ガルダ湖畔の戦い 20:カスティリオーネの戦い<前哨戦> 
Battle on the shores of Lake Garda 20

ロナートの戦い、カスティリオーネの戦い

勢力 戦力 損害
フランス共和国 ロナート:約20,000人
カスティリオーネ:約30,000人
ロナート:約2,000人
カスティリオーネ:約1,300人
オーストリア ロナート:約15,000人
カスティリオーネ:約25,000人
ロナート:約5,000人
カスティリオーネ:約3,000人

カスティリオーネの戦い 前哨戦①:前哨戦の始まりとリプタイ旅団左翼の崩壊

 1796年8月2日、モンテキアーリのオージュロー師団では、カスティリオーネの高地にいるリプタイが指揮するヴルムサーの前衛部隊に夜襲を行う準備をしていた。

 この夜襲作戦の目的は、フランス総司令官ボナパルトがガヴァルドにいるオーストリア軍カスダノウィッチ師団を打ち破り(ロナートの戦い)、反転してオージュロー師団と合流するまでの時間を得ることだった。

 夜襲を行い勝利を収め、ヴルムサーに態勢を立て直すために時間を使わせるのである。

 対するオーストリア軍リプタイ旅団の中心部は古城が支配する城壁に囲まれた小さな村であるカスティリオーネを占領しており、その両翼は高地に配置されていた。

 8月3日に日付が変わり、オージュロー師団は静かに動き出した。

 午前0時頃、暗闇の中、ロベルト旅団が別動隊としてモンテキアーリから出発した。オーストリア軍の左側を通過し後背に移動することが目的だった。

 オージュローはロベルト旅団がオーストリア軍の後背に到着するには2時間かかると計算していた。

 ロベルト旅団の出発から1時間後、オージュロー師団の本体が出発し、ロベルト旅団が目標地点に到着しているであろう2時にカスティリオーネ村の前に到着し列を形成させた。

 オーストリア軍の騎兵のいくつかの部隊がオージュロー師団を認識するようになった時、オージュローはオーストリア軍に陣地で警鐘を鳴らさせ、慌てふためかせるために第22騎兵中隊にオーストリア軍の塹壕に突撃するよう命令した。

 突然の攻撃にオーストリア軍は叫び声をあげながら武装した。そして混乱しながらも可能な限り戦闘に参加した。

 オージュローはオーストリア軍が混乱している状況を利用し、勢いのままオーストリア軍を攻撃した。

 右翼ベイランド旅団は2列を形成し、高地に配置されているオーストリア軍左翼を2個半旅団で攻撃した。

 最初の列が銃剣を前方に向けて突撃した。

 左翼ペルティエ旅団は少数の部隊で左に回り込み、オーストリア軍右翼へ攻撃した。

 ペルティエ旅団の役割はオーストリア軍右翼を釘付けにすることが目的だった。

 オーストリア軍はオージュローの奇襲により戦闘態勢を十分に整えることができないまま戦闘に入ったため、劣勢に立たされた。

 中央のヴェルディエ大佐は、オーストリア軍の混乱を利用し村をぐるりと囲む城壁を突破した。そしてカスティリオーネ城を占領するために密集した2つの列で行進し、最初の列に銃剣を前方に向けて突撃を命じた。

