リヴォリ戦役 25:ラ・ファヴォリータの戦い
Battle of Rivoli 25

リヴォリの戦い、ラ・ファヴォリータの戦い
勢力 | 戦力 | 損害 |
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フランス共和国 | リヴォリの戦い:19,000人~22,000人 ラ・ファヴォリータの戦い:セリュリエ師団約6,000人+オージュロー師団とマッセナ師団の一部 |
リヴォリの戦い:死傷者と捕虜の合計約3,200人、大砲2門 ラ・ファヴォリータの戦い:不明 |
オーストリア | リヴォリの戦い:約28,000人 ラ・ファヴォリータの戦い:プロベラ師団約7,000人、マントヴァ要塞駐屯軍約10,000人 |
リヴォリの戦い:死傷者と捕虜の合計約12,000人 ラ・ファヴォリータの戦い:死傷者不明、捕虜約6,000人、大砲22門 |
ラ・ファヴォリータの戦いの始まり
◎ラ・ファヴォリータの戦いの始まり

1月16日午前4時半、プロベラは暗闇の中でフランス軍に見つかることなくラ・ファヴォリータの前に右翼とともに到着した。
そしてヴルムサーが要塞から出撃してくるのを待っていた。
午前5時、要塞からオット旅団とミンクウィッツ旅団が出撃し、その30分後にプロベラは行動を開始した。
フランスの前哨部隊は抵抗なく後退した。
プロベラ師団の前哨部隊はラ・ファヴォリータの建物に近づき、無防備な建物を見て放棄されたと考えた。
◎ラ・ファヴォリータの戦い
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※1,800年代始め、カルル・ヴェルネ(Carle Vernet)画。
そこへ突然、壁際での一斉射撃に遭遇した。
セリュリエは数的優位を生かしすぐにオーストリアの列の左側面にヴィクトール将軍率いる第57半旅団を派遣し、ドゥガ将軍率いる騎兵隊を右側面へと前進させた。
そしてギウ師団とギウ将軍麾下のボン師団はカステルベルフォルテを経由してプロベラ師団の後部を圧迫した。
オーストリア軍側では、マントヴァ要塞から出撃してきた部隊が6時にモンタータとサン・アントニオを攻撃し、オット将軍はサン・アントニオ村を占領することに成功した。
しかしマッセナはすぐに第75と第32半旅団でサン・アントニオに到着して占領し、2個大隊をラ・ファヴォリータに移動させた。
同時にミンクウィッツ旅団はセリュリエ師団とラ・ファヴォリータから来たヴィクトール旅団の一部によって激しく攻撃された。
そのためプロベラ師団とマントヴァ要塞駐屯軍の合流は阻まれた。
包囲殲滅
◎フランス軍による完全包囲

午前10時の時点で戦いはすべての点で熱く繰り広げられていた。
マントヴァ要塞からの使者が「モンタータを制圧するかチッタデッラの前を突破するかどちらかを試みなければならない。」というヴルムサー元帥からの書簡を携えてプロベラ将軍の元に到着した。
しかし、その後、セリュリエとヴィクトール、そしてマッセナの2個半旅団が、オット将軍とミンクウィッツ将軍の列に対して非常に真剣に前進したため、それぞれが急いでチッタデッラに撤退した。
マッセナはラ・ファヴォリータに背を向け、チッタデッラ要塞と対峙した。
一方、プロベラ師団右翼は、ヴィクトール将軍麾下の第57半旅団とドゥガ将軍の騎兵予備隊によってサン・ジョルジョに向かって押し戻されていた。
同時に、ミオリス将軍はホーエンツォレルン将軍が指揮するプロベラ師団左翼に対してサン・ジョルジュから出撃した。
ヴィクトール将軍とドゥガ将軍はプロベラ師団右翼の前線を攻撃することで釘付けにしていた。
マッセナはブルーン将軍とランポン将軍が率いる第75と第32半旅団でモンタータからカステレットとトンバ(Tomba)を経由しメディシーナ通り(Strada Medicina)を横断してプロベラ師団右翼へと接近した。
そして、ランヌ将軍とギウ将軍が後衛を攻撃した。
ポイント将軍はすでにモリネッラ川で退路を遮断し、オージュローは師団の残りの部隊と共にカステル・ダーリオを通って前進した。
プロベラ師団右翼はプロベラ将軍の指揮の下でラ・ファヴォリータに引き寄せられ、あらゆる方向から圧迫された。
師団左翼の方向に後退した兵はミオリス旅団に追い返され、一部は捕虜となり、残りは前線を形成した。
抵抗はさらに2時間続き、フランス軍の部隊のいくつかはかなりの損害を出して撃退された。
しかしオーストリア軍は徐々に打ち減らされ、湖とサン・ジョルジュの間に閉じ込められた。
プロベラの降伏
抵抗する手段を失ったプロベラは部下たちと協議を行い、降伏することが決定された。
プロベラがボナパルトに降伏するのはこれで2度目であったが、交渉の材料はもはやなく、1度目のミレッシモの戦いの時のように駆け引きや策略を弄さず降伏のみを求めた。
プロベラはトランぺッターを伴った3人の士官をフランスの攻撃隊が前進している道に派遣した。
トランぺッターは長い間気付かれることなく吹き続けていた。
フランス兵は戦いを止めることを望んでおらず、トランぺッターを伴った3人の士官を捕らえ、捕虜として扱った。
しかし、最終的にミオリス将軍の元に案内され、ミオリス将軍は旅団の攻撃を停止させた。
ミオリス旅団に続いてプロベラ師団を包囲しているフランス軍も攻撃を停止し、しばらくしてスポーク将軍が降伏に同意するためにサン・ジョルジョに向かった。
降伏文書の条項
降伏文書はフランス側が急いで用意した。
第1条:軍馬はオーストリア軍の所有とするが、オーストリア軍は捕虜となる。
第2条:士官はサーベル、所持品、荷物を保管し、兵士はバッグを保管する。
第3条:総司令官の同意が得られれば、将軍と士官はオーストリアに戻ることができる。
第4条:この降伏をヴルムサー元帥に通知することを許可する。
第5条:オーストリア軍の病人や負傷者の適切な治療を確保する。
降伏文書への署名
午後12時半、降伏文書はセリュリエ将軍とプロベラ将軍によって批准され、ミオリス将軍とスポーク将軍が署名した。
オーストリア軍は午後2時に武器を放棄し、ロヴェルベッラの本部に連行され、将軍と士官は翌17日に仮釈放され、アルヴィンチの元に向かった。
プロベラ師団の内、バヤリッヒ旅団と合流した分遣隊含む約1,000人がアディジェ川左岸に残っており、200人の兵士がマントヴァ要塞内に入り、約800人の兵が脱出に成功し、地元住民の支援を受けてアディジェ川を越えてバラバラに分散して逃げ道を見つけた。
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