ガルダ湖畔の戦い 05:ガルダ湖畔の戦いの始まり 
Battle on the shores of Lake Garda 05

ロナートの戦い、カスティリオーネの戦い

勢力 戦力 損害
フランス共和国 ロナート:約20,000人
カスティリオーネ:約30,000人
ロナート:約2,000人
カスティリオーネ:約1,300人
オーストリア ロナート:約15,000人
カスティリオーネ:約25,000人
ロナート:約5,000人
カスティリオーネ:約3,000人

前線の異変

 1796年7月22日、ソーレの副官フランチェスキ(Franceschi)がイドロ湖周辺のオーストリア軍の動向に異変があること気付いた。

 23日、ガルダ湖において、カステレット(Castelletto)とトッリ(Torri)の間に停泊していたフランス艦隊がオーストリア艦隊に攻撃され、フランス艦隊はペスキエーラへ撤退した。ガルダ湖のオーストリア艦隊はガルダ湖西岸のカスダノウィッチ師団とガルダ湖東岸のメラス師団との連絡役を担った。

 24日、メサロス師団はバッサーノへ向けて出発した。

 26日、ヴェネツィア共和国の大臣はオーストリア軍がバッサーノに進軍したことによるパドヴァ(Padova)の住民の避難とチロルでのオーストリア軍の行進を見ており、それをフランス軍に知らせていた。

 マッセナはオーストリア軍が26日にバッサーノを行進し、27日にヴィチェンツァを占領していることを知った。

 同日、ベルティエはマッセナにジュベール旅団左翼の視察を行うためにマッセナの元に留まった。

 バルド山の湖側(西側)は非常に急な斜面だが、カステッロ・ディ・ブレンゾーネ(Castello di Brenzone)、マルニガ(Marniga)、カンポ(Campo)から山頂に向かうことが可能だった。このルートは山頂にたどり着くのに1日かかるのだが、森の中を通ることによりこの進軍を隠すことは容易だった。

 もしオーストリア軍がこれらの地点に湖に沿って部隊を送るか、船を使って夜間に上陸した場合、バルド山のフランス軍前哨基地は危険にさらされる。そしてもし前哨基地が突破された場合、オーストリア軍はコロナ周辺で防衛しているフランス軍よりも高地から攻撃することが可能となり窮地に立たされるのである。

 ベルティエはマッセナにジュベールが防衛をするに当たっての重要なポイントはジュベールの左翼であると付け加えた。

 マッセナはヴァレッテに対し、モンターニャに配置しているヴァレッテ麾下の6個中隊から約100人を分離し、チェルヴィ(Cervi)山に守備隊を配置するよう命じた。

 チェルヴィ山に守備隊を配置することで通行可能なポイントをすべて支配することができ、この方面への機動が不可能となる。しかも守備隊はジュベールの左翼から約1時間という近距離におり、ジュベールの合図でモンターニャの部隊とジュベールの左翼(バルド山頂付近の部隊)と協力し、バルド山の救援に向かうことができるのである。

◎バルド山西側の防衛計画



 さらにマッセナはヴァレッテにチェルヴィ山とガルダ湖東岸の偵察の頻度を上げるよう指示し、バルド山の支援に向かう予備の部隊を強化することをジュベールに約束した。

 28日、マッセナはボナパルトに10,000人(実際は約5,000人)のオーストリア軍がヴィチェンツァを占領したことを報告した。(オーストリア軍がヴィチェンツァを占領したのは27日であり、報告がなされたのは28日。)

 ソーレはサロー、ジュベールはコロナが最初に攻撃されるだろうとマッセナに報告した。

 ボナパルトは最初の攻撃がどこから来るのか分からなかったため、現状の計画を着々と進めることにした。

 右岸に塹壕と砲台を完成させ、ポールの舟橋を完成させることに専念した。

 ボナパルトとベルティエはオーストリア軍が24時間以内にアディジェ川に到着することを全軍に伝え、臨戦態勢を整えるように指示した。

 兵士達もすぐそこにまで迫っている戦いの気配を敏感に感じ取っていた。



ガルダ湖畔の戦いの始まり

 1796年7月28日、ライン方面軍からの最後の部隊がトレントに到着すると、ヴルムサーは全軍に進軍の号令を出した。

 オーストリア軍各師団の行軍は順調であり、ほぼ作戦計画通りに目的地に到着した。

 このオーストリア軍の動きについて報告を受けたボナパルトはミラノにいた。

 ボナパルトはミラノからブレシアに行き、軍の配置を修正するために28日夜10時にブレシアを立ちペスキエーラへ向かった。

 29日午前3時、オーストリア軍の全軍が動いた。

 左翼メサロス師団はヴィチェンツァを出発してモンテベロ(Montebello)へ向かった。

 左中央ダヴィドウィッチ師団隷下のシュピーゲル旅団はヴェローナへ威力偵察を行った。ヴェローナを防衛していたランポン旅団はシュピーゲル隷下の威力偵察部隊を追い返した。

 ダヴィドウィッチ本体はミトロフスキー旅団、リプタイ旅団を従えアディジェ川左岸沿いを下り、セボッテンドルフの支援を行いつつ南下した。