リヴォリ戦役 30:コボロス将軍の憂鬱
Battle of Rivoli 30
リヴォリの戦い、ラ・ファヴォリータの戦い
勢力 | 戦力 | 損害 |
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フランス共和国 | リヴォリの戦い:19,000人~22,000人 ラ・ファヴォリータの戦い:セリュリエ師団約6,000人+オージュロー師団とマッセナ師団の一部 |
リヴォリの戦い:死傷者と捕虜の合計約3,200人、大砲2門 ラ・ファヴォリータの戦い:不明 |
オーストリア | リヴォリの戦い:約28,000人 ラ・ファヴォリータの戦い:プロベラ師団約7,000人、マントヴァ要塞駐屯軍約10,000人 |
リヴォリの戦い:死傷者と捕虜の合計約12,000人 ラ・ファヴォリータの戦い:死傷者不明、捕虜約6,000人、大砲22門 |
フランス軍によるバッサーノ襲撃計画
1月23日、ボナパルトは遂にオージュローとマッセナに翌24日にチッタデッラとバッサーノを攻撃するよう命令を下した。
オージュロー師団前衛がチッタデッラに到着後、マッセナ師団がテシナ(Tesina)川を越えてバッサーノを攻撃する計画だった。
もしオーストリア軍がチッタデッラを固く守っていた場合、マッセナ将軍はフォンタニーヴァ方面に部隊を派遣し、ブレンタ川の浅瀬を占領する。
そしてオージュロー師団がチッタデッラを占領した後、マッセナ師団はバッサーノへの攻撃を開始し、オージュロー師団はそれを支援する。
両師団は準備を行い、それぞれの前衛をバッサーノとチッタデッラに向けて進軍させた。
コボロス旅団とミトロフスキー旅団のバッサーノへの前進とバヤリッヒ旅団のバッサーノからの撤退
1月23日時点で、バッサーノにはバヤリッヒ旅団しかおらず、2個大隊約1,500人、3個騎兵中隊、大砲5門で防衛任務を行っていた。
その他にフォンタニーヴァとチッタデッラに2個騎兵中隊、ノアーヴェに3個騎兵中隊が派遣されていた。
コボロス将軍率いる8個大隊はセッテ・コムニの山々を行進しており、その前衛はマロースティカに入っていたが、バッサーノへの到着が間近であるということをバヤリッヒ将軍に知らせていなかった。
そのためバヤリッヒは、約20,000人と見られるフランスの大軍を前に後退することを決断した。
◎フランス軍によるバッサーノ襲撃計画とバヤリッヒ旅団の後退
マッセナ師団の前衛がノーヴェ(Nove)に近づいた時、バヤリッヒはアルヴィンチの計画通り手元の部隊を分割し、5門の大砲を有する2個大隊をサン・ナザーリオ(San Nazario)に向かわせ、自身は散らばった騎兵隊に集結命令を出しバッサーノに残った。
23日朝、ミトロフスキー将軍は未だグリーニョにおり、プリモラーノへの集結を急いでいた。
バヤリッヒはノーヴェとマロースティカに頻繁に偵察部隊を派遣して状況の把握に努めた。
これらの偵察部隊はマロースティカでコボロス旅団の前衛と遭遇したが、フランスの大軍が近づいていることを知らせるとコボロス旅団の前衛はセッテ・コムニの山々に戻って行った。
午後4時、ミトロフスキー将軍はバヤリッヒ旅団を支援するためにプリモラーノに戻り、1個大隊をヴァルスガーナに残し2個大隊と半個騎兵中隊でバッサーノに向かった。
先行している1個大隊はカルパネ(Carpane)に駐留しており、翌24日にバッサーノに到着することが見込まれた。
夕方、バヤリッヒ将軍はサン・ナザーリオへ後退させた2個大隊にさらにカルパネへの後退を許可し、自身はすべての地点から集められた騎兵1,300騎を率いクレスパーノ(Crespano)へ退却した。
ミトロフスキー旅団はヴァルスガーナへのフランス軍の侵入を阻止することになっており、その結果、ピアーヴェ川方向の兵力が不足することとなった。
一方、コボロス将軍は8個大隊と共にマロースティカ近くのヴァッロナラ(Vallonara)に夜遅く到着し、夜8時、アルヴィンチに翌朝(24日)バッサーノに到着する予定であることを報告した。
夜、バヤリッヒはカルパネの2個大隊にチズモーンを経由してフェルトレとベッルーノをカバーするよう命じ、自身は騎兵隊とともにアーソロ(Asolo)を経由してピアーヴェ川に急いだ。
同日、後方ではハンガリーから大隊が行進を始め、グラッフェン旅団の10個中隊はフォアアークベルクから行進し続けており、グラッフェン旅団本体は8個中隊、2個騎兵中隊で1月24日にブレゲンツを出発した。
コボロス将軍の憂鬱
1月24日朝、コボロス旅団の先頭が山から出てきた時、マッセナ師団の前衛は恐怖に陥って少し後退し、マロースティカからバッサーノへの道を開けた。
正午に向かってマッセナ師団の前衛はノーヴェからヴィチェンツァへ向かって後退し、正午にはミトロフスキー旅団の2個大隊がバッサーノに到着しており、コボロス旅団はバッサーノの前に移動した。
この日、マッセナ師団とオージュロー師団でバッサーノとチッタデッラを攻撃する計画だったが、オージュロー師団の行軍が遅れていた。
そのためコボロス旅団がマロースティカ北の山々から現れるとオージュロー師団の支援のないマッセナ師団の前衛はヴィチェンツァに退却したのである。
コボロス旅団は騎兵隊も大砲も保有しておらず、騎兵隊や大砲はバヤリッヒ旅団が保有していた。
騎兵隊はバヤリッヒ将軍とともにピアーヴェ川に向かっており、大砲を持った2個大隊はカルパネ経由で後退していた。
このようにコボロス将軍が統率すべき3旅団は様々な状況が重なって完全に統合できなかった。
コボロス旅団とミトロフスキー旅団はバッサーノで合流したものの、その兵種はほぼ歩兵のみであり、騎兵は半個騎兵中隊しかおらず、砲兵もほんのわずかだった。
しかも、フランス軍はすぐそこにまで迫っている状況だった。
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