アルコレ戦役 23:ナポレオン最大の窮地
Battle of Arcole 23

カルディエーロの戦い、アルコレの戦い

勢力 戦力 損害
フランス共和国 カルディエーロの戦い:約13,000人
アルコレの戦い:約19,000人
カルディエーロの戦い:死傷者と捕虜の合計約1,800人、大砲2門
アルコレの戦い:死傷者約3,300人、捕虜約1,200人
オーストリア カルディエーロの戦い:12,000人~16,000人
アルコレの戦い:約22,000人
カルディエーロの戦い:死傷者と捕虜の合計1,243人
アルコレの戦い:死傷者約2,070人、捕虜約4,144人、大砲11門

ダヴィドウィッチ師団再始動

 1796年11月9日以降、師団の前進を止め長い非常線を形成するだけだったチロル軍がようやく動きを見せた。

 マッセナはカルディエーロの戦いで左翼を担当していたため、マッセナ師団のリヴォリへの進軍が民衆によって否定されたこともダヴィドウィッチが動き出した要因の1つだろう。

 11月12日、ラウドン旅団はイドロ湖北の山々に広がり、オクスカイ旅団はバルド山に2個大隊とドイツ義勇軍を配置してアルティリオーネ(Altiglione)とマドンナ・デッラ・ネーヴェ(Madonna della Neve)へ前進するよう命じられた。

◎ダヴィドウィッチ師団再始動時の侵攻計画

 一方はブレントーニコの大隊に支援され、もう一方はナーゴ、トルボレ、リーヴァを占領していた部隊に支援される計画だった。

 アーヴィオ(Avio)近くの2個大隊と1個騎兵中隊の一部にはアディジェ川右岸でママ(Mama)の近くまで可能な限り南下するよう命令し、左岸のビカソヴィッチ旅団はアラからドルチェに前進するよう命じられた。

 ロイスとスポーク旅団は重砲をブレンティーノ(Brentino)に向けてバルド山方面への砲撃を行い、戦いの前奏曲を奏でるよう指示された。

 オクスカイ旅団がバルド山のフランス軍を一掃してリヴォリに向かい、アディジェ川右岸沿いを南下する別動隊とともにリヴォリをも勢力下に置き、クロアラに舟橋を架け、ビカソヴィッチ旅団とスポーク旅団をアディジェ川左岸で合流させ、ブッソレンゴに進軍するのである

 ダヴィドウィッチは11月13日に再編成とこれらの計画の準備を行い、14日に計画を実行する予定だった。

 左翼側ではビカソヴィッチ旅団所属のルシニャン大佐率いる2個大隊をアラから迂回させ、セウレン旅団の分遣隊のいるルーゴとグレッツァーナに向かわせた。

 ルシニャンはヴェローナに向かって前進し、12日中にその迂回機動の一部を実行することができた。

 この迂回機動の目的はセウレン旅団の分遣隊を補強しフランス軍の側面もしくは後方を脅かすことである。

 セウレンはカンポシルヴァーノからヴェローナに向かって南下するよう命じられ、分遣隊はグレッツァーナとボルカ(Bolca)にあった。

アルコレ戦役におけるナポレオン最大の危機的状況

 ボナパルトがこれほど窮地に追い込まれたことはなかった。

 1796年11月12日に行われたカルディエーロの戦いで敗北し、チロル軍とフリウーリ軍の完全な統合は間近に迫っているように見えた。

 ヴォーボワ師団約8,000人ではダヴィドウィッチ師団を止めることは難しいと考えられ、コロナやリヴォリを奪われるだろうと予想され、このままの状態で推移すればチロル軍とフリウーリ軍は統合し、数日後にヴェローナを奪われてしまうことは目に見えていた。

 そしてもしボナパルトがヴォーボワ師団とともにダヴィドウィッチ師団を打ち倒す選択をした場合、フリウーリ軍はゼーヴィオでアディジェ川を渡り、ヴェローナは占領され、アルヴィンチはマントヴァまで何の障害もなくたどり着くだろうと考えられた。

 フリウーリ軍とマントヴァ要塞駐屯軍が合流した場合、その動員可能兵力は30,000人~35,000人ほどと推定され、リヴォリ周辺でダヴィドウィッチとアルヴィンチに挟撃されることになる。

