エジプト戦役 43:マウズーラの戦いとダカリーヤ州遠征の成功
Battle of Muzurah

マウズーラでの奇襲

1798年10月4日、マウズーラでの奇襲

※1798年10月4日、マウズーラでの奇襲

 10月4日朝、運河が砂漠に近づく場所でムラード・ベイ軍が待ち伏せしているのが見えた。

 そしてマウズーラ(Muzurah)村に突如として大軍勢が現れた。

※"運河が砂漠に近づく場所" とは、ジョセフ運河が西方向に曲がった先の地点のことだと考えられ、マウズーラ村付近での該当地点は3ヵ所ある。恐らくムラード・ベイは"運河が砂漠に近づく場所"に囮部隊をドゼー師団に見えるよう配置してマウズーラ村近くまでおびき寄せ、至近距離から攻撃したのだろう。

 砲火の中で上陸するのは危険だったためドゼー将軍は反転を命じ、バニ・ミニヤン付近まで戻って編成を終えた師団を上陸させた。

 後部のボートがムラード・ベイ軍の前衛であるマムルークに攻撃される中での上陸だったが、整然と上陸を行いボートの救援に部隊を派遣した。

 ライフル銃兵で構成される中隊がボートを攻撃していたマムルークを射殺し、追い払うことに成功した。

マウズーラへの行進

 ムラード・ベイ軍の前衛が攻撃したい素振りを見せたため、ドゼー将軍は師団で方陣を形成した後、ナイルの氾濫原の終わりと砂漠の端まで前進する軍の機動に船を追従させるよう命じ、船の運行を組織した。

 ムラード・ベイ軍の前衛は再び攻撃を仕掛けて方陣からの数発の大砲により撤退を余儀なくされたが、付かず離れずの位置を保った。

 ドゼー師団は前進を続け、夜、師団はマウズーラ村の向かい側に陣取った。

マウズーラの戦い

1798年10月5日、マウズーラの戦い

※1798年10月5日、マウズーラの戦い

 10月5日、ドゼー師団は同じ序列でジョセフ運河沿いの行進を続けたが、ムラード・ベイ軍の前衛による嫌がらせを受けた。

 ムーラド・ベイ軍本体はまだ2リーグ(8㎞)離れており、遠目では2列に編成されているように見えた。

 ドゼー師団が近づくにつれ、ムラード・ベイは師団の左翼側に移動してより高い位置を獲得し、突撃できる位置に陣取った。

 ドゼー将軍は方向転換を命じ、高い位置にいるムラード・ベイに向かって真っ直ぐ行進した。

 そしてムラード・ベイ軍を大砲の半射程内に収めた時、砲撃を開始した。

 このマムルーク騎兵の集団はこの砲撃で崩れ、突撃することに危険を感じたため立ち止まって後退して行った。

 その後、師団はアル・バサムン(Al Bahsamun)への行進を続けた。

※アル・バサムン(Al Bahsamun)は資料ではエルベラモン(Elbelamon)となっている。

 途中、ムラード・ベイは砂漠の高地に遠くから姿を現し、戦闘を躊躇しているように見えた。

 しかし、それはジョセフ運河の左岸に位置する渓谷の要衝であるセドマンの城壁までドゼー師団をおびき寄せようとするための作戦だった。

休息とセドマンへの前進

 10月6日、ドゼー師団はビスケットを食べるためにボートに戻った。

 ムラード・ベイの前衛はドゼー師団が後退し始めたと考え、勝利と喜びの叫び声をあげて追撃しようとした。

 しかし、ドゼー師団は数発の砲撃でそれを追い払った。

 師団は食事と休息を取り、前進を再開した。

 その後、ドゼー将軍は偵察から、ムラード・ベイがセドマン・アル・ジャバル(Sidmant Al Jabal)で待ち構えており戦うつもりであると報告を受けた。

※セドマン・アル・ジャバル(Sidmant Al Jabal)は、資料ではセディマン(Sédiman)となっている。

 セドマンの城壁の周囲は塹壕が掘られており、ムラード・ベイの拠点となっていた。

 ドゼー将軍はセドマンにいるムラード・ベイ軍を攻撃するための準備を開始した。

ハッサン・トゥバールのガザへの逃亡

 一方、10月6日、ハッサン・トゥバールの討伐を命じられたドゥガ将軍はミット・エル・カウリーで非常に強い抵抗に遭いつつもエル・マンザラの占領に成功した。

 遠征軍のルジェ将軍の日記には「兵士たちは(エル・マンザラの)家の道路や路地を歩き回り、ハッサン・トゥバールの宮殿に視線が止まった。その広さ、眺めの美しさ、東洋風の建築で注目を集めていた。住民は誰もおらず、何人かの警備兵がそこに入ろうとしたが、ドアは施錠されていた。ドアの鍵は存在しないと人々に告げられ、その内の1つの入り口を開けた。しかし、彼らはハッサン・トゥバールの宮殿の神聖性を侵害することが人々の怒りを買うことに気づいたため、そこから撤退して別の邸宅を占拠し、そこを作戦の宿営地とした。」と記述されている。

 戦いに敗北した宮殿の主であるハッサン・トゥバールは、再びフランス軍に対抗するためにほとんどの住民とともにエル・マンザラを去り、イブラヒム・ベイと合流するためにガザに向かった。

 ドゥガ将軍はその後、エル・サルヘイヤとの連絡線を確立するために、サン・アル・ハジャル(San al Hagar)に部隊を派遣した。

※サン・アル・ハジャル(San al Hagar)とはタニス(Tanis)のことである。
タニスはインディ・ジョーンズ シリーズの第1作目である「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」の舞台となっており、"アーク《聖櫃》はタニスの地下にある「魂の井戸」に隠されている"という設定となっている。