リヴォリ戦役 24:ラ・ファヴォリータの戦い<前夜>
Battle of Rivoli 24

リヴォリの戦い、ラ・ファヴォリータの戦い

勢力 戦力 損害
フランス共和国 リヴォリの戦い:19,000人~22,000人
ラ・ファヴォリータの戦い:セリュリエ師団約6,000人+オージュロー師団とマッセナ師団の一部
リヴォリの戦い:死傷者と捕虜の合計約3,200人、大砲2門
ラ・ファヴォリータの戦い:不明
オーストリア リヴォリの戦い:約28,000人
ラ・ファヴォリータの戦い:プロベラ師団約7,000人、マントヴァ要塞駐屯軍約10,000人
リヴォリの戦い:死傷者と捕虜の合計約12,000人
ラ・ファヴォリータの戦い:死傷者不明、捕虜約6,000人、大砲22門

1月15日のオージュロー師団の行動

◎オージュローによるアディジェ川左岸側の制圧

リヴォリ戦役:オージュローによるアディジェ川左岸側の制圧

 1月15日午前、オージュローはアディジェ川左岸側のオーストリア部隊を排除していた。

 レニャーゴからベヴィラックア(Bevilacqua)に分遣隊を派遣してパドヴァ方面にオーストリア軍を追い払い、別の哨戒部隊がコローニャやモンタニャーナからオーストリア軍が撤退したことを報告した。

 正午頃、マントヴァ方向から砲撃音が轟くと、オージュローはランヌ将軍とデュポー将軍を歩兵1,600人、2個騎兵中隊に8ポンド砲と榴弾砲を配備してプロベラ師団を追跡させた。

 そしてバランド将軍をカスタニャーロ(Castagnaro)の右に配置し、2個大隊を分散配置してバディア(Badia)からレニャーゴまでの防衛に当たらせた。

 これによってアディジェ川におけるプロベラ師団の退路を完全に遮断し、レニャーゴからフェラーラの連絡線を再確立した。

ロヴェルベッラの夜

 1月15日夜8時、ボナパルトはロヴェルベッラに到着するとデュマ将軍に「モリネッラ川周辺の監視とプロベラ師団への偵察を行うこと」、「ロヴェルベッラに到着した軍は2時間の休息が必要であり、マントヴァ要塞のサン・ジョルジュを48時間守る必要があること」、「プロベラがヴルムサーとの連絡を取り得るところに精鋭で構成される1,500人の部隊を配置すること」、「ダルマーニュ将軍(恐らくマントヴァ要塞南の封鎖を担当している)が攻撃のために移動したらプロベラ師団への攻撃準備を行うこと」などを命じた。

 夜10時、オージュロー将軍との連絡が再確立されたことを知ったボナパルトは、すぐに書簡を送った。

 プロベラ師団がマントヴァに向かって行進し、戦闘となった場合、カステル・ダーリオ、ポンテ・ディ・モリーノ、さらにはオスティリアから撤退していく可能性があるためモリネッラ川にできるだけ早く向かうよう命じた。

 そしてランヌ将軍にアンジャーリからサングイネット(Sanguinetto)に移動し、カステル・ダーリオを占領するよう命じた。

 カステル・ダーリオはマントヴァからレニャーゴへの道とマントヴァからヴェローナへの道が交差する地点にあり、連絡のための要地だった。

 そのためランヌに新たな命令を受け取るまで連絡線の維持を求めたのである。

 この時点でロヴェルベッラとその周辺に部隊が集結しつつあったものの、第32半旅団はヴィラフランカにいた。

 15日夜、ギウ将軍の元に書簡が届き、指揮下にあったすべての部隊に撤退が命じられた。

 部隊は夜11時に出発し、16日の朝にイーゾラ・デッラ・スカラに到着した。

プロベラ師団包囲殲滅計画

◎プロベラ師団包囲殲滅計画

リヴォリ戦役:プロベラ師団包囲殲滅計画

 1月15日深夜、ボナパルトはロヴェルベッラでプロベラがサン・ジョルジュへの攻撃を行い失敗したという報告を受けた。

 1月16日午前1時、ボナパルトは朝にラ・ファヴォリータを攻撃すると予測されるプロベラ師団の包囲殲滅を意図して各部隊に命令を下した。

 第18、第57の2個半旅団と第25半旅団の騎兵を有するヴィクトール将軍と予備騎兵隊を率いるドゥガ将軍はラ・ファボリータに向かって進軍する。

 これらの部隊の一部は要塞とプロベラ師団の連絡を遮断するためにサン・ジョルジュへの道路上に配置する。

 セリュリエ将軍はサン・アントニオの防衛をデュマ将軍に任せ、ラ・ファヴォリータの前の要塞に面する側に1,500人を配置し、要塞駐屯軍が要塞から出撃してくる場合、事前に展開して迎撃する。

 第32半旅団を率いるランポン将軍はオージュロー師団との連絡線を確立するためにカステルベルフォルテへ向かう。

 カステル・ダーリオにランヌ旅団とポイント旅団が到着しており、カステルベルフォルテに向かってランポン旅団と連絡を繋ぐ。

 ルクレール将軍は、第8竜騎兵連隊によって補強された騎兵旅団とともにモリネッラ川に沿って急ぎ、プロベラ師団の左側面を後ろから取り囲む。

 そしてオージュロー将軍はプロベラ師団の後を追跡してマントヴァ要塞へ向かい、ギウ将軍はイーゾラ・デッラ・スカラからカステルベルフォルテ向かうはずだった。

 16日未明、総司令官とベルティエからの書簡がオージュローの元に届くと、オージュローは直ちに手元の部隊を率いてカステル・ダーリオに向かった。

 この包囲殲滅計画が完全な形で成功すれば、マントヴァ要塞駐屯軍は要塞内に封じ込められ、ラ・ファヴォリータを攻撃すると予測されるプロベラ師団はすべての方向を遮断され殲滅されることになると予想できる。