ガルダ湖畔の戦い 16:銃無き戦いとナポレオンの決意
Battle on the shores of Lake Garda 16
ロナートの戦い、カスティリオーネの戦い
勢力 | 戦力 | 損害 |
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フランス共和国 | ロナート:約20,000人 カスティリオーネ:約30,000人 |
ロナート:約2,000人 カスティリオーネ:約1,300人 |
オーストリア | ロナート:約15,000人 カスティリオーネ:約25,000人 |
ロナート:約5,000人 カスティリオーネ:約3,000人 |
撤退論者との闘い(ブレシアにて)
1796年8月1日、ブレシアを占領したオージュローは、すぐにブレシアを防衛するための重要地点である城や町、それらを取り巻く高地や峡谷、隘路などを占領した。
オージュロー師団によるブレシア占領の約1時間後、ボナパルトがブレシアに到着した。
ボナパルトはブレシアを容易に再占領できたのだが、多くの懸念を抱いていた。
ボナパルトは会議を開き、将軍達を召集した。
「市民将軍、君達を召集したのは軍を救うために取るべき手段について議論するためである。」ボナパルトは声を張り上げて言った。
「私の命令によりいくつかの部隊が撤退している。マントヴァの包囲を解除しマルカリアに向かうようにセリュリエに命じ、マッセナ将軍とジュベール将軍はコロナとリヴォリの重要な地点を撤退に追い込まれた。
ソーレはサローを放棄しデセンツァーノに撤退し、ギウは1800人とともに包囲されている。
ギウが連絡が遮断され、戦闘や勧告などあらゆる手段で物資が少なくなり、降伏することを余儀なくされているのではないかと心配している。
市民将軍、君達は私のように我が軍と敵軍の位置を把握しているはずだ。
ポー河を渡り後退して態勢を整える方が良いと思うがどうか」とボナパルトは将軍達に尋ねた。
「防衛を続けて軍の結集を図るか、もしくは今あるわずかな戦力で敵を攻撃するために、ブレシアとポンテ・サン・マルコをフランス軍の手中に収め、ミラノとの連絡を再確立した。」とオージュローは言った。
会議の中で数人の将軍は、「軍の結集を待つ時間はありません。そして撤退をこれ以上遅らせることは無分別であり、ポー河を渡り新しい防衛線を構築し防衛を維持することが賢明です。」と主張した。
オージュローを除く全員が撤退論に同調した。
オージュローは再び撤退論に対し強く反論した。
再びポー河を渡って後退すると、後退は敗走となりジェノヴァにまで撤退せざるを得なくなる。
そしてガルダ湖西岸の状況は不明ではあるが、カスダノウィッチ師団に向かって進軍し、ギウを救出し、サローとの連絡を再確立するよう命じるべきである。
そうすればカスダノウィッチ師団はあらゆるところで攻撃され、チロル方面へ撤退していくだろう。
フランス軍がカスダノウィッチ師団に敗北した時が撤退について考える時であり、今は撤退について考える時ではないとオージュローは主張した。(この時点でギウはソーレに救出されていたが、その報告はまだ届いていなかった。)
オージュローの交戦論に対して撤退論を主張するデスピノイは「君はどのように我々の勝利を保証するのか」と強く立ち上がって言った。
オージュローは「銃剣によって!」と鋭く答えた。
「君はパリに後退することができるが私はそれに反対するつもりはない。私はパリに後退しないことを君に誓おう」
オージュローは怒りを残し、将軍たちに議論させ、しばらく休むためにベッドに身を投げた。
ナポレオンの決意
8月2日午前2時頃、ボナパルトは副官の1人をオージュローの元へ送りボナパルトの元に呼んだ。
オージュローは副官とともにボナパルトの部屋へ赴いた。
オージュローはボナパルトに「(会議で)今後どうするのか決まりましたか?」と聞いた。
ボナパルトは「何も」とオージュローに答えた。
「しかし長い間考えたが、我々は君の主張するようにオーストリア軍に立ち向かうべきである。君は君の師団とともにモンテキアーリに行き、私はマッセナとともにロナートに行く。ソーレはサローに行き、ギウの包囲を解除する。」とボナパルトは続けた。
撤退論を留保していたボナパルトだったが、この時、明確にオーストリア軍を打ち砕く決断をした。
ボナパルトはすぐに軍の再編成を行った。オージュローはブレシアを去り、モンテキアーリで師団を指揮した。
マッセナはロナート周辺を、デスピノイはミラノからの半旅団を加えてブレシアとレッツァート(Rezzato)を担当した。
このブレシアにいる間にボナパルトは同郷の派遣議員サリセッティ宛に手紙を出しており、第1次ロナート争奪戦での勝利と自身の采配のおかげで事態は満足すべき方向に向かっていること、馬5頭を疲労で潰すほど忙しかったこと、フランス軍全軍がボナパルトの元におり、これからオーストリア軍に会戦を挑むが勝利はフランス軍の軍旗のもとに再び戻り始めていることなどが記されている。