アルコレ戦役 01:ゴヴェルノロの戦い
Battle of Arcole 01
カルディエーロの戦い、アルコレの戦い
勢力 | 戦力 | 損害 |
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フランス共和国 | カルディエーロの戦い:約13,000人 アルコレの戦い:約19,000人 |
カルディエーロの戦い:死傷者と捕虜の合計約1,800人、大砲2門 アルコレの戦い:死傷者約3,300人、捕虜約1,200人 |
オーストリア | カルディエーロの戦い:12,000人~16,000人 アルコレの戦い:約22,000人 |
カルディエーロの戦い:死傷者と捕虜の合計1,243人 アルコレの戦い:死傷者約2,070人、捕虜約4,144人、大砲11門 |
ゴヴェルノロの戦い①:マントヴァ要塞からの出撃とフランス軍の対応
1796年9月15日にヴルムサー率いる救援軍がマントヴァ要塞に避難したことによりバッサーノ戦役は終わった。しかしフランス軍とオーストリア軍の戦いは未だ続いていた。
サン・ジョルジュの戦いの後、ミラノにいる妻ジョゼフィーヌの浮気に激怒していたボナパルトはヴルムサーをマントヴァ要塞の外に誘き出そうとしていた。
その餌としてブスコルド(Buscoldo)周辺に部隊を配置しなかった。
ヴルムサー率いる救援軍の籠城によってマントヴァ要塞内の人数が増えたことにより水(ワイン)や食糧、飼料などが今まで以上に消費されていくだろうことは容易に想像できる。
ボナパルトはヴルムサーが採餌活動のために出撃してくることを予見していたのである。
9月16日にカステルベルフォルテで書かれたナポレオンが政府に宛てた書簡には「敵が飛びつく条件を与えるか、あるいは冷たい鉄柵に向かわせるかしなければなりません」と書かれている。
ヴルムサーはボナパルトの目論見通りマントヴァ要塞の外に、喉を潤すためのワインや食糧、飼料を求めた。
9月21日、オーストリア軍クレナウ大佐はマントヴァ要塞から出撃して灌漑用水路(Fossa Eugenia)を越え、リヴァルタとカステッルッキオにあるフランスの前哨基地を押し戻し、クルタトーネ(Curtatone)、モンタナーラ(Montanara)、ブスコルド(Buscoldo)、ポンテ・ヴェントゥノ(Ponte Ventuno)、ボルゴフォルテ(Borgoforte)を占領した。
リヴァルタとカステッルッキオのフランス守備隊はほとんど抵抗せずに後退した。
オット旅団はクレナウ旅団の動きを支援するために歩兵1,000人と3個騎兵中隊でチェレセを通過しており、その後、荷馬車70台分の飼料と55台分のワインがチェレセに運び込まれた。
しかし、マントヴァ要塞南側の占領地を保持し安定的に採餌活動を行うためには、マントヴァ要塞南東に位置するゴヴェルノロ(Governolo)を占領することが不可欠であり、将来ヴルムサーがマントヴァ要塞を離れることになった時のためにもゴヴェルノロを占領しておく必要があった。
◎クレナウ旅団とオット旅団の動き
ヴェローナにはマッセナ師団が、ゴーイトにはキルメイン中将が指揮するマントヴァ要塞包囲軍の中心があり、ゴヴェルノロ周辺にはボン将軍率いるオージュロー師団が駐留していた。
もしフランス軍がゴヴェルノロ橋を通過して攻めて来た場合、それを阻むことは難しくヴルムサーが苦労して占領した地点も手放さざるを得なくなる。
ヴルムサーはゴヴェルノロを占領する決断をした。
9月22日夜、ヴルムサーはオット将軍に1個歩兵連隊と騎兵400騎、4門の大砲を与えてサン・ジャコモとゴヴェルノロの間に移動するよう命じた。
そしてミンクウィッツ将軍に、1個歩兵連隊、歩兵800人、騎兵500騎、3門の大砲と1門の榴弾砲を与え、ミンチョ川右岸をたどり深夜(0時前後)にバニョーロ・サン・ヴィート(Bagnolo San Vito)に到着するように命じた。
これらの2つの列は翌日の夜明け前にフランスの前哨基地へ奇襲攻撃を行い、ゴヴェルノロに架かる橋の占領を目的としていた。
ゴヴェルノロへの奇襲攻撃が成功し占領できた場合、ミンクウィッツにゴヴェルノロの城に歩兵を入れ防衛体制を整えるよう付け加えた。
◎ヴルムサーによるゴヴェルノロ奪取計画
しかし、オーストリア軍の動きはフランス軍に筒抜けだった。
キルメインはオーストリア軍がマントヴァ要塞から2重に出撃したことの報告を受けると、ダルマーニュ中将とレブリー(Lebley)少将に対し、ゴヴェルノロのボン将軍に警戒するよう伝えるために、副官のピカード(Picard)将軍率いる騎兵隊とともに向かうよう命じた。
※「マッセナの回想録」によると2列ではなく2重に出撃した記述してあるため、1つの門(恐らくチェレセ門)からオット旅団、ミンクウィッツ旅団の順で出撃しゴヴェルノロに向かったのだと考えられる。
9月22日夜11時頃、ダルマーニュ将軍はレブリー将軍を伴って騎兵隊とともにゴヴェルノロに到着し、キルメイン将軍に代わってボン将軍に注意を促した。
