リヴォリ戦役 21:リヴォリの戦い(1797)<2nd Day>
Battle of Rivoli 21
リヴォリの戦い、ラ・ファヴォリータの戦い
勢力 | 戦力 | 損害 |
---|
フランス共和国 | リヴォリの戦い:19,000人~22,000人 ラ・ファヴォリータの戦い:セリュリエ師団約6,000人+オージュロー師団とマッセナ師団の一部 |
リヴォリの戦い:死傷者と捕虜の合計約3,200人、大砲2門 ラ・ファヴォリータの戦い:不明 |
オーストリア | リヴォリの戦い:約28,000人 ラ・ファヴォリータの戦い:プロベラ師団約7,000人、マントヴァ要塞駐屯軍約10,000人 |
リヴォリの戦い:死傷者と捕虜の合計約12,000人 ラ・ファヴォリータの戦い:死傷者不明、捕虜約6,000人、大砲22門 |
サン・マルコ礼拝堂の争奪とレイ師団の到着
1797年1月15日未明、アルヴィンチはまだ暗い中、軍の前進を開始させた。
◎リヴォリの戦い<2日目>の始まり
コボロスはサン・マルコ礼拝堂を占領し、他の列もコボロスの進捗に合わせて進軍した。
午前4時、ヴィアル将軍はサン・マルコ礼拝堂を取り戻すために激しく攻撃を行った。
サン・マルコ礼拝堂はその重要性からこの日も激戦地となり、午前8時頃、ヴィアル旅団はついにサン・マルコ礼拝堂を保持することに成功した。
これによりフランス軍は勝利の鍵を手にしたが、ジュベールは前日の壮絶な戦いによって被った損失により戦列に深刻な懸念を抱いていた。
しかも中央を担当するレイ師団(バラグアイ・ディリエール旅団)の前進が遅れており、左翼のヴォー旅団は西に遠く離れていたため、右翼ヴィアル旅団の左側を迂回することができる空間が空いていた。
ヴィアル旅団の中央と左翼は大きな損失を被っており、ヴィアル旅団単独ではこれ以上の進軍は難しかった。
ヴィアル将軍は礼拝堂とその周辺で防備を旅団左翼と中央によって固めたが十分ではなく、ジュベールに援軍を求めた。
そこへレイ師団所属のバラグアイ・ディリエール将軍がついに大隊とともに現れ、ヴィアル旅団の近くに向かい、しばらくしてレイ将軍が第58半旅団の先頭に立って到着した。
フランス軍の攻勢
ジュベールはすぐに事前計画に従って攻撃の手配を行った。
◎フランス軍の攻勢
右翼ヴィアル旅団にマニョーネ山(Monte Magnone)へ前進して尾根をたどるよう命じ、コボロス旅団を退却させる。
中央バラグアイ・ディリエール旅団は第33、第58半旅団でサン・マルティーノへ行進する。
左翼ヴォー旅団は第29軽、第85半旅団でアルティッシモ山(Monte Altissimo)の斜面をたどり、リプタイ旅団を倒しコロナでオーストリア軍の退路を遮断する。
第22軽半旅団の2個大隊と第58半旅団の1個大隊で形成された旅団はフェラーラに向かう。
ミュラ将軍は第12軽半旅団とともにトッリからバルド山を越えてコロナに向かっていた。
この計画は地形が許す限り同時に実行され、オーストリア軍はどの地点においても劣勢だった。
アルヴィンチは自ら戦場の最も危険な位置に急行して指揮を執ったが、兵士達の士気を回復させることはできなかった。
昨日の戦いでの勝利間近での事故が兵士達の自信を、寒さと飢えが兵士達の気力と体力を奪い去っていた。
戦いは2時間続き、ヴィアル将軍はコボロス旅団を後退に追い込み、バラグアイ・ディリエール将軍はオクスカイ旅団をサン・ミケーレに押し戻し、ヴォー将軍はリプタイ旅団をコロナに向けて撤退させた。
ロイス旅団の後退
ロイス将軍は中央の指示を待ち、オステリア・デッラ・ドガーナの塹壕への砲撃を行っていたが、バルド山の尾根で戦っているはずのコボロス旅団やオクスカイ旅団の兵が岩壁を乗り越えアディジェ渓谷に出現すると自身の退路を心配し後退を開始した。
同時にサン・ジュリアン大佐に10個中隊と騎兵の分遣隊を後衛としてクロアラに残し、30分後にロイスの後を追うように命じた。
ロイス将軍の手元にある4個大隊の内、2門の大砲を備えた1個大隊をブレンティーノに送り、別の1個大隊にベッルーノ峡谷を守るよう命じた。
残った2個大隊とともにロイス将軍はクロアラの後ろに少しの間留まり、騎兵隊と大砲の合流を待った。
オーストリア主力軍中央の無秩序な後退
フランス軍中央のバラグアイ・ディリエール(Barraguay d'Hillier)将軍率いる旅団は、中央のオーストリア軍の列を追跡したが、サン・マルティーノに到着すると進軍速度を落とし、両翼に同心円を描く機動を完了する時間を与えた。
◎包囲のための停止
左翼のヴォー将軍はプラヴァッサー(Pravassar)でルミニを経由してきたミュラ旅団と合流した。
