ガルダ湖畔の戦い 07:オーストリア軍による侵攻②
Battle on the shores of Lake Garda 07
ロナートの戦い、カスティリオーネの戦い
勢力 | 戦力 | 損害 |
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フランス共和国 | ロナート:約20,000人 カスティリオーネ:約30,000人 |
ロナート:約2,000人 カスティリオーネ:約1,300人 |
オーストリア | ロナート:約15,000人 カスティリオーネ:約25,000人 |
ロナート:約5,000人 カスティリオーネ:約3,000人 |
リヴォリでの戦闘
マッセナはこの危機に対し、マッセナの増援がリヴォリに到着するまで踏み止まるよう命じるために立て続けに副官をジュベールの元へ送った。
ジュベールは右翼をリヴォリの堡塁に配置して戦列を確立し、左翼ではヴィクトール旅団からの増援である約900人の兵士を隣接して配置した。マッセナの副官であるレイユは、有利な場所を選んでこの防衛線の中央に2門の大砲を配置した。
フランス軍が防衛線を構築した後、メラス師団が到着し部隊を展開した。10,000人の兵士で戦列を形成し、砲台を設置した。
マッセナはこの瞬間に2門の軽砲と騎兵隊の分遣隊を伴ってリヴォリに到着し、ジュベールにオーストリアの小隊を追い出すよう命じた。
ジュベールは自分自身を部隊の先頭に置き、ヴィクトール旅団の支援を受けて3時間の銃撃戦を行った。
マッセナはこの銃撃戦が有利に進んでいるのを見てリヴォリをジュベールに任せ、セーガ橋方面の状況の確認に向かった。
マッセナが不在の間、リヴォリ砦(Rocca di Rivoli)は頑強に守り、オーストリア軍の攻撃を幾度も跳ね返していた。しかしオーストリア軍は既存の砲台に大砲を追加して火力を強化し、遂にリヴォリ砦を陥落させた。
砲弾と火薬が不足しているフランス軍の砲手はリヴォリ砦を思うように支援することができず、オーストリア軍の砲撃を受け撤退した。
その時、ダヴィドウィッチ師団がインカナーレ(Incanale)の峡谷から現れ、リヴォリ砦から撤退するジュベール旅団の右翼を攻撃した。
◎リヴォリの戦闘(前半)
リヴォリ砦を失った右翼を見て、ジュベールは砲兵を後退させた。そしてリヴォリの盆地を離れ、ヴィクトール旅団の右で新たな戦線を構築した。
メラスはジュベールが構築した新たな戦線を攻撃し、カンパラ(Campara)方向に戦線を拡大しようとした。
◎リヴォリの戦闘(後半)
この兵力差を生かしたメラスの動きはフランス軍の弱点を突くものだった。メラスがフランス軍右翼側に戦線を伸ばした場合、フランス軍は既存の戦線を薄くしオーストリア軍の動きに合わせて戦線を伸ばさざるを得ない。
しかしフランス軍の必死の抵抗に合い、日が落ちて両軍は戦いを一時休止した。
この一連の戦いにおいてヴィクトールの位置は不動のままだった。
サローでの戦闘
1796年7月29日、コロナ、ブレンティーノ、そしてリヴォリでマッセナがジュベール旅団、ヴィクトール旅団とともに戦っている時、オーストリア軍右翼のカスダノウィッチ師団はソーレ師団に対し6個旅団(総勢17,621人)で進軍していた。
ソーレ師団はチロルへ続く道の全てを監視するために小部隊に分かれて散らばっていた。そのためサロー付近の兵力は2,000人未満となっていた。
オットは旅団を2つに分け、トレヴィーソを去った。
1つ目のサン・ジュリアン大佐率いる8個中隊はエノ(Eno)方面から険しい山道を通りサローへ向かった。オットは2つ目のバルゲ(Barghe)方面の部隊を率い、パヴォーネ(Pavone)の岩の上に配置されたフランスの部隊を攻撃して後退させた。
2つ目の部隊はそのままサローへ進軍し攻撃した。ソーレは手元の部隊で抵抗しようとしたが兵力差によりデセンツァーノに撤退することを余儀なくされた。
◎サローの戦闘(序盤)
しかしソーレは諦めておらず、キエーゼ川周辺に配置した部隊をかき集め、サロー奪還に向かった。
激しい戦いの後、オーストリア軍からサローを奪い返すことに成功した。
◎サローの戦闘(中盤①)
しかしそこへ山道からサローに向かっていたサン・ジュリアン大佐の部隊がサローに到着した。サン・ジュリアン大佐は正面からソーレを攻撃し、軽騎兵隊を左翼へ突撃させた。
ソーレはこの攻撃に驚き再びデセンツァーノに撤退せざるを得ず、ギウ(Guieu)准将は約400人の部隊を率い、食糧も持たぬままサロー東のガルダ湖のほとりにあるマルティネンゴ宮殿(Palazzo Martinengo)に避難した。
この時、サローでの戦闘でルスカ将軍がオーストリア軍に捕らえられた。
◎サローの戦闘(中盤②)
ギウの部隊はマルティネンゴ宮殿に立て籠もるとすぐにオット旅団の一部に包囲された。ソーレがデセンツァーノへ撤退したことによりギウ准将の部隊は完全に孤立した。
オット旅団はサローに2個大隊を残し、周囲を勢力下に置いた。
オクスカイ旅団はバルゲを去り、弱体化した大隊(ソーレのサロー奪還のために兵力を削減されたと考えられる)に守られたガヴァルドを攻撃して占領した。その後、サローへ向かい、サローでのサン・ジュリアン大佐とソーレの戦闘が終わる頃に到着した。
カスダノウィッチはオクスカイにサローを保持し、2個大隊、2個騎兵中隊(徒歩)、100頭の馬でマルティネンゴ宮殿に立て籠ったギウの部隊を包囲するように指示した。
◎サローの戦闘(終盤)
サローでの一連の戦闘の間、クレナウ旅団はサン・テウゼービオ峠を通過しブレシア平原へ入った。そして小部隊と遭遇して攻撃を行った後、ブレシア平原を離れカイーノ(Caino)に宿営した。
ロイス旅団、スポーク旅団はノッツァを去り、ロイス旅団はメッラ川に沿ってブレシアへ向かい、スポーク旅団はサン・テウゼービオへ向かった。