ガルダ湖畔の戦い 10:オージュローの提案
Battle on the shores of Lake Garda 10
ロナートの戦い、カスティリオーネの戦い
勢力 | 戦力 | 損害 |
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フランス共和国 | ロナート:約20,000人 カスティリオーネ:約30,000人 |
ロナート:約2,000人 カスティリオーネ:約1,300人 |
オーストリア | ロナート:約15,000人 カスティリオーネ:約25,000人 |
ロナート:約5,000人 カスティリオーネ:約3,000人 |
オージュローの提案
1796年7月30日午後9時頃、ボナパルトが側近とともにロヴェルベッラに到着し、オージュローのいる宿舎に入った。
ボナパルトはポー河を渡って撤退し、ポー河を自然の障壁として利用し防衛線を構築することをすでに決めており、マントヴァ要塞を攻囲しているセリュリエにもポー河を渡って撤退する準備をするよう命令していた。
そのことをオージュローに話すと、オージュローは今の状況は絶望的な訳では無いことをボナパルトに伝え、さらにフランス軍は数的劣勢ではあるがすべての部隊を有効活用し、オーストリア軍に立ち向かうことを主張した。
そしてすぐに軍を集結させ、撤退論者を抑える必要があると伝えた。
ボナパルトは動揺していなかった。
オージュローは話を続けた。
「オーストリア軍がブレシアとポンテ・サン・マルコを占領したということはわかった。私は今晩、ブレシアに向けて出発する。私はブレシアからオーストリア軍を追い出し、寸断されているミラノとヴェローナの間の連絡を再確立するつもりだ。」
「しかし、その場合マントヴァの包囲を解く必要がある」とベルティエは言った。
確かにロヴェルベッラ周辺の全戦力をブレシアに向けるとガルダ湖東側から侵攻してきたオーストリア軍を阻むものは無くなり、マントヴァ要塞の包囲は簡単に解かれてしまう。そうなる前には自らマントヴァ要塞の包囲を解かなければならない。
マントヴァ要塞の包囲を解いてヴルムサーとマントヴァ要塞駐屯軍が合流した場合、マントヴァ要塞に物資が行き渡るため、再び包囲をしたとしても振り出しに戻るのである。
そこでオージュローはオーストリアの2つの師団を別々に圧倒することを提案した。
まずブレシアのカスダノウィッチ師団を撃破し、そこからすぐにミンチョ川に反転しヴルムサーを圧倒しチロルへ退却させるのである。
◎オージュローの計画:第一段階
◎オージュローの計画:第二段階
この計画には問題があった。
ロヴェルベッラにいるオージュロー師団、ランポン旅団、セルヴォニ旅団、ロベルト旅団、キルメイン騎兵隊とマントヴァにいるセリュリエ師団にマントヴァ要塞の攻囲を解かせそれぞれブレシア方面に移動させた場合、ヴルムサーがマントヴァ要塞の救援に向かわず、フランス軍の後を追いカスダノウィッチ師団と合流し、フランス軍を包囲してしまうという問題である。
ヴルムサー本体と右翼のカスダノウィッチ師団が合流して包囲されてしまったと仮定した場合、兵力においても態勢においてもフランス軍は圧倒的劣勢に立たされ、勝機は無くなってしまう。
◎オージュローの計画の問題点
ボナパルトはこの計画の成功のために、ロヴェルベッラからブレシアへのオージュロー師団の移動の時期を遅らせてヴルムサーを引き付ける必要があった。
そのため、オージュロー師団の出発は今すぐではなく8月31日の夜となった。
◎ナポレオンによる計画の修正:第一段階
◎ナポレオンによる計画の修正:第二段階
ボナパルトはこの夜、いくつかの懸念を抱きつつも数的に優位に立つオーストリア軍を打ち砕く可能性を残すためにこの時点ではオージュローの計画を採用した。
恐らくこの時、ボナパルトはブレシアを奪還すればミンチョ川の西側に兵力が集中し、オージュローの計画を行うこと、ポー河やアッダ川を越えて撤退することのどちらでもを選択できると考えていたのだろうと考えられる。