヴィドウィッチはフランス軍の最初の攻撃を全力で撃退し、その後にフランス軍を挟撃することを考えていたのである。
この書簡は信頼できる人物に託され、ヴェローナとフランス軍の直中を通り、ダヴィドウィッチの元に最短ルートで向かった。
この日、フリウーリ軍側ではプロベラ将軍指揮下で旅団を率いていたロッセルミニ少将が死亡したと言われている。
戦傷のためなのか病死なのかなどの死因は不明である。
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