エジプト戦役 18:ナイルの海戦直前のフランス軍の状況とベルベイス攻略準備
The French situation just before the Battle of the Nile

ナイルの海戦直前のナポレオン軍の状況

ナイルの海戦直前のナポレオン軍の状況

 フランス軍は、1798年7月19日に起こったアレクサンドリアの反乱は完全に鎮圧していたが、7月30日には更なる反乱を防止するために武器と馬の没収を行い、人質として50人を拘留した。

 そしてロゼッタのメヌー将軍に対し29日午前9時にブウラクからダミエッタへと出発したヴィアル将軍との連絡線を開通させるよう命じた。

 このメヌー将軍への命令はベルベイスのイブラヒム・ベイ軍に対抗するためのだった。

 7月31日、ドマルタン将軍にカイロ市の南、ナイル川の東に位置するトーラ(Torah)に要塞を築くよう命じており、スケッチを報告するよう指示した。

 要塞の目的の1つはカイロをムラード・ベイ軍から防衛することであり、もう1つは将来起こる可能性としてのカイロの反乱対策だった。

 ボナパルトは連絡線の安全と食糧などの物資供給のためにカイロを中心としてナイル川のロゼッタ支流とダミエッタ支流を勢力下に置き、ピラミッド方面ではベドウィンを警戒し、ギザ州では上エジプトに逃れ表面上友好を結んだムラード・ベイ軍を警戒し、そしてカイロの北東方面ではベルベイスに逃れたイブラヒム・ベイ軍を追撃しようとしていた。

 7月21日に行われたピラミッドの戦いでマムルーク軍をベドウィン含め3方向に分断することに成功したため、カイロとギザ周辺の安全を確保するためにドゼー師団でムラード・ベイ軍ににらみを利かせ、メヌー師団やヴィアル旅団に支援されたレイニエ師団でイブラヒム・ベイ軍をベルベイスから追い出す計画だった。

 アレクサンドリアにはクレベール師団、ロゼッタにはメヌー師団が駐屯しており、ダミエッタにはヴィアル旅団が向かっていた。

 これら3つの都市はナイル川流域と東地中海を支配するために必要な要衝であり、ボナパルトはエジプトの支配を急速に進めようとしていた。

 7月31日時点でヴィアル旅団はダミエッタ支流を下っており、午前3時にデグウィ(Degwi)を出発し、カイロとマンスーラのちょうど真ん中辺りにあるカフル・ミット・アル・アバシ(Kafr Mit Al Abasi)とカフル・シュクル(Kafr Shukr)の間に停泊した。

 そしてドゼー師団はギザ周辺に、レイニエ師団はカイロから北東約6㎞ほどの所に位置しイブラヒム・ベイが逃亡したベルベイス方向にあるエル・コッベ(El Qobbah)に駐留していた。

ベルベイス攻略準備とアル・ラフマニーヤ及びダミエッタとの連絡線の確立

ベルベイス攻略準備とアル・ラフマニーヤ及びダミエッタとの連絡線の確立

 8月2日、ナイルの海戦の趨勢が決した後、ルクレール将軍はイブラヒム・ベイ軍の動向をより詳細に観察するために前衛を率いてカイロからおよそ24㎞(6 lieue)離れているアル・ハンカ(Al Khankah)へ向かった。

 ルクレール将軍はアル・ハンカでイブラヒム・ベイ軍に対抗するための部隊を組織するよう命令を受けていた。

 ミュラ将軍はこの地域を制圧し馬を育てるためにカリューブ(Qalyub)に進軍した。

 レイニエ将軍は未だエル・コッベ(El Qobbah)から動かずにいた。

 ピラミッドの戦いの後、再確立したはずのロゼッタとの連絡線はなぜか途絶えがちになっていた。

 8月3日、ボナパルトはベシェール少将に対し密命を与え、ジュノー大佐とともに夜明けの2時間前に出発するよう命じた。

 さらにレイニエ師団所属のフジェール(Fugière)将軍に1個大隊を指揮させミュラ将軍のいるカリューブへ向かう準備をするよう指示し、ベルティエ将軍に、ダミエッタのヴィアル将軍、アル・ラフマニーヤにいるブリーブ(Bribes)将軍及びザヨンチェク将軍との連絡線を確立し、フジェール旅団の支援をさせるよう命じた。

 そして将来不足するであろう食糧を確保するためにブリュイ提督に対し、ビスケット2,000キンタル、ワイン100,000パイント、酢30,000パイント、ブランデー30,000パイント、ベーコン600キンタル、ビスケット300キンタルをもたらすために必要な輸送船をシャボー将軍が占領しているコルフ島に送るよう書簡を送った。

 しかし、この時点でブリュイ提督率いるフランス東洋軍艦隊は壊滅しており、海路を使った食糧供給と連絡は途絶えることとなった。

 シャボー将軍やコルフ島及びイオニア諸島の行政長官宛ての書簡も送ったが、ネルソン戦隊が船体修理のためにアブキール湾に居座っているため、これらの書簡を乗せた船がアレクサンドリアやロゼッタから出航するのは難しい状況となっていた。

 8月4日、ボナパルトは、「イブラヒム・ベイはすでにベルベイスにいないだろう」と予測していたが、確信を得るためにカリューブのミュラ将軍にベルベイスにスパイを送る(偵察する)よう命じた。

 4日夜、フジェール将軍はエル・コッベを出発してメハレット・エル・ケビル(Mehallet El Kebyr)に向かった。

 フジェール旅団の行程は、エル・コッベを出発した後、カリューブを通過し、8日にはメヌーフ(Menouf)へと到着する予定だった。

※メハレット・エル・ケビル(Mehallet El Kebyr)はガルビーヤ(Gharbia)州にあるエル=マハッラ・エル=クブラ(El Mahalla El Kubra)のことだと考えられる。エル=マハッラ・エル=クブラはマンスーラの西南西約23kmのところに位置する街である。