リヴォリ戦役 07:オーストリア軍全軍の強度と計画
Battle of Rivoli 07

リヴォリの戦い、ラ・ファヴォリータの戦い

勢力 戦力 損害
フランス共和国 リヴォリの戦い:19,000人~22,000人
ラ・ファヴォリータの戦い:セリュリエ師団約6,000人+オージュロー師団とマッセナ師団の一部
リヴォリの戦い:死傷者と捕虜の合計約3,200人、大砲2門
ラ・ファヴォリータの戦い:不明
オーストリア リヴォリの戦い:約28,000人
ラ・ファヴォリータの戦い:プロベラ師団約7,000人、マントヴァ要塞駐屯軍約10,000人
リヴォリの戦い:死傷者と捕虜の合計約12,000人
ラ・ファヴォリータの戦い:死傷者不明、捕虜約6,000人、大砲22門

輜重隊の計画

 主力軍の第1列~第3列までを担当する第1輜重隊はキッツォラ(Chizzola)に到着すると待機し、1月10日までにラバに予備の弾薬を乗せ、ブレントーニコで供給準備を完了させる。

 1月11日、サン・ジャコモとバレンティーノを通り、ゼッケンドルフ将軍指揮下に入る。

 第2輜重隊は予備の弾薬と数門の大砲を持って1月10日にサンタ・マルゲリータ(Santa Margherita)を経由してアラに向かい、1月11日にペーリで舟橋を渡り、13日、軍に従ってリヴォリに向かう。

 恐らく第2輜重隊は第4列~第6列を担当する輜重隊だと考えられる。

フランス軍が進軍してきた場合の対応

 これらのオーストリア軍主力の各縦隊の配置は、フランス軍がオーストリア軍に対して進軍してきた場合のことも考慮に入れられていた。

 フランス軍がアディジェ川左岸側から、チロル方面、フリウーリ方面、カリンシア(ケルンテン)方面に向かった場合、リヴォリへの攻撃作戦を精力的に実行し、その成功により派遣されたすべてのフランス軍の分遣隊が遮断されることになると予想される。

 フランス軍がアディジェ川の両岸に部隊を配置し、右翼はセッラヴァッレ方向に向かい、左翼はキッツォラ方向に向かい、、バルド山に沿ってサン・ヴァレンティーノに向かった場合、主力軍は大規模に集結し、そのときの状況に適した攻撃作戦が命じられる。

 もしフランス軍がセッラヴァッレやキッツォラ、サン・ヴァレンティーノを占領した場合、ロイス将軍とヴァイデンフェルト将軍はカッリアーノを防衛し、オクスカイ将軍、ビカソヴィッチ将軍、ボースト(Beust)大佐はブレントーニコ周辺の高地を防衛する。

 その他の命令は状況に応じて下される。

1797年1月7日~10日時点でのオーストリア軍全体の強度

 これらの軍隊はボーデン湖東端に位置するブレゲンツ(Bregenz)から行進中の分遣隊を除いたすべての兵士は1月10日までにチロル軍とフリウーリ軍への再編成が完了し両軍の数はほぼ均等となった。

 その結果、オーストリア軍は50個大隊、39個中隊、22個半騎兵中隊で構成され、歩兵46,232人、騎兵2,817騎、合計49,049人となった。

◎オーストリア軍全体の強度

※「Streffleurs österreichische militärische Zeitschrift(1833), Band 3」より抜粋

 フランス軍の前線に配置された軍の合計は44,610人(ボーローニャのランヌ旅団約4,000人を除く)であり、全体としてはわずかながらオーストリア軍が数的優位な立場となった。

 しかし、マントヴァ要塞が1月中旬に陥落するだろうことを知ったオーストリア軍の急ピッチな準備とタイトな計画にはどこかに重大なほころびがあるのではないかと感じさせるものがあった。

オーストリア軍の全体計画

◎オーストリア軍の全体計画イメージ

リヴォリ戦役全体図(Battle of Rivoli 1797)

 1797年1月7日、プロベラ師団はパドヴァを出発し、ロイス旅団とバヤリッヒ旅団はバッサーノを出発する。

 1月8日、これら3つの縦隊の行進を続ける。

 1月9日、プロベラ師団はレニャーゴ、バヤリッヒ旅団はヴィッラノーヴァの前に到着する。

 1月10日、プロベラ師団はアディジェ川を渡る。

 バヤリッヒ旅団はヴェローナ方向に向かい、カルディエーロ、サン・ジャコモ、サン・ヴィターレ(San Vitale)まで進む。

 主力軍も動き始め、第1列はブレントーニコに、第2列はアーヴィオに集結する。

 1月11日、プロベラ師団はノガラに移動する。

 バヤリッヒ旅団はヴェローナの前に到着する。

 主力軍第1列と第2列はバルド山を登り、第3列はベッルーノに集結する。

 アディジェ川左岸の第4列は11個中隊をレッシーニ山脈に侵入させヴェローナに向かわせる。

 ラウドン将軍はブレシアとベルガモ、ヴォバルノ(Vobarno)、サロー、オードロ(Odolo)、ヴァル・トロンピア(Val Trompia)に分遣隊を移動させる。

 1月12日、主力軍第1列、第2列、第3列はマドンナ・デッラ・コロナのフランス陣地を攻撃する。

 主力軍第4列はベッルーノを経由してクロアラに進む。

 プロベラ師団はカステッラーロを行進し、バヤリッヒ旅団はヴェローナを攻撃する。

 ラウドン旅団はヴェネツィアの平原に降りる。

 1月13日、主力軍第5列ロイス旅団はベッルーノに到着する。

 主力軍第1列、第2列、第3列、第4列はリヴォリのフランス陣地を攻撃して制圧する。

 主力軍第6列はアディジェ川左岸側からリヴォリへの支援砲撃を行う。

 プロベラはカステルベルフォルテ(Due Castelli)を経由してマントヴァ要塞への偵察を行い、フランス軍の包囲を破ってマントヴァ要塞駐屯軍と合流する。

 1月14日、戦いに勝利した後、第5列と第6列はリヴォリに向かいアルヴィンチ本体と合流し、前衛、2つの主力師団、予備に再編成を行う。

 1月15日、主力軍はリヴォリから南下して平野に移動する。