 ボナパルトは攻勢に出てフリウーリ軍を叩くことを決意した。

 ボナパルトが13日にヴェローナからフランス政府宛に送った書簡には、「上級士官のほとんどが戦闘能力を欠いており、イタリア方面軍は壊滅寸前にあること」、「ジュベール、ランヌ、ラニュス、ヴィクトール、ミュラ、シャボ、デュピュイ、ランポン、ピジョン、シャブラン、サン・ティレールが負傷していること」、「残りの多くの士官達は残された戦力を見て死が近いと予想しており、勇敢なオージュロー、大胆なマッセナ、そしてヴェルティエと自らの最後を告げる鐘が鳴ろうとしているだろうこと」、「我々は最後の努力を試みること」などが書かれている。

アルコレの戦いにおけるナポレオンの計画

 ボナパルトはヴォーボワ師団とキルメイン師団から3,000人を引き抜きヴェローナの防衛を任せ、アルヴィンチに気づかれることなくマッセナ師団とオージュロー師団とともにロンコに向かう必要があった。

 ボナパルトはマントヴァ要塞包囲軍の兵力を少なくしたとしても数日間は隠し通せることを知っており、リヴォリにおいても同様だった。

 そしてロンコへの移動をアルヴィンチから24時間隠すことは容易だった。

 ヴェローナ周辺で防衛しているフランス軍は約15,000人ほどであり、フランス軍が強固に防衛しているヴェローナの要塞をアルヴィンチが攻撃することはないだろうとボナパルトは考えていた。

 ボナパルトの計画はマッセナ師団とオージュロー師団とともに静かにロンコに行き、14日夜にアディジェ川を渡り、翌15日に物資集積所にある弾薬、食料を奪うこと、そしてオーストリア本国との連絡線を遮断することを目的としてアルヴィンチの後ろにあるヴィッラノーヴァとサン・ボニファーチョ(San Bonifacio)を衝くというものだった。

◎アルコレの戦いにおけるナポレオンの計画

 そしてその後に物資を奪われ本国との連絡線を断たれて士気が下がっているフリウーリ軍と戦い打ち破るのである。

 アルヴィンチがロンコからの進軍に気づいて援軍が到着する前に各師団がベルフィオーレ(Belfiore)やサン・ボニファーチョ(San Bonifacio)周辺まで突破できればボナパルトの計画の目的は早期に達成されるだろうと考えられた。

 しかし、これは地図上での計画であって、アルコレ周辺が沼地で覆われていることは調査されておらず、このアルコレ周辺の地形がオーストリア軍の防衛を容易にすることは考慮に入れられていなかった。

 そして、この計画は勝利を保証しているわけでもなかった。

 アルヴィンチは積極的にヴェローナを攻撃してボナパルトをヴェローナに釘付けにし、ゼーヴィオでアディジェ川を渡ることによりボナパルトの計画を阻止することができた。

 アルヴィンチが積極的にヴェローナへ攻撃を行わなかった場合であっても、ロンコから出発したフランス軍の進軍が遅れた場合、オーストリア軍にヴィッラノーヴァの前で防衛する準備を与えることになるため奇襲という利点が失われ、数的優位のオーストリア軍に勝利の女神が微笑みかけてしまう可能性が高くなる。

 ボナパルトに最も必要なのはアルヴィンチから計画を隠し通すための時間であり、アルヴィンチを倒すには最低でも48時間が必要だと見積もられた。

 そのため、ダヴィドウィッチ師団のリヴォリへの攻撃やヴルムサーによるマントヴァ要塞の脱出の発生時期を少しでも遅らせ、時間を無駄にすることなく迅速に作戦を実行することが求められた。

 ボナパルトは迅速に行動し、アルヴィンチの優柔不断から生じるチャンスを逃すまいとしていた。

 11月13日、ボナパルトはヴォーボワにギウ旅団を分離しヴェローナを防衛することを目的としてキルメイン将軍指揮下に入るよう命じ、マッセナとオージュローにも14日夜に最大の静寂をもってロンコに向かうよう命じた。

 そしてマントヴァ要塞包囲軍から一部の部隊をオージュロー師団の元に派遣して強化するよう命じ、ヴォーボワにはコロナとリヴォリを防衛するためにあらゆる努力をするよう命じた。