リヴォリ戦役 05:プロベラ師団、バヤリッヒ旅団、ミトロフスキー旅団の強度と計画詳細
Battle of Rivoli 05
リヴォリの戦い、ラ・ファヴォリータの戦い
勢力 | 戦力 | 損害 |
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フランス共和国 | リヴォリの戦い:19,000人~22,000人 ラ・ファヴォリータの戦い:セリュリエ師団約6,000人+オージュロー師団とマッセナ師団の一部 |
リヴォリの戦い:死傷者と捕虜の合計約3,200人、大砲2門 ラ・ファヴォリータの戦い:不明 |
オーストリア | リヴォリの戦い:約28,000人 ラ・ファヴォリータの戦い:プロベラ師団約7,000人、マントヴァ要塞駐屯軍約10,000人 |
リヴォリの戦い:死傷者と捕虜の合計約12,000人 ラ・ファヴォリータの戦い:死傷者不明、捕虜約6,000人、大砲22門 |
プロベラ師団の強度と計画詳細
パドヴァ近郊のプロベラ師団は10個大隊、6個半騎兵中隊で構成され、歩兵8,379人、騎兵718騎、計9,097人を有し、大砲10門、ボート25隻とその付属品が配備されていた。
◎プロベラ師団の強度
※「Streffleurs österreichische militärische Zeitschrift(1833), Band 3」より抜粋
◎プロベラ師団の計画詳細
プロベラ師団は1797年1月7日にパドヴァから前進し、1月9日にレニャーゴに到着し占領する。
もし占領に失敗した場合、レニャーゴの上流か下流に舟橋を建設し、アディジェ川を渡ってノガラ(Nogara)に進む。
もしレニャーゴが占領できた場合、レニャーゴに部隊を残しノガラに向かう。
1月12日、マントヴァへ向けて進軍が開始され、フランス軍はこれに対応する必要があると予想される。
師団はノガラからカステル・ダーリオ(旧名:カステッラーロ(Castellaro))を経由して進軍し、マントヴァ要塞駐屯軍とカステルヴェルフォルテ(旧名:ドゥエ・カステッリ(Due Castelli))で合流する。
もしフランス軍がヴィラフランカからかなりの勢力で前進してきた場合、状況によってはポンテ・モリーノ(Ponte Molino)でタルタロ川を渡り、ゴヴェルノロ(Governolo)でミンチョ川を渡ることができる。
プロベラがボアーラ(Boara)でアディジェ川を渡り、バディア(Badia)とアルクア(Arqua)を経由してマントヴァに向かう場合、砲兵とボートを犠牲にして、常に可能な限り迅速にマントヴァに向かって行軍しなければならないだろう。
そしてヴルムサー元帥がマントヴァ要塞から出撃してフランス軍の後方を攻撃し、ミンチョ川を渡って急速に撤退することができるのは合流後のことであることが予想された。
最後に、プロベラ師団とバヤリッヒ旅団の物資はピアーヴェ川流域付近に位置するロヴァディナ(Lovadina)に置き、出発時(1月7日)に1個大隊293人を警備として配置する。
バヤリッヒ旅団の強度と計画詳細
バヤリッヒ将軍指揮下にあるバッサーノ軍は6個大隊、1個騎兵中隊で構成され、歩兵6,081人、騎兵160騎、計6,241人を有し、大砲1門とその付属品が配備されていた。
◎バヤリッヒ旅団の強度
※「Streffleurs österreichische militärische Zeitschrift(1833), Band 3」より抜粋
◎バヤリッヒ旅団の計画詳細
ロイス旅団は9個大隊、5個半騎兵中隊で構成されているが、1月7日にバッサーノで別れ、ロイス旅団はヴァルスガーナを経由してアディジェ川に向かう。
フランス軍がロイス旅団の出発を妨げなかった場合、バヤリッヒ旅団はヴェローナに向かい、1月12日に攻撃する。
その後、バヤリッヒ旅団はサン・ミケーレから右折し、主力軍の左側面をカバーするために山岳地帯に入る。
もしフランス軍がバヤリッヒ旅団を追跡してきた場合、反転して迎撃し、フランス軍を打ち破り追撃しながらヴェローナに向かう。
もしフランス軍がヴェローナに閉じこもったままだった場合、策略、奇襲、または降伏勧告によってそれを占領する。
ヴェローナを占領できた場合、主力軍がブッソレンゴを経由してヴィラフランカに向かっていることを確認した後、1個大隊をヴェローナに残し、主力軍と合流する。
ヴェローナを占領できなかった場合、バヤリッヒ旅団はアディジェ川左岸側を封鎖する。
もし退却しなければならない事態になった場合、山岳地帯に退却しルーゴとブレオニオ(Breonio)の間の位置を占領する。
バヤリッヒ旅団がバッサーノからの進軍開始時に数的優位なフランス軍を遭遇し撤退を余儀なくされた場合、数個大隊を後部にあるフェルトレ(Feltre)とベッルーノ(Belluno)の山々に向かわせ、残りとともにピアーヴェ川に架かる橋のあるロヴァディナ(Lovadina)を防衛する。
このような状況であってもロイス旅団はヴァルスガーナを予備の大砲とボートとともに移動を続け、1月13日にアーヴィオ(Avio)とベッルーノ(Belluno)で主力軍と合流しなければならない。
ミトロフスキー旅団の強度と計画詳細
ヴァルスガーナのミトロフスキー旅団は4個大隊、半個騎兵中隊で構成され、歩兵3,497人、騎兵73騎、計3,570人を有していた。
◎ミトロフスキー旅団の強度
※「Streffleurs österreichische militärische Zeitschrift(1833), Band 3」より抜粋
◎ミトロフスキー旅団の計画詳細
ミトロフスキー旅団の任務は、フランス軍が大軍を持ってバヤリッヒ旅団を打ち破りバッサーノが占領されてしまった場合、フェルトレとベッルーノの山に向かう予定のバヤリッヒ旅団の分遣隊と協力してフランス軍の前進を阻む。
もし退却しなければならない場合、トレント方向に撤退し、段階的に防衛して時間を稼ぐ。
最終的にトレント付近に到着したとき、すべての弾薬や食料をボルツァーノ(Bolzano)に移動するまでフランス軍をトレントから遠ざける。
この頑強な防御に多くの時間が浪費されると見込まれるため、主力軍はすでにマントヴァの奪還と駐屯軍との合流を果たしており、ヴァルスガーナに侵入したフランス軍は退路を断ち切られているだろう。
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