ガルダ湖畔の戦い 02:ヴェローナの反乱とオーストリア軍の侵攻計画
Battle on the shores of Lake Garda 02
ロナートの戦い、カスティリオーネの戦い
勢力 | 戦力 | 損害 |
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フランス共和国 | ロナート:約20,000人 カスティリオーネ:約30,000人 |
ロナート:約2,000人 カスティリオーネ:約1,300人 |
オーストリア | ロナート:約15,000人 カスティリオーネ:約25,000人 |
ロナート:約5,000人 カスティリオーネ:約3,000人 |
ヴェローナの反乱
オーストリア軍接近の噂はヴェローナ市民を奮い立たせ、自身で警備隊を結成しフランス軍に抵抗した。
ヴェローナを占領していたランポン少将はマッセナに救援を求めた。
ランポンは初動で門を占領し、警備隊を結成したヴェローナ市民達を追い出さなければならなかった。
そしてあらゆる場所に小隊を投入し強力に道路を守った。
ヴェローナ内のフランス軍の連絡は砲兵により保護されており、問題なく機能していた。
ランポンはさらに大砲によって通りの群衆を分散させ、頑強に防衛した。橋に関しては最後の最後まで破壊しないように命じられていた。
ヴェローナ内の連絡システムが部隊間の連絡システム上に確立され、発生した出来事を逐一マッセナに通知できるようになった。
1796年7月17日、マッセナはこの反乱に対応するために、オーストリア軍の初撃の範囲内に収まるように、コロナから3㎞ほど離れたピオヴェッツァーノ(Piovezzano)に本営を設立した。
反乱の起きているヴェローナから12㎞ほどであり、建設が進んでいるポール橋の近くである。
同日、ナポリの連隊の一つがアディジェ川を越えた。マッセナは彼らを歓迎し、夕食を振る舞った。
ヴェローナの反乱は鎮圧できたものの、オーストリア軍はすぐそこまで迫ってきており、ヴェローナでも反乱の火種は燻り続けていた。
オーストリア軍の全体計画
ヴルムサーは歩兵41,167人、騎兵5,766騎、大砲196門を擁しており、4個師団での分進合撃作戦(外線作戦)を採用した。
右翼であるカスダノウィッチ師団は歩兵15,272人、騎兵2,349騎、大砲40門を擁し、ガルダ湖西側からサロー、ブレシアを占領し周辺地域を制圧する。
中央右のメラス師団は歩兵13,676人、騎兵727騎、歩兵隊の砲兵の他に大砲16門、榴弾砲8門を擁し、ガルダ湖東岸からアディジェ川右岸の間を南下しフランス軍の防衛線を突破しリヴォリを占領する。
中央左のダヴィドウィッチ師団は歩兵8,274人、騎兵1,618騎、歩兵隊の砲兵の他、大砲32門と榴弾砲8門を擁し、1個旅団をヴェローナ方面に分離しヴェローナを脅かし、ダヴィドウィッチ率いる本隊はアディジェ川左岸沿いに南下し、フランス軍と戦っているメラス師団を支援し、その後リヴォリでメラス師団と合流する。
左翼のメサロス師団は歩兵3,945、騎兵1,072騎、歩兵隊の大砲の他に10門の大砲を擁し、バッサーノに集結しヴィチェンツァに移動する。
目標はマントヴァ要塞の救出だった。
◎ヴルムサーのマントヴァ救出作戦計画
当時、大軍を移動させるために部隊を分け、後に合流する分進合撃作戦は普通に考え得るものだった。
1ヶ所から大軍を移動させた場合、最前列が接敵し戦闘を始めたとして、最後尾が前線に到着するのは戦闘が終わった後ということは、当時は容易に考えられるものであった。そのため交通の便や部隊の展開の速さを考えると分進合撃作戦は合理的だった。それに加えて当時は物資の現地調達が普通に行われており、1ヶ所からだと現地調達物資は少なくなってしまうのである。
そのためヴルムサーは分進合撃作戦を採用したのである。