ヴォー将軍はさらに4列目とも合流し、オーストリア軍の退路を断つためにフェラーラへ向かった。
ジュベール師団は徐々に前進し側面攻撃を行った。
同時にオーストリア軍の3つの列はコロナとフェラーラに続く小道と峡谷に向かって無秩序に後退を始めた。
ロイス将軍による敗北時の対応策の発動
フランス軍はバルド山を逃げるオーストリア軍を追跡し、遂にはロイス旅団の後方を脅かすところにまで進軍していた。
そこへオクスカイ旅団へ派遣した部隊の指揮官から、フランス軍は銃剣を前に隊列を組みベッルーノに向かっておりアーヴィオの峡谷を脅かそうとしていると知らされた。
ロイスは作戦が失敗した時の計画通りに手元の2個大隊をキッツォーラとブレントーニコ経由でサン・ヴァレンティーノに派遣した。
アディジェ渓谷のロイス旅団にサン・ヴァレンティーノに向かわせる計画だったのは、フェラーラとサン・ヴァレンティーノの間の地域が雪に覆われた山岳地帯であり移動が困難であることが理由だろうと考えられる。
ロイスの手元には後衛を形成したセントジュリアン大佐の10個中隊と9個騎兵中隊しか残っていなかった。
ロイスは後衛とともにベッルーノに向かった。
アディジェ渓谷を行進する軍の間にも第2~第4列が敗北したという噂が広まり、敵の姿が見えたわけではなかったが、個々の兵士の中は方向や目的に関係なく逃亡を開始する者もいた。
リヴォリの戦いの決着
無秩序に後退している第2列~第4列の最前線の部隊は、前線への行進の準備を行っていた後方の部隊を一掃した。
◎完全包囲と降伏の呼びかけ
通行不能な岩壁を越えアディジェ渓谷に出た多くの兵士はリヴァルタに向かって逃亡することに成功したが、コロナやプラヴァッサーへの道を通って逃亡した兵士は通行可能なすべての道を遮断され、ブレンティーノの梯子(Echelle de Brentino)と呼ばれる狭く急な道を駆け下りることを余儀なくされた。
この瞬間、フランス軍は右翼と左翼の散兵を前進させ、バルド山を逃亡するオーストリア軍を包み込み、ブレンティーノの梯子を駆け下りる群れの先頭に弾丸と石の雹を降らせて停止させた。
オーストリア軍は無秩序に入り乱れ、死がまき散らされた。
そして孤立してもう進むことができなくなるところまで追い詰められた。
ジュベールは降伏を呼び掛けるトランペットを2回鳴らしたが反応は無く、3回目のトランペットの音で議員を迎え、降伏が認められた。
これにより約6,000人の兵士が武器を置いて降伏した。
しかしアルヴィンチは数人の将軍とともに、通行不能と考えられる峡谷を通って脱出していた。
オーストリア主力軍の退却と再集結
ロイスはアルヴィンチが態勢を立て直すまで後衛としての任務を果たし、ベッルーノの舟橋を落とし1個大隊と数門の大砲でベッルーノに留まった。
フランス軍の多くはフェラーラとリヴァルタまでの追跡に留めて深追いをしなかったため、アルヴィンチはアーヴィオに本部を設置して散らばった兵士を集結させ再編成に取り組んだ。
◎オーストリア主力軍の再集結
後部を覆う必要が無くなった頃、ロイスはベッルーノに強力な部隊を配置し、より慎重にアーヴィオへの撤退を開始した。
フランス軍はロイス旅団を追跡しようとしたが、アディジェ川の対岸にいるビカソヴィッチ旅団がフランス軍の右側面を砲撃して追跡を妨害し、ロイス旅団が後退する時間を稼いだ。
15日夜~16日未明、ビカソヴィッチ将軍はペーリに撤退するよう命令を受けた。
そしてアルヴィンチは夜の間にチロルの国境に移動し、カッファーロに留まっているラウドン将軍に対し、チロルの南の入り口をペスキエーラ、ブレシア、ベルガモに向けてカバーするよう指示した。
- TOP
- Rivoli 00
- Rivoli 01
- Rivoli 02
- Rivoli 03
- Rivoli 04
- Rivoli 05
- Rivoli 06
- Rivoli 07
- Rivoli 08
- Rivoli 09
- Rivoli 10
- Rivoli 11
- Rivoli 12
- Rivoli 13
- Rivoli 14
- Rivoli 15
- Rivoli 16
- Rivoli 17
- Rivoli 18
- Rivoli 19
- Rivoli 20
- Rivoli 21
- Rivoli 22
- Rivoli 23
- Rivoli 24
- La Favorita
- Rivoli 26
- Rivoli 27
- Rivoli 28
- Rivoli 29
- Rivoli 30
- Rivoli 31
- Rivoli 32
- Rivoli 33
- Rivoli 34
- Rivoli 35
- Rivoli 36
- Rivoli 37