リヴォリ戦役 12:バルド山での衝突
Battle of Rivoli 12

リヴォリの戦い、ラ・ファヴォリータの戦い

勢力 戦力 損害
フランス共和国 リヴォリの戦い:19,000人~22,000人
ラ・ファヴォリータの戦い:セリュリエ師団約6,000人+オージュロー師団とマッセナ師団の一部
リヴォリの戦い:死傷者と捕虜の合計約3,200人、大砲2門
ラ・ファヴォリータの戦い:不明
オーストリア リヴォリの戦い:約28,000人
ラ・ファヴォリータの戦い:プロベラ師団約7,000人、マントヴァ要塞駐屯軍約10,000人
リヴォリの戦い:死傷者と捕虜の合計約12,000人
ラ・ファヴォリータの戦い:死傷者不明、捕虜約6,000人、大砲22門

フェラーラとコロナでの戦闘

 第3列を指揮するコボロス将軍は1797年1月12日午前7時に先頭に立ってベッルーノを出発し、フランス軍前哨部隊を追い払い、午前9時にはアルバーレ(Albare)山に登っていた。

 そしてアルバーレから南に突き出したマドンナ・デッラ・コロナの隣の山に部隊を分けた。

 1月12日午前10時、第1列と第2列の到着の兆候すら無い時、第3列を3つに分割しフェラーラの村を占領しようとした。

 一進一退の攻防が続き、戦闘は5時間にも渡った。

 コボロスはカステレッティ(Castelletti)とオルヴェッティ(Olvetti)にあるフランス軍の堡塁に激しい砲撃を加えると、フランス軍も反撃して大きな被害をもたらした。

 そしてオーストリア軍の小さな砲台は対抗できずに沈黙した。

 被害は深刻であり、騎兵は砲撃の数に屈し谷底にある森を通って退却することを余儀なくされた。

 そんな中、第2列リプタイ旅団がコロナの左側面に位置する山の頂上に到着した。

◎フェラーラとコロナでの戦闘

リヴォリ戦役:1797年1月12日、フェラーラとコロナでの戦闘

 フェラーラとコロナを防衛するジュベール師団前衛はオーストリア軍の第2列と第3列の合計よりも3分の2以上少なく、予想外のオーストリア軍の出現に動揺した。

 リプタイ将軍はフランス軍の後方に第1列が現れるまで攻撃しないよう命じられていたため、それを厳密に守りコボロス旅団を支援しないことを決定したが、フランス軍に攻撃されたことにより戦うことを余儀なくされた。

 リプタイは雪に覆われたコル・カンピオーネ(col Campione)に上り、正面からは通行することができないコロナに対して攻撃を行った。

 射撃は終日続き、フランス軍は塹壕の後ろに隠れ、多くの被害を受けた。

 夜が来てもバルド山は両軍の砲火に包まれていた。

 夜遅く、コボロス将軍はドッシ(Dossi)とフェラーラ礼拝堂の右側にあるフランス軍の陣地を打ち負かそうとした。

 しかし、暗い冬の夜闇によってその攻撃を停止せざるを得なかった。

 コボロスはマドンナ・デッラ・コロナに対して横に広がって砲撃を行ったが、夜の闇により狙いを定めることは困難だった。

 結局、第2列と第3列はフェラーラとマドンナ・デッラ・コロナを占領することができず、この日の目標を達成することはできなかった。

 ジュベールはボナパルトにバルド山を強化するよう要請し、翌日の戦いに備えてすべての準備を行った。

ロイス旅団の接近と各列の進捗

 第4列オクスカイ旅団はベッルーノとリヴァルタに到着し、その前哨部隊はクロアラから30分ほど北に位置していた。

 第4列はその後ベッルーノに進み、ブレンティーノで第2列と第3列の支援を行った。

 12日午後5時、アルヴィンチはフェラーラの右側の高さから、第4、第5列を統率するカスダノウィッチ将軍に対して命令を発した。

 その内容は、第5列の4個大隊とその後ろから到着する数個大隊をできる限り早くベッルーノに配置された第4列に追いつかせ、オクスカイ将軍は第4列の歩兵とともに第3列に追いついてその後ろを行進し、騎兵は第5列に留まるというものだった。

 恐らくこの命令はフェラーラとコロナが想定よりも堅固に守られており、第2列と第3列の損害が大きかったか、第1列の到着が不明瞭な中で増援が必要と判断したのだろう。

 第5列ロイス旅団はこの日アーヴィオに到着し、カスダノウィッチ将軍はペーリで一夜を過ごした。

 主力軍第6列ビカソヴィッチ旅団はキウーサ砦を覆う山岳地帯へ進出し、サンタ・アナを占領した。

 その前衛はカヴァロ(Cavalo)に位置し、ビカソヴィッチ将軍はドルチェにいた。

 ラウドン将軍はその分遣隊とともにメッラ川まで進出していた。

 13日午前1時半頃、ペーリにいるカスダノウィッチはオクスカイ旅団を支援するようロイス将軍に命令を送った。

プロベラ師団撃退準備

 1月12日、ボナパルトはボルゴフォルテを経由しロヴェルベッラに到着していた。

 この時のボナパルトはプロベラ師団がレニャーゴに迫ってきていることのみを知らされており、ヴェローナ方面とリヴォリ方面での戦闘報告は届いていなかった。

 そのためボナパルトはレニャーゴ方面のプロベラ師団に対応すべくドゥガ将軍の予備騎兵隊に他の騎兵隊を加えて増強した上で大砲とともにレニャーゴに進むよう命じ、ヴィクトール将軍にもカステル・ダーリオ(旧名:カステッラーロ)に向かい、モリネッラ川沿いの村に立ち寄って状況を知らせるよう命じた。

 その後すぐにオージュローからの書簡がボナパルトの元に届き、プロベラ師団がレニャーゴの前で停止していることを知ると主導権を握るためにマッセナにもヴェローナに少数の守備隊のみを残してレニャーゴ方面に進軍する準備を整えるよう命じた。

 これらの命令を出し終えるとボナパルトはロヴェルベッラを出発した。