 村を防衛していたオーストリア軍中央は城に後退したが、夜襲による混乱により跳ね橋を上げることができず、部隊を配置して跳ね橋を防衛した。

 カスティリオーネ城は村を見下ろす切り立った岩の上にあり、カスティリオーネ城からの攻撃は苛烈を極めた。

 それにもかかわらずヴェルディエ麾下の歩兵は、マスケット銃の射撃とブドウ弾が降り注ぐ中、一発の射撃もせずにカスティリオーネ城を目指し岩を登った。

 ヴェルディエ大佐はこの勇敢な行動により、後に准将に昇進した。

 オージュロー自身は予備部隊とともに後方にいた。

◎カスティリオーネの前哨戦におけるオージュロー師団の初動



 右翼のベイランド准将は高地のオーストリア軍左翼を打ち倒しオーストリア軍左翼が布陣していた位置を占領した。

 オーストリア軍左翼の兵士の多くは逃亡しており、他は武器を横たえ降伏の姿勢を見せていた。

 しかし、ベイランド旅団の数が少ないことを知ると再び武器を取り攻撃を始めた。

 長く激しい近接戦の後、幸運はオーストリア軍に傾いた。

 オージュロー師団右翼の支柱であるベイランド准将とポウライリー准将が戦死したのである。

 ベイランドはオージュローの親友であり、その死はオージュローに大きな衝撃を与えたと言われている。

 ポウライリーの弟ベルナール・ポウライリー(Bernard Pourailly)もフランス軍に所属していたが、兄の訃報が届くと軍を去った。

 オージュローはこの2人の勇敢な将軍達の死を知ると指揮官の戦死によって崩れかけた右翼の元に駆け付けた。

 指揮官を失った右翼のいる高地に到着するとオージュローは部隊を結集し、再びオーストリア軍左翼を攻撃する準備を行った。

 準備が完了し攻撃を再開するとオーストリア軍左翼は圧倒され、後方を防衛しながら後退した。

 オージュローはオーストリア軍左翼が布陣していた場所に6門の大砲を設置し、後退するオーストリア軍左翼に大きな損害を与えた。

 オージュローは、オーストリア軍左翼を第51半旅団とともに待ち伏せをしていたロベルト将軍の射程内まで追撃した。ロベルト旅団は、後退するオーストリア軍左翼が射程内に入ると猛攻撃を行った。

 オーストリア軍左翼も反撃を行ったが、秩序ある後退は逃亡に変わり、山へ敗走することを余儀なくされた。

◎リプタイ旅団左翼の崩壊

 この時の戦闘でロベルト将軍は榴散弾により頬に傷を負い戦線を離脱した。指揮官不在となったロベルト旅団は一時的に活動を停止した。



カスティリオーネの戦い 前哨戦②:リプタイ旅団の後退

 カスティリオーネを防衛していたオーストリア軍中央のリプタイ将軍は左翼が崩壊しても後退も降伏もせず、未だ村を防衛する意思を貫いていた。

 リプタイの視点だと目の前のフランス軍は全軍では無く一部であり、他のフランス軍はカスダノウィッチ師団と戦っている可能性が高い。

 ヴルムサー本体がゴーイトから急行してくるはずであり、リプタイがカスティリオーネで時間を稼げば稼ぐほどオーストリア軍は有利になる。

 ヴルムサー本体がカスティリオーネの戦場に到着すれば目の前のフランス軍の一部(オージュロー師団)は容易に打ち倒すことができ、カスダノウィッチ師団と協力してフランス軍を挟撃できるのである。

 リプタイとしてはカスティリオーネで粘り強く戦う必要があったと考えられる。

 この時リプタイはカスティリオーネ城の防衛のために8門の6インチ榴弾砲を有する砲台を2か所に設置していた。

 オーストリア軍左翼が布陣していた高地にいるオージュローはカスティリオーネへの偵察を行った後、予備部隊の先頭に立ち降下を始めた。

 銃剣を交わし、跳ね橋を占領し、砲兵を斬り大砲を鹵獲し、突撃によりカスティリオーネにいるリプタイ率いる旅団中央を打ち倒しカスティリオーネの城を占領した。

◎リプタイの後退

 リプタイは旅団を維持して抵抗しつつ後退し、ソルフェリーノへ向かった。



カスティリオーネの戦い 前哨戦③:リプタイ旅団の反転攻勢とオージュローの罠

 オージュローは部隊の一部で村を占領し城に駐留部隊を残し、左翼のペルティエ旅団に追撃させ、ペルティエ旅団以外の師団全体を結集させた。

 この時、ペルティエ将軍を除くすべての将軍や旅団長は戦死したか負傷していた。そのためオージュローは将軍ではない士官たちとともに一人で指揮を執った。

 オージュローは後退して行ったリプタイ旅団を効果的に追撃したかったが、午前2時に到着する予定だったキルメイン騎兵隊は午前9時になっても現れず、手元には騎兵が約300騎しかなかったため騎兵隊での追撃を断念せざるを得なかった。そのため指揮官が健在な左翼のペルティエ旅団に追撃をさせたのである。

 ソルフェリーノから南に6㎞ほどの位置にあるグイディッツォーロ(Guidizzolo)に駐留していたオーストリア軍シュビルツ大佐は大砲と銃の射撃音に気付くとすぐにヴルムサーに伝令を走らせ、戦闘をしているであろう方向へ向かった。そしてソルフェリーノ近郊でフランス軍ペルティエ旅団と遭遇した。

