ガルダ湖畔の戦い 18:ロナートの戦いにおける両軍の計画
Battle on the shores of Lake Garda 18
ロナートの戦い、カスティリオーネの戦い
勢力 | 戦力 | 損害 |
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フランス共和国 | ロナート:約20,000人 カスティリオーネ:約30,000人 |
ロナート:約2,000人 カスティリオーネ:約1,300人 |
オーストリア | ロナート:約15,000人 カスティリオーネ:約25,000人 |
ロナート:約5,000人 カスティリオーネ:約3,000人 |
ロナートの戦いにおけるナポレオンの計画
1796年8月2日夜、ボナパルトはソーレがサローから撤退したことを知ると、オージュロー師団約11,000人がヴルムサーを封じ込めている間に、体調を崩したソーレに代わってギウに対しロナートから再びサローに進軍してオーストリア軍を追い出すよう命じ、デスピノイをガヴァルドに向かわせた。
逆境に立たされたボナパルトはモンテキアーリにおいて一時的に弱気になっていたが、再びオーストリア軍に立ち向かう決意を固めていた。
ダルマーニュ旅団はギウ旅団とデスピノイ師団の2将軍の部隊の連絡戦の確保のためにパイトーネ(Paitone)へ向かって進軍した。
ロナートにいるフランス軍中央のマッセナはピジョン旅団をロナートに残してポンテ・サン・マルコに移動し、状況に応じてカスダノウィッチ師団もしくはヴルムサーを攻撃することになっていた。
ボナパルトもポンテ・サン・マルコに移動し指揮を執った。
これは2正面作戦だった。本来、戦力を集中させてカスダノウィッチ師団を攻撃すべきところ、ヴァレッテ旅団の後退によりヴルムサーの前衛であるリプタイ旅団約4,000人がカスティリオーネにまで迫ってきていたため、リプタイ旅団とその後ろに控えていて急行してくるであろうヴルムサー本体のために11,000人という多くの戦力を割かなければならなかったのである。
◎ロナートの戦いにおけるナポレオンの計画
そしてこの作戦は、多数の兵を有するマッセナ師団(ピジョン旅団、ヴィクトール旅団、ランポン旅団、ロルセ(Lorcet)旅団など)が最初の攻撃の時点で受け身となっており、カスダノウィッチ師団もしくはヴルムサー本体に前線の部隊がやられそうになったら出撃するという非常に中途半端な作戦だった。
しかし、ヴルムサー本体を食い止めなければならないオージュロー師団の負担を考えると致し方ない措置だった。
そのためデスピノイ師団、ダルマーニュ旅団、ギウ旅団で約15,000人を擁するカスダノウィッチ師団を攻撃せざるを得なかった。
これらの計画はフランス軍が期待するような成功を保障しているわけでは無かった。
もしカスダノウィッチ師団がデスピノイ、ダルマーニュ、ギウを打ち破り、ヴルムサー本体が急進しオージュロー師団を撃破して来た場合、完全に挟撃されてしまうのである。
ロナートの戦いにおけるカスダノウィッチの計画
ヴルムサーから「8月2日にミンチョ川を渡る」旨の書簡を受け取ったカスダノウィッチは、8月3日の朝にロナートを占領し、ヴルムサーと連絡をつなぐことを計画していた。
ヴルムサーと連絡をつなぐためにはレッツァートからデセンツァーノ周辺にいるフランス軍を排除する必要があった。
カスダノウィッチはレッツァートからデセンツァーノ周辺のフランス軍を攻撃しヴルムサー本体との連絡を確立する計画を立案した。
サローにいるオクスカイ旅団が8月2日の夜に先行して出発しロナートを奪い、3日にガヴァルドにいるオット旅団がレッツァート方面を勢力下に置く。ロイス旅団はサローに移動し、スポーク旅団、クレナウ旅団はガヴァルドを保持する。
◎ロナートの戦いにおけるカスダノウィッチの計画
オット旅団はポンテ・サン・マルコにいるフランス軍本体の後方を突き、ロナートを占領するはずのオクスカイ旅団と協力してポンテ・サン・マルコから退却させることを企図していたと考えられる。
しかし、5個旅団を保有していながらこの攻撃計画に3個旅団しか投入していないことを考えると、分断されたカスダノウィッチの保身を考えた計画だったのだろう。
奇しくもナポレオンとカスダノウィッチは本体を温存し、両翼で敵両翼の位置を占領し、その後両翼は敵本体の位置で合流するという作戦を立案し、それをほぼ同時に行ったのである。