アルコレ戦役 24:アルヴィンチの計画と雪に阻まれたダヴィドウィッチ師団の進軍
Battle of Arcole 24
カルディエーロの戦い、アルコレの戦い
勢力 | 戦力 | 損害 |
---|
フランス共和国 | カルディエーロの戦い:約13,000人 アルコレの戦い:約19,000人 |
カルディエーロの戦い:死傷者と捕虜の合計約1,800人、大砲2門 アルコレの戦い:死傷者約3,300人、捕虜約1,200人 |
オーストリア | カルディエーロの戦い:12,000人~16,000人 アルコレの戦い:約22,000人 |
カルディエーロの戦い:死傷者と捕虜の合計1,243人 アルコレの戦い:死傷者約2,070人、捕虜約4,144人、大砲11門 |
アルヴィンチの計画とアディジェ川渡河のための時短ルートの模索
11月13日、ゴンビオンに本部を設置したアルヴィンチは行動を早めるために、レニャーゴに進み障害なくアディジェ川を渡るルートとは別のルートがないかを素早く検討した。
その結果、アルヴィンチはカスダノウィッチにゼーヴィオに橋を架けて14個大隊と5個騎兵中隊でアディジェ川を渡るよう命令した。
そしてティオーネとスキオに3個大隊を持っていたミトロフスキーにヴィチェンツァの南西に位置するモンテッキオ・マッジョーレ(Montecchio Maggiore)に集結するよう命令した。
セウレンの分遣隊がボルカに到達したため若干の連絡線の変更を行うことを目的としていた。
アルヴィンチ自身は12個大隊と3個騎兵中隊の最前列に梯子を配備し、ヴェローナに前進して城壁を登ることを決断した。
アルヴィンチはラヴァーニョ(Lavagno)からサン・ジャコモ(San Giacomo)まで拡大しており、前衛はサン・マルティーノを保持し続けていた。
そして部隊をロッタを越えてアディジェ川方面とアルプス山脈方面に向かわせた。
哨戒部隊はサン・ミケーレのフランス軍を追い出しヴェローナの門(ヴェスコヴォ門とサン・ジョルジュ門)まで歩き回った。
この時、アルヴィンチは本気でヴェローナの攻略を行おうとしたわけではなく、ヴェローナにフランス軍を誘導し、ゼーヴィオや他の右岸側の地点へのアディジェ川の渡河計画を隠すことを目的としてヴェローナの街に圧力を加えたのである。
もしボナパルトがヴェローナを強化した場合、カスダノウィッチ師団14個大隊、5個騎兵中隊(ガヴァシーニ中佐、ブラベック大佐、ブリジド(Brigido)大佐、ミトロフスキー少将の旅団)がゼーヴィオに建設する予定である舟橋でアディジェ川を渡河し、同時に12個大隊と3個戦隊(シュビルツ将軍とホーエンツォレルン将軍、スティッカー(Sticker)大佐の旅団)がヴェローナを攻撃するという計画だった。
そして、15日までにはダヴィドウィッチ師団はブッソレンゴに到達できるだろうと見込まれ、ダヴィドウィッチ師団はヴェローナの後部と側面を脅かすことが望まれた。
◎アルヴィンチのヴェローナ攻略計画
しかし11月14日朝、カスダノウィッチがゼーヴィオの対岸に到着し状況を把握すると、ゼーヴィオへの渡河は想定よりも時間を要することが判明した。
ゼーヴィオの対岸は湿地であり、ゼーヴィオに渡るためには河岸まで堤防を作り、その後で橋を架けなければアディジェ川を渡ることができなかったのである。
そのため渡河は36時間遅れることが見込まれ、15日の夜まで延期されることとなり、アルヴィンチはクロアチア人大隊と騎兵150騎に命じアルヴァレード(Albaredo)でアディジェ川を渡河することを模索させた。
雪に阻まれたダヴィドウィッチ師団の進軍
11月14日、オクスカイはリーヴァとトルボレに1個大隊を残し、ブレントーニコに別の大隊を置き、バルド山での作戦を開始した。
