リヴォリ戦役 11:オーストリア主力軍の始動
Battle of Rivoli 11
リヴォリの戦い、ラ・ファヴォリータの戦い
勢力 | 戦力 | 損害 |
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フランス共和国 | リヴォリの戦い:19,000人~22,000人 ラ・ファヴォリータの戦い:セリュリエ師団約6,000人+オージュロー師団とマッセナ師団の一部 |
リヴォリの戦い:死傷者と捕虜の合計約3,200人、大砲2門 ラ・ファヴォリータの戦い:不明 |
オーストリア | リヴォリの戦い:約28,000人 ラ・ファヴォリータの戦い:プロベラ師団約7,000人、マントヴァ要塞駐屯軍約10,000人 |
リヴォリの戦い:死傷者と捕虜の合計約12,000人 ラ・ファヴォリータの戦い:死傷者不明、捕虜約6,000人、大砲22門 |
オーストリア主力軍の始動とその概況
1797年1月11日、オーストリア主力軍の各縦隊は集結地点を離れ各々の目的地に向かった。
◎1797年1月11日時点のオーストリア主力軍の概況
第1列ルシニャン旅団はサン・ジャコモ、サン・ヴァレンティーノを経由し、バルド山の頂上を目指した。
第2列リプタイ旅団は夜にマドンナ・デッラ・ネーヴェとアルティリオーネに到着した。
この時、総司令官アルヴィンチもアルティリオーネに到着した。
第3列コボロス旅団はこの日ベッルーノに留まったままだった。
第4列オクスカイ旅団と第5列ロイス旅団はアディジェ川沿いを移動していた。
第6列ビカソヴィッチ旅団は11個中隊をレッシーニ山脈に派遣しすでにバヤリッヒ旅団と連絡を取り合っていた。
ラウドン旅団は少ない兵力を有効活用してブレシアへの陽動任務を果たすために小さな旅団をさらに小さく分割して分遣隊を編成し、1月11日、イドロ湖の谷とヴァルヴェスティーノ湖を通ってサロー、ヴォバルノ、オドーロ、ヴァル・トロンピアまでいくつかの方法で分遣隊を前進させ、可能な限りの騒音をブレシアとベルガモの地域まで広げた。
各列はどこまで移動し、どこで夜を過ごすかについて毎日正確に計画されていた。
しかしその計画には季節や悪天候、さらにはフランス軍の抵抗による障害については特に考慮に入れられておらず、計画の間違いのない達成が期待されていた。
食料と弾薬はこの正確に計算された期間のみ利用でき、不測の事態があった時のために食料は各自が携帯した。
オーストリア主力軍が1月11日に出発し12日に行軍する予定であるバルド山は悪天候の冬の山であり、行進計画の一部はすでに破綻していた。
主力軍第1列~第3列は深い雪の中、道のない険しい岩山を登る困難を極めた行進により、力を使い果たしていた。
携帯した食料は重荷となり、休みのない行軍により食事の回数が増えたため、最初の数日で正確に計算された食料のほとんどを使い果たした。
バルド山のオーストリア主力軍は人口がまばらで食料のない地域での行進を続けなければならず、飢えと疲労に襲われながらフランス軍を攻撃するために配置についた。
第1列~第3列の兵士達は、最初の計画では翌12日にフェラーラとマドンナ・デッラ・コロナのフランス陣地への奇襲攻撃を行う予定だったが少しづつ遅れが生じていた。
第1列ルシニャン旅団の道程の詳細
1月11日、第1列ルシニャン旅団は最も困難な行軍を行わなければならなかった。
夜明け頃、旅団はブレントーニコから出発する準備ができていた。
サン・ジャコモとサン・ヴァレンティーノを経由してバルド山頂に向けて登り、ボッカ・ディ・ナヴェーネ(Bocca di Navene)を経由してガルダ湖に至る道を観察した。
降り積もった雪によりバルド山頂に沿っての行軍を行うことはできず、木材が無かったため雪と氷に覆われた岩山の上で夜を過ごすこともできなかった。
正午頃、ルシニャン大佐は稜線沿いに進まず、マルチェジネに向かって少しだけ下山し、そこから2時間南下したところで野営地を設置した。
午後4時には旅団の大部分が野営に入ったが、最後衛は午後11時に野営地に到着した。
第1列は何とかこの日の行動計画を達成することができた。
◎ルシニャン旅団、苦難の道程
1月12日、ルシニャンの任務はフェラーラにあるフランス軍駐屯地を取り囲み、第2列と第3列がそれを占領するのを支援することであり、その後、カプリーノもしくは少なくともペジナ(Pesina)の後ろまで進まなければならなかった。
朝7時頃、ルシニャン将軍は先頭の縦隊とともにマルチェジネに向かって下山した。
30分ほど下ったところでガルダ湖沿いに南下してソンマヴィッラ(Sommavilla)に向かい、午後4時に到着した。
その後、1個大隊をフェラーラとコロナに派遣し、旅団本体をカプリーノに向かって進軍させ、午後7時にコスタベッラ(Costabella)山とガッツォ(Gazzo)山の間に位置しフランス軍が放棄したばかりのルミニ(Lumini)に到着した。
しかしルミニに留まることは危険に思えたため、ルシニャン大佐はルミニに2個中隊を残してコスタベッラ山に登り、分離した1個大隊にカプリーノとフェラーラの間に向かい、必要な時は戦うよう命じた。
第1列は夜10時になってようやくコスタベッラ山頂に到達した。
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