 シュビルツはリプタイ旅団を追撃しながらソルフェリーノに迫り来るペルティエ旅団に痛撃を与えて追い返し、リプタイ旅団と合流した。

 後退したリプタイ旅団の兵士の多くは武器を持たないか負傷し戦えない者だったがリプタイは旅団を結集させ再び戦う意思を見せた。

 リプタイはシュビルツ騎兵隊とともにオージュロー師団との戦線を形成し、続々と駆け付けてくると思われるヴルムサー本体と合流してオージュロー師団を打ち破る計画だったのだろうと考えられる。

◎リプタイの計画

 平野部に派遣していた騎兵小隊からの急報によりリプタイ旅団の反転を知ったオージュローはリプタイ旅団を打ち砕くべく、リプタイの機動を予測して一計を案じた。

 オージュローとしては戦線が膠着し戦いを長期化させることが自身を不利にしていくことになると理解していたのだろう。

 そのためリプタイに致命的な一撃を与え打ち倒す必要があった。

 カスティリオーネからゴッツォリナ(Gozzolina)、メドレ(Medole)、カステル・ゴッフレード(Castel Goffredo)、チェレザーラ(Ceresara)、ガゾルド・デリ・イッポーリティ(Gazoldo degli Ippoliti)を経由しオソーネ(Osone)川に流れ込む灌漑用水路セリオラ・ゴッツォリナ(Seriola Gozzolina)があり、その川底は乾いていて土手は茂みで覆われていた。

 オージュローはリプタイ旅団の退路を予測して砲兵をセリオラ・ゴッツォリナの後ろに隠し、砲兵の15歩先に騎兵500騎に支援された3個半旅団を配置した。

 ペルティエは高所で旅団を指揮し、師団の残りはカスティリオーネ村の前に戦列を形成した。

 オーストリア軍が近づくと、オージュローは弱ったペルティエ旅団を攻撃させないためにペルティエ旅団の前に戦列を前進させた。

 リプタイはグイディッツォーロから出撃したシュビルツ騎兵隊含むすべての騎兵隊を列に編成し、ペルティエ旅団の前に移動した戦列に対して攻撃を開始した。

 カスティリオーネにいるフランス軍は、オーストリア軍を十分射程内に引き込むために、その間反撃をしなかった。

 砲撃による砂埃が舞い上がる中、フランス軍は全力で反撃を開始した。

 茂みに隠れていたフランス歩兵は戦列を組んで川底の乾いるセリオラ・ゴッツォリナに入り、ハーフレンジから十分に弾薬が供給されたマスケット銃による射撃を行った。同時にセリオラ・ゴッツォリナの茂みの後ろに隠された大砲が正体を現しブドウ弾を吐き出した。

 フランス軍の砲撃はオーストリア軍に大きな損害をもたらしたが、リプタイも粘り強く応戦した。

 オージュローは歩兵にドラムロール(太鼓の細かい連打)の合図により射撃を停止させた後、セリオラ・ゴッツォリナから出現し銃剣で突撃させた。

 セリオラ・ゴッツォリナからの歩兵の銃剣突撃により、オーストリア軍は大きな混乱に陥り、フランス軍の勝利は決定づけられた。

◎オージュローの罠 配置段階

◎オージュローの罠 殲滅段階

 リプタイとシュビルツはその後ソルフェリーノ(Solferino)とカヴリアーナ(Cavriana)周辺にまで後退した。

 オージュローは前線をカスティリオーネから6㎞ほど押し上げソルフェリーノに迫った。

 この戦いは4時間続き、フランス側上級士官の何人かが戦死したか負傷したと言われている。





カスティリオーネの戦い 前哨戦④:キルメイン騎兵隊とオーストリア増援部隊の到着

 1796年8月3日は非常に暑い日だった。

 高く昇った太陽によりカスティリオーネの平原は乾燥しており、わずかな水たまりさえ無かった。

 暑さは兵士と馬の体力を奪い、オージュローはオーストリア軍はもう攻撃してこないだろうと考えていた。

 しかし、オージュローの予想に反し、リプタイはさらにダヴィドウィッチが編成した増援部隊の補強を受けてソルフェリーノから出撃してきた。

 カスティリオーネのフランス軍は喉の乾きに苦しみ疲労の極致にあり、ボナパルトがカスダノウィッチ師団との戦いによりオージュロー師団に援軍を送ることができないことをリプタイは知っていたため、ヴルムサー本体からの増援を受けた今、再度攻撃すればカスティリオーネを取り戻すことができると考えていたのである。

