リヴォリ戦役 09:べヴィラックアでの戦闘
Battle of Rivoli 09

リヴォリの戦い、ラ・ファヴォリータの戦い

勢力 戦力 損害
フランス共和国 リヴォリの戦い:19,000人~22,000人
ラ・ファヴォリータの戦い:セリュリエ師団約6,000人+オージュロー師団とマッセナ師団の一部
リヴォリの戦い:死傷者と捕虜の合計約3,200人、大砲2門
ラ・ファヴォリータの戦い:不明
オーストリア リヴォリの戦い:約28,000人
ラ・ファヴォリータの戦い:プロベラ師団約7,000人、マントヴァ要塞駐屯軍約10,000人
リヴォリの戦い:死傷者と捕虜の合計約12,000人
ラ・ファヴォリータの戦い:死傷者不明、捕虜約6,000人、大砲22門

べヴィラックアでの戦闘

 1797年1月8日、バヤリッヒ旅団はモンテベッロに向かい、ロイス旅団はヴァルスガーナを通り、プロベラ師団はサレット(Saletto)へ、その前衛はフランス軍の前哨部隊を追い払いつつモンタニャーナ(Montagnana)への前進を続けた。

 フランス軍前哨部隊はベヴィラックア(Bevilacqua)に後退した。

 その頃オージュローは副官であるデュポー(Duphot)将軍に強力な分遣隊を与え、オーストリア軍の偵察のためにレニャーゴ要塞から1時間ほどのところに位置するベヴィラックアに向かわせていた。

 ホーエンツォレルン旅団はさらに前進しべヴィラックアの東側を流れるフラッタ川に沿ってフランス軍が防衛線を構築しているのを発見した。

 オージュロー師団はすでにレニャーゴに到着していた。

 ホーエンツォレルン将軍は3個大隊、4個騎兵中隊でべヴィラックアを防衛するフランス軍を攻撃し、ピアチェク(Piaczek)大佐に左翼を任せてフラッタ川沿いに位置するサン・サルヴァロ(San Salvaro)とメルラーラを攻撃した。

◎べヴィラックアでの戦闘

 デュポー将軍はべヴィラックア城のみを強固に防衛したためべヴィラックアでは激しい戦闘が行われたが、カザーレ(Casale)、サン・サルヴァロ、メルラーラなどの左翼が担当する地域では大した抵抗もできずホーエンツォレルン旅団によって占領された。

 ピアチェク大佐率いる左翼はフラッタ川に入って渡河しようとしたが、その水深は深く渡河することはできなかった。

 そのためその場に留まることを余儀なくされ、べヴィラックアのフランス軍の退路を断つことはできなかった。

 正午頃、オージュローは2個半旅団を増援として派遣し、オーストリア軍前衛への攻撃を命じた。

 しかし、オージュローはプロベラ師団本体が前進したという報告を受け取るとフラッタ川に向かっていた増援を引き返させ、デュポー将軍に、オージュローがレニャーゴ橋でプロベラ師団を迎え撃つ準備が完了するまでの間オーストリア軍の進軍を可能な限り止めるよう命じた。

 デュポーは果敢に戦ったが持ち堪えることができず、サン・ゼノーネ(San Zenone)、ミネルベ(Minerbe)、ボスキ(Boschi)へ退却した。

 べヴィラックアからの退却にはステイヤー(Steyer)将軍の命と大砲2門が必要だった。

 オージュローはその後、師団の大部分をロンコに移動させた。

 べヴィラックアでの戦闘におけるフランス軍の損失は、死傷者数は不明、士官3人と兵士50人が捕虜となった。

 対するオーストリア軍の損失は死傷者58人、捕虜13人、計79人であり、その他に馬20頭が死傷した。

プロベラ師団の動きに対するオージュローの見解

 1797年1月9日、プロベラ将軍はサン・ゼノーネ、ミネルベ、ボスキの村々から約3,000人と推定されるオージュロー師団の前衛部隊を追い払うことを決定した。

 午後4時、ホーエンツォレルン将軍は前衛隊を4列に編成してこれらの村々を攻撃してフランス軍を敗走させ、士官25人を含む兵士300 人を捕虜とし、大砲3門と数個の弾薬ケースを手に入れた。

 そして一部はレニャーゴに、一部は右翼によりアディジェ川沿いに位置するボナヴィーゴ(Bonavigo)近くまで逃亡者を追跡した。

 しかしプロベラの師団の進軍はアディジェ川まで到達した後、停止を余儀なくされた。

 翌10日にアディジェ川を渡河する計画だったが、悪路により大砲と舟橋用ボートの到着が遅れており、オージュロー師団がアディジェ川を自然の障壁として防衛態勢を構築していた。

 オージュロー師団の兵力はプロベラ師団よりも少なく分散していたが、アディジェ川により防御効果は増しており、レニャーゴとロンコの2ヵ所の橋を占領していたためオーストリア軍の側面と後方を遮断することができる立場にあったのである。

 1月9日夜、オージュローはプロベラ師団の動きとその対応についての報告をボナパルト宛に送った。

 そこには「オージュロー師団を圧迫して抑えつつレニャーゴから遠く離れた地点でアディジェ川を渡河し、フェラーラを占領してマントヴァ要塞駐屯軍のための教皇領への退路の確保がプロベラ師団の目的だと推測されること」、「レニャーゴで渡河することを計画している可能性も残されているため師団の兵力の大部分をゼーヴィオ、ロンコ、レニャーゴに集めること」、「ロンコでの橋頭保の確保はまだ完了しておらず、レニャーゴ南東のアディジェ川右岸沿いに位置するカスタニャーロ(Castagnaro)での橋頭保の確保は少しは進んでいる状態であること」が書かれていた。

◎オージュローの見解と対応

 これらのことからオージュロー師団の主な目的はロンコとレニャーゴ周辺のアディジェ川流域を防衛することによりマントヴァ要塞やヴェローナに近づけさせないことだろうと推測される。

 そのためオージュローは主目的を果たしつつ、プロベラ師団がレニャーゴから遠く離れた地点でアディジェ川を渡河してマントヴァ要塞方向やフェラーラ方向に向かったとしても対応できる位置に兵力を集めたのである。