ボン将軍は麾下のサンドス(Sandos)将軍を召集し、会議を行った。
そこでダルマーニュ将軍が「オーストリア軍はプラデッラとチェレセの側で動いており、可能であれば出撃してきたオーストリア軍をマントヴァ要塞から切り離しチェレセ門を占領するために、ボンが指揮するオージュロー師団の一部でチェレセに進軍すること」を提案した。
しかし、サンドス将軍は「出撃してきたオーストリア軍の兵力が不明であること」を理由に反対しダルマーニュ将軍の提案は没案となった。
その後、ボン将軍は自師団にオーストリア軍の動きに対抗するために戦闘準備を整えるよう命令し、ダルマーニュ将軍と協力して橋を防衛するために必要なすべての措置を行った。
深夜、ミンクウィッツはバニョーロ・サン・ヴィートを占領した。
オット旅団の偵察部隊がポー河を通過してサン・ベネデット(San Benedetto)に前進すると、約5,000人のフランス軍がゴヴェルノロを防衛していることを報告した。
想定よりも多い兵力だったが、ヴルムサーはゴヴェルノロを諦めることなく、何かあった時に備えて2つの列を集結させるために1個歩兵大隊をヴィルジリアーナ(Virgiliana)の前に配置し計画を続行した。
※この時点でフランス軍がオーストリア軍の動きに気づいていることをヴルムサーが知っていたとしたら、オーストリア軍の方が寡兵であるためこの攻撃は無謀だということが分かっていたはずである。
そのためヴルムサーはフランス軍に気づかれていないと思っていたと考えられる。
もし知っていた場合、たとえ寡兵であってもゴヴェルノロを奪取する必要があると考えていたか、または、有効に食い扶持を減らすために攻撃を強行し、あわよくばゴヴェルノロを奪取しようとしたのだと考えられる。
ゴヴェルノロの戦い②:オット旅団の敗北
オーストリア軍の列は、1つはミンクウィッツ将軍が率い、バニョーロ・サン・ヴィートから出撃しミンチョ川右岸沿いを進軍する旅団、もう1つはオット将軍率いるポー河左岸沿いを進軍する旅団であり、全体で歩兵約4,000人、2個騎兵大隊約900騎で構成され、7門の大砲と1門の榴弾砲を所持していた。
ミンクウィッツ旅団とオット旅団は9月22日の夜の内にフランス軍の前哨基地の前に到着し、23日午前3時30分頃に攻撃を開始した。
ボンはオット旅団に対抗するために、ラヌッセ(Lanusse)将軍は麾下の2個大隊の内の1個大隊をオーストリア軍の正面に前進させ、レブリー将軍に51番半旅団の指揮を任せて迂回攻撃を行うよう命令した。
オット旅団とラヌッセ将軍麾下の1個大隊は激しく攻撃の応酬を行った。
残りの1個大隊はオットが迂回攻撃を仕掛けてきた場合に備えてその場に待機していた。
ラヌッセが1個大隊に突撃を行わせた瞬間、レブリー将軍率いる半旅団がオット旅団の側面に移動して激しく突進した。
レブリー将軍の攻撃によりオットは攻撃を停止し、大砲を残して急いで戦場を離れた。
◎ゴヴェルノロの戦い
ラヌッセはオーストリア軍の攻撃が停止した瞬間を利用してもう1個の大隊とともにポー河の堤防に移動してオット旅団の退却を遮断し、約500人の捕虜を得た。
しかし、濃霧によりうまく捕捉できず、多くのオーストリア軍を取り逃がした。
この戦闘に関して、キルメイン将軍がボナパルトに宛てた書簡には、「霧が無かったらより多くかすべての敵を捕虜にできただろうこと」などが書かれている。
ゴヴェルノロの戦い③:ミンクウィッツ将軍の降伏とヴィルジリアーナでの戦闘
ラヌッセ将軍とレブリー将軍がオット旅団と戦っている頃、ミンチョ川右岸でも戦闘が行われていた。
サンドス将軍は2個大隊、7個騎兵中隊に加え騎兵25騎を率いミンクウィッツ旅団と激戦を繰り広げていた。
サンドスは戦闘序盤、ミンクウィッツの攻撃を封じ込めることができず押されていた。
そこへゴヴェルノロ橋の防衛を任されていたヴェルディエ将軍がサンドス将軍を支援するためにミンチョ川左岸側に部隊を派遣した。
ヴェルディエによって派遣された部隊はミンクウィッツ旅団の側面と後方をミンチョ川を挟んで攻撃し、致命打を与えた。
ミンクウィッツは激しく砲撃を行い2時間以上にも及ぶ戦闘を行ったが、この側面と後方への攻撃により劣勢となり3門の大砲と1門の榴弾砲を奪われ、その後数百人の兵士とともに降伏した。
ボンは3列で退却するオーストリア軍をヴィルジリアーナまで追跡した。
1つ目はポー河沿いを進軍し、2つ目はミンチョ川沿いを遡り、3つ目はその2つの間を進軍していた。
ヴィルジリアーナではヴルムサーが退却支援のために1個大隊を配置しており、オーストリア軍はヴィルジリアーナに集結しようとしていた。
ボンはヴィルジリアーナを円を描くように包囲し、オーストリア軍に対して攻撃を行った。
しかし、深追いを警戒したキルメインからの撤退命令により順番に戦場を離れ、ヴィルジリアーナから離脱した。
この戦闘でフランス軍は約900人の捕虜を得たと言われている。
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