 オージュロー師団の前哨部隊は後退を余儀なくされ、オージュローは戦闘準備に取り掛かった。

 ペルティエ旅団に高地の防衛を一任し、オージュロー自身はオーストリア軍を平野で迎え撃つ準備をした。

 そこへキルメインが2個騎兵大隊約1,600騎を率いてカスティリオーネに入った。

 キルメイン自身は騎兵隊の右翼を指揮し、左翼はボーモント将軍が、中央はランドリューが指揮していた。

 オージュロー師団は疲労のピークにあったため、キルメインに迂回してオーストリア軍の後背を突かせる作戦を伝えた。

◎オーストリア軍増援の到着と再攻勢

 戦いが始まると増援を受けたリプタイ旅団の攻撃はすべての地点で猛烈な勢いで行われ、オージュローは平野部で戦線を維持しつつ徐々に後退し2、3kmほど押し込まれる形となった。

 この時、オージュローはキルメインに2個騎兵大隊でオーストリア軍の後方に回り込み突撃するよう命じた。

 この作戦は幸運にも成功し、前からは歩兵が、後ろからは騎兵隊が突撃し平野のオーストリア軍は秩序を失い散り散りになり逃走を始めた。

 このキルメインの突撃により多くのオーストリア兵が捕虜となった。

 オージュローはキルメインに日暮れまでオーストリア軍を蹂躙するよう命令した。

 平野部では勝利したオージュローだったが、高所では重要地点を占領され、高所を担当しているペルティエ旅団は危機に瀕していた。

◎キルメインの活躍

 オージュローはボナパルトの副官であるマルモンとともに高地に登り、ペルティエが後退しているのを発見した。

 オージュローがペルティエ旅団に合流すると、兵士たちが疲労の極致にあるのを見た。

 オージュロー師団は午前2時に戦いを開始し、この時点で午後3時だった。約13時間休むことなく、飲食さえする時間さえなく戦い続けていたのである。

 周辺には水も無かった。

 オージュローは兵士たちを奮起させ、ペルティエ旅団が攻撃している位置を見た。

 そこは4門の大砲と1,000人のオーストリア歩兵によって守られていた。

 オージュローは攻撃を支援し、オーストリア軍が防衛している場所を占領して戦列を確立する必要があった。

 オージュローはサーベルを手にして急進した。

 しかし、すぐに1,800人の兵士に追い抜かれ、彼らは1,000人のオーストリアの部隊を倒し、大砲を手に入れオーストリアの部隊がいた場所を占領した。

 オージュローは部隊を配置し戦列を確立した後、ペルティエ将軍に指揮を一任した。



カスティリオーネの戦い 前哨戦⑤:前哨戦の終わり

 オージュローは本部であるカスティリオーネに行き、師団に食糧と弾薬の補給を手配し、指揮を執った。

 オージュローが高所から後退したとき、担当場所に向かう途中の兵士が、オーストリア騎兵の一群が列の後に砂埃を舞い上げているのを見せた。

 オーストリア騎兵の一群は騒動と混乱を引き起こすためにヴルムサーによって送られた部隊だった。

 オージュロー師団の大部分は水を汲むためにカスティリオーネにおり、丸一日水を飲んでいないとヴルムサーは確信していた。

 オージュローは酔っ払った兵士たちに数発の大砲を発射させ、すぐにカスティリオーネに向かった。

 そこでオーストリア騎兵が村に恐怖をばら撒いているのを見た。

 オージュローは目の前のオーストリア騎兵と戦って捕虜とし、他のオーストリア騎兵を排除するために100騎の騎兵を送った。

 オーストリア騎兵はオージュローが派遣した100騎の騎兵を見ると振り返って逃亡した。

 この日オージュローはリプタイ旅団左翼を逃亡させ、リプタイ旅団中央と右翼をカスティリオーネで後退に追い込み、リプタイ旅団の反転攻勢を撃退し、ヴルムサー本体からの補強を受けたリプタイ旅団の猛攻撃を跳ね返した。

 しかし多くの将軍や士官、兵士を失っていた。

 まさに激戦だった。

 オージュローはペルティエと協力して師団を立て直し、一晩中警戒するよう師団全体に命じたが、その日オーストリア軍が現れることは無かった。