アルコレ戦役 15:ダヴィドウィッチ師団によるトレントの占領
Battle of Arcole 15

カルディエーロの戦い、アルコレの戦い

勢力 戦力 損害
フランス共和国 カルディエーロの戦い:約13,000人
アルコレの戦い:約19,000人
カルディエーロの戦い:死傷者と捕虜の合計約1,800人、大砲2門
アルコレの戦い:死傷者約3,300人、捕虜約1,200人
オーストリア カルディエーロの戦い:12,000人~16,000人
アルコレの戦い:約22,000人
カルディエーロの戦い:死傷者と捕虜の合計1,243人
アルコレの戦い:死傷者約2,070人、捕虜約4,144人、大砲11門

マッセナによる撤退中断命令

 11月4日、フリウーリ軍はブレンタ川に向かって進軍し、右翼でバッサーノを包囲し、左翼でチタデッラとフォンタニーヴァを包囲した。

 早朝、ミトロフスキー旅団はチズモーン橋を占領し、フリウーリ軍との連絡線を確立するためにブレンタ渓谷からバッサーノに接近しようとしていた。

◎カスダノウィッチ師団によるバッサーノの占領とミトロフスキー旅団との連絡線の変更

 師団が去った1時間後、マッセナはバッサーノに戻り病人をヴィチェンツァへ避難させた。

 カスダノウィッチ師団はローサ(Rosa)、カステルフランコ、アーゾロ(Asolo)から同時に出現しバッサーノを奪った。

 それにブレンタ渓谷を南下していたミトロフスキー旅団の一部が合流し連絡役を担った。

 プロベラは前衛としてリプタイ旅団をバッサーノの南のブレンタ川沿いに位置するフォンタニーヴァに進め、ブレンタ川にある島で前哨基地を形成し、カスダノウィッチと連携させた。

 同日、マッセナ師団がヴィチェンツァへ向かっている途中、ボナパルトの副官ミュイロン(Muiron)がマッセナの元に到着し、オージュロー師団がモンテベッロに到着したこと、ヴォーボワ師団がダヴィドウィッチ師団よりも優位に戦局を進めていることを伝えた。

※ヴォーボワ師団は11月2日に行われた戦いの序盤はダヴィドウィッチ師団に対して戦局を有利に進めており、そこまでの情報がボナパルトのところに届き、マッセナの元に送られていた。

 これらの情報をボナパルトがフリウーリ軍と戦うことを決意する可能性のある情報であり、ボナパルトは方向性を変えるだろうと考えたマッセナはヴィチェンツァへの撤退を中断した。

 ルクレールとマッセナはヴィチェンツァまで5㎞の地点で野営し、メナード旅団とラウネイ旅団はマッセナの少し前にいた。

 前衛のデュプイはヴィチェンツァのパドヴァ門の前におり、オージュロー師団前衛部隊はすでにヴィチェンツァの門の手前で野営していた。

 そのためフランス軍は翌日には協力して作戦を実行できる状況にあった。

ダヴィドウィッチ師団によるトレントの占領

 11月5日の夜明け前、フランス軍がトレントから撤退したことを知ったラウドン将軍は船でアディジェ川を渡り、その後を騎兵隊と工兵隊が続いた。

 アディジェ川右岸側にも2門の大砲を配備した歩兵の分遣隊を派遣し、可能な限りフランス軍を追いかけ、側面から砲撃を行わせた。

 そしてマッタレロまでフランス軍を追跡した。

◎ダヴィドウィッチ師団によるトレントの占領と前進

 11月5日未明、第3列から第6列を統括しているロイス将軍は、サン・マウロ(San Mauro)でスポーク旅団とビカソヴィッチ旅団を合流させ、午前6時にサン・マウロを出発した。

 しかし、濃霧の中の山岳地帯の行軍だったため細心の注意を払って進軍しなければならず、ようやく午後にトレントに到着した。

 第5列はレーヴィコ・テルメとペルジーネに留まり、第6列は騎兵隊の一部を分離してボルゴ・ヴァルスガーナまで進ませ、プリモラーノ周辺にいるミトロフスキー旅団との連絡線を確立した。

 中央のオクスカイ旅団はフランス軍と接触することなく、素早くトレントに移動し、アディジェ川右岸側に渡るために舟橋の建設を開始した。

 右翼を率いるラウドン将軍はトレント周辺に部隊の一部を残してガルダ湖北岸に位置するトルボレ方面に向かわせた部隊の元に急行した。

 舟橋が完成し、オクスカイ旅団は右岸に渡りノーミ(Nomi)に向かった。

 ビカソヴィッチ旅団はマッタレロに前進し、さらにアクアヴィーヴァに進んだ。

 夕方、ダヴィドウィッチはスポーク旅団に対しビカソヴィッチ旅団とともに戦うことを許可した。

 そして夜にヴォーボワの後部を脅かすためにペルジーネからカルドナッツォ、カルボナーレを経由しロヴェレトへ向かう分遣隊を派遣した。

 ダヴィドウィッチは翌11月6日の朝にヴォーボワが防衛線を構築しているカッリアーノの強力な位置を攻撃する準備を着々と進めていた。

 そして、師団はアクアヴィ―ヴァ(Aquaviva)で野営した。