リヴォリ戦役 14:増えた選択肢とプロベラの策動
Battle of Rivoli 14
リヴォリの戦い、ラ・ファヴォリータの戦い
勢力 | 戦力 | 損害 |
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フランス共和国 | リヴォリの戦い:19,000人~22,000人 ラ・ファヴォリータの戦い:セリュリエ師団約6,000人+オージュロー師団とマッセナ師団の一部 |
リヴォリの戦い:死傷者と捕虜の合計約3,200人、大砲2門 ラ・ファヴォリータの戦い:不明 |
オーストリア | リヴォリの戦い:約28,000人 ラ・ファヴォリータの戦い:プロベラ師団約7,000人、マントヴァ要塞駐屯軍約10,000人 |
リヴォリの戦い:死傷者と捕虜の合計約12,000人 ラ・ファヴォリータの戦い:死傷者不明、捕虜約6,000人、大砲22門 |
増えた選択肢
ジュベールからの報告がボナパルトの元に届き、ジュベール師団がバルド山から撤退し救援を求めていることを知った。
しかしボナパルトはどこに兵力を集中させるべきかを決めかねていた。
一方ではアディジェ川下流域でのプロベラ師団による攻撃とヴェローナでのバヤリッヒ旅団による散発的な攻撃があり、他方ではオーストリア軍がチロル方面に現れバルド山の拠点を失っていたため主力をどこに振り向けるかの選択肢が増えたのである。
◎ナポレオン視点でのオーストリア軍の攻撃
しかもオージュロー師団の前衛指揮官であるデュポー将軍からの報告がボナパルトの決断を惑わせていた。
デュポー将軍はオーストリア軍の主力がアディジェ川下流域に向かうことを保証し、プロベラ師団は12,000人にも及びその他に複数の縦隊があることを暗に示唆し、オーストリア軍の参謀長がレニャーゴにいることを匂わせ、舟橋用ボートの列が2つあることを報告していた。
1月13日夜明け前、ボナパルトはレニャーゴ方面に向かうという命令を撤回し、マッセナ師団をアディジェ川右岸に渡らせ、ヴェローナの街中を通って状況に応じて対応できる位置に移動させた。
ジュベール将軍への質問とルクレール将軍による威力偵察
ジュベール師団の後退は13日の早朝まで続けられ、ジュベールは最終的にトロンバローラ(Trombalora)まで後退させた。
1月13日午前9時、激しい雨が降る中、ボナパルトはオーストリア軍の主力がどこなのかを知るためにジュベールに書簡を送り、目の前のオーストリア軍が9,000人~10,000人以上の兵力を有しているかどうかを尋ねた。
そして目の前のオーストリア軍が少ない場合、それは明らかに陽動であることを付け加えた。
もしジュベール師団と対峙しているオーストリア軍が10,000人以上の兵力を有していると推定される場合、レニャーゴ方面の攻撃は陽動であり、その場合オージュロー師団はプロベラ師団を簡単に封じ込めることができるだろうと見込まれた。
さらにボナパルトは、マッセナ師団の前哨部隊指揮官であるルクレール将軍にカルディエーロへの威力偵察を行うよう命じた。
ルクレール旅団は歩兵1,500人、騎兵400騎でオーストリア軍の大砲の射程の範囲内に足を踏み入れて攻撃を行った。
ルクレール旅団はかなりの損害を出して撃退され、サン・ジャコモとサン・マルティーノに後退しそこを保持した。
この威力偵察はヴェローナ方面への攻撃が主攻なのか陽動なのかを見極めることを目的としていたが、ルクレールはその目的を果たすことができず、ボナパルトの疑念を晴らすことはできなかった。
午後、バヤリッヒ将軍はマッセナがルクレール旅団を強化するためにサン・ミケーレに多くの部隊を派遣したことを知り、翌朝に攻撃を仕掛けてくるだろうことが予想された。
カルディエーロには歩兵1,200人、騎兵100騎しかおらず、カルディエーロを防衛するには兵力が全く足りていなかった。
その時、プロベラ将軍から次の夜にアンジャーリでアディジェ川渡河を実行するためロンコに対して迂回して支援して欲しいと要請を受け取った。
そのためバヤリッヒはオージュロー師団の一部を少しでもロンコに釘付けにすることを目的としてアルコレに分遣隊を派遣し、自らはヴィッラノーヴァに後退した。
プロベラによるアディジェ川渡河陽動作戦
プロベラはアディジェ川の堤防を注意深く偵察した結果、アンジャーリ村の対岸だけがフランス軍に気付かれずに舟橋用ボートを運び込むことができる場所だと判断した。
そのためアンジャーリ村にはフランス部隊が配置されていたが渡河地点に選ばれた。
1月13日午前、プロベラはミネルベに配置した前哨部隊の後ろに師団を進め、午後にホーエンツォレルン将軍はサン・ゼノーネの前衛とともにアンジャーリに出発した。
正午以降、プロベラはフランス軍を欺くためにべヴィラックアで停止させていた舟橋用ボートと大砲2門をニケゾラ(Nichesola)に向かわせ、大きな騒音を立てて橋を建設しているように見せかけた。
夜が近づくとそのすべての機材をアンジャーリに運び、150人の分遣隊にカステルニエラ(Castelniela)で渡河のデモンストレーションを行わせた。
その後、分遣隊の一部は右岸に足を踏み入れたが、フランス軍によって捕らえられた。
夜6時、ホーエンツォレルン旅団はアンジャーリの対岸に到着し、左岸のレニャーゴ周辺にはわずかな部隊しか残さなかった。
師団本体はミネルベから進軍して夜10時にホーエンツォレルン旅団と合流し、右側ではフランス軍がロンコからアルバレードに南下しようとしていたためそれを阻止するために9個中隊をボナヴィーゴ(Bonavigo)に派遣した。
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