雪が降り積もる険しい山での非常に困難な行軍だったがオクスカイ旅団はフランスの前哨部隊をマドンナ・デッラ・コロナに後退させ、アルティリオーネ(Altiglione)を占領した。
◎1796年11月14日時点のダヴィドウィッチ師団の進捗とヴォーボワ師団の動向
ビカソヴィッチ旅団はペリ(Peri)に行き、ルシニャンはスタッラヴェナ(Stallavena)に2個大隊を置いた。
ボルカのセウレン旅団の分遣隊1個大隊、1個騎兵小隊はフリウーリ軍との連絡線を維持するためにバディア(Badia Calavena)を経由してモントーリオの約15㎞北にあるスクアラント峡谷のロヴェーレ・ディ・ヴェーロ(Rovere di Velo)に向かって行進した。
ダヴィドウィッチ師団は大雪のために全体的に進捗が遅れており、計画の半分ほどしか進んでいなかった。
午後4時頃、ペリのダヴィドウィッチは、オクスカイからの報告がまだ届いておらず前日に降った雪によってチロルの山々は雪に覆われたためアディジェ川右岸沿いの部隊の遅れは今は考えなくても良く、オクスカイからの報告を受け取った後に明日も計画を続行するか、何を許可するかなどを決定することを書いた書簡をアルヴィンチに送った。
もし大雪でダヴィドウィッチの計画に遅れが生じなければ翌日にリヴォリでヴォーボワ師団を破りブッソレンゴへ進軍しただろう。
その場合、ボナパルトはダヴィドウィッチに対応せざるを得ず、フリウーリ軍がゼーヴィオで渡河することを阻むことはできなかったと考えられる。
同日、ダヴィドウィッチ師団との連絡線を維持するためにヴィチェンツァの南東に位置するモンテッキオ・マッジョーレ(Montecchio Maggior)にいたミトロフスキーに、旅団とともにカルディエーロ近郊にいるフリウーリ軍と合流するよう命令書を送った。
マントヴァ要塞側ではヴルムサーは脱出を何度も試みてわずか8,000人ほどの包囲軍を悩ませたがすべて失敗に終わり、総員約25,000人と推定されるマントヴァ要塞駐屯軍は封じ込められたままだった。
マントヴァ要塞の状況
11月14日、ボナパルトは13日の命令を一部変更し、キルメイン師団から1個大隊をヴェローナに、第12半旅団をオージュロー師団に送らせ、ヴォーボワ師団からギウ将軍率いる第4半旅団をヴェローナを経由してロンコに向かわせた。
ギウ旅団をボナパルトの元に派遣したためヴォーボワは約6,000人でリヴォリ周辺を防衛しなければならず、ガルダ湖沿岸を防衛しているヴァレッテ旅団をリヴォリ近郊に呼び寄せた。
マントヴァ要塞を包囲しているキルメイン師団もボナパルトの元に部隊を派遣したため約6,000人に減少したが、マントヴァ要塞駐屯軍の動員可能兵数は未だ12,000人を超えていた。
キルメイン師団はしばらくの間、封鎖を行いヴルムサーが要塞外に脱出しようとする試みを防ぐだけで特に攻撃などを行ってこなかったが、プラデッラ門前に位置するベルフィオーレ砲台からマントヴァの町に向かって砲撃を始め、砲撃を3日間続けた。
キルメインの意図は包囲軍の数が少なくなったことを隠し、砲撃によってヴルムサーがいかなる行動も起こすことができないようにすることだった。
しかし、ヴルムサーは要塞の前哨部隊や物見台からの報告により、キルメイン師団のいくつかの野営地が空になっていることを知った。
ヴルムサーは何日もの間威力偵察部隊を送ったが、フランスの前哨部隊は非常に好戦的であり、キルメインはヴルムサーへの降伏勧告を行った。
しかしヴルムサーはその行動により、攻撃以外の何物も恐れていないことを示した。
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