ガルダ湖畔の戦い 14:カスダノウィッチ師団の劣勢
Battle on the shores of Lake Garda 14
ロナートの戦い、カスティリオーネの戦い
勢力 | 戦力 | 損害 |
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フランス共和国 | ロナート:約20,000人 カスティリオーネ:約30,000人 |
ロナート:約2,000人 カスティリオーネ:約1,300人 |
オーストリア | ロナート:約15,000人 カスティリオーネ:約25,000人 |
ロナート:約5,000人 カスティリオーネ:約3,000人 |
カスダノウィッチ師団の動向
1796年7月31日のサローでのソーレの機動とロナートでの戦闘はカスダノウィッチの進軍を停止させた。
ガルダ湖北岸に位置するリーヴァ(Riva)との連絡戦が脅かされようとしていると考えたのである。
◎カスダノウィッチ師団の連絡線
そのため、8月1日にカスダノウィッチはガヴァルドに移動して師団の再編成を行い、8月2日にオクスカイ旅団でサローを占領し、サッビア(Sabbia)谷のノッツァに予備部隊を派遣した。
◎カスダノウィッチ師団の動き
カスダノウィッチはガヴァルド、サローを完全に勢力下に置き連絡線を確保した上でヴルムサー本体との合流を果たそうと計画した。
カスダノウィッチのこの動きは、ヴルムサー本体側の情報が乏しい中で、連絡線の重要性を理解した堅実な考えの結果だった。
オージュロー師団のブレシア占領
7月31日夜、オージュローはロヴェルベッラを最高の秩序と最大の沈黙の中で出発しモンテキアーリへ向かった。
夜中にゴーイトに到着し、ボナパルトは8月1日夜明けに沈黙の中カスティリオーネに到着した。
ボナパルトとオージュローは30分ほど会話をし、オージュローは師団の元に戻った。
オージュローはそこでオーストリア軍がポンテ・サン・マルコとモンテキアーリを占領していることを知り、そのままモンテキアーリに前進した。
モンテキアーリの平原に到着したオージュローは部隊を一列に並べオーストリア軍の前哨基地を攻撃するための準備をした。高台に配置されたオーストリアの分遣隊を追い払うために立ち止まることなく、旅団長のポウライリー(Pourailly)准将に4個大隊、騎兵50騎、2門の軽砲を与え、ポンテ・サン・マルコを攻撃した。
ポウライリー将軍はわずかな抵抗の後、ポンテ・サン・マルコを占領した。そして、オージュロー師団本体はブレシアへ向かった。
モンテキアーリのオーストリア軍の部隊はブレシアに退却した。
フランスの大軍がブレシアに迫ってきていることを知ったクレナウは退却の準備を急いだ。
ブレシアの町から4㎞ほど離れた地点にまで迫っていたオージュローは、農民達にオーストリア軍がブレシアの町にいるかどうかを尋ねた。
農民達は「そうです」と答え、それに付け加えて、「(農民達が)ブレシアから出発したとき、オーストリア軍はブレシアから退却する準備をしていた。」ことを聞いた。
オージュローはすぐさま騎兵隊の先頭に立ち、その後ろに6門の軽砲を続かせ、師団をブレシアに急進させた。
オージュローはブレシアを占領していたオーストリア軍クレナウ旅団の最後尾がブレシアから出たまさにその瞬間にブレシアに到着した。
オージュローはクレナウ旅団の最後尾を騎兵隊の一部で山の麓まで追いかけさせたがそれ以上の追跡は不可能だった。
オージュロー自身は残りの騎兵隊とともにブレシアの町に入り、前日に捕らえられた捕虜や病人、6人の将官、そして倉庫が無事であることを確認し、ミラノとの連絡を再確立した。
オーストリア軍には捕虜や物資を持ち去るだけの時間が無かったのである。
クレナウは麾下のフォーゲル(Vogel)中尉の部隊をカイーノに残し、自身はカスダノウィッチ本体と合流するためにガヴァルドへ向かって退却した。