モンテノッテ戦役 06:モンテノッテの戦い<2日目> Montenotte campaign 06

モンテノッテの戦い

勢力 戦力 損害
フランス共和国 約9,000人 約800~900人
オーストリア
サルディーニャ王国
約6,000人 約2,500人

アルジャントーの思惑Argenteau's Speculation

 モンテ・ネジーノ正面にアルジャントーが留まる意図はモンテ・ネジーノを占領するだけが目的では無かった。

 アルジャントーは部下をサッセッロに派遣することにより、セボッテンドルフとの連絡を確立し増援を要請。モンテ・ネジーノの後方に位置するカステッラーゾ山を占領することを考えていたのである。

 しかし、この時セボッテンドルフとアルジャントーの距離は離れ過ぎており、モンテ・ネジーノの戦場に駆け付けることはできなかった。この時点でアルジャントーの思惑は実現不可能なものとなっていた。

 作戦図を見て分かるとおり、セボッテンドルフとアルジャントーの間は山岳地帯によって阻まれている。連携を取るためにはサッセッロを通る必要があり、大きく迂回する他ない。

 対するフランス軍を見てみると、サヴォナからモンテ・ネジーノ、カルカレまでの距離はセボッテンドルフがヴォルトリからサッセッロに行くよりも遥かに近いのである。

フランス軍の反撃French Army Counterattack

 アルジャントーの攻撃に対し、総司令官ボナパルト中将は各師団長に指示を飛ばした。

 ラハープ師団は約7,000人でセルヴォニ旅団とモンテ・ネジーノの砦の後方で待機。メニエル師団は約5,000人でアルターレを占領し、カルカレを攻略。マッセナ師団はクイリアーノに位置しているメナード旅団約4,000人とともにカディボナへ向かい、アルジャントーの側面を突く。

 オージュロー師団はカルカレ攻略のためにマラーレへ向かった。

 セリュリエ師団は約6,500人でオルメアから北上し、チェバ方面のピエモンテ軍に対して圧力をかけ、マッカード及びガルニエは約6,000人でタンド峠を北上し示威行動をとる。

 ラハープは4月12日午前2時にサヴォナを後にした。その後ヴォルトリから退却してきたセルヴォニ旅団を結集し、モンテ・ネジーノの後方に到着した。マッセナはカディボナでクイリアーノに位置するメナード旅団を呼び寄せた。

 セリュリエ師団がオルメアから北上したことで、コッリは後方を遮断されることを恐れ、セリュリエ師団に対応するためチェバに戻った。

 4月12日午前6時、ラハープはモンテ・ネジーノの右側に約3,000人の分遣隊を派遣しオーストリア軍の左側面を攻撃し、モンテ・ネジーノの砦から正面のルカヴィナの部隊へ攻撃した。

 マッセナの部隊はアクアブオナ川付近の断崖の下で身を屈めた。

 最初の発砲でオーストリア軍右翼がメナード旅団を発見した。メナードは発砲せず銃剣で突撃した。

 ルカヴィナ旅団が側面攻撃を仕掛けてきたが厚い木がそれを阻んだ。

 マッセナはオーストリア軍右翼のいる断崖に突入することができ、オーストリア軍に恐怖と死をまき散らした。そして、生き残った者を捕虜にした。

 アルジャントーはこの右翼への突然の攻撃に対応するために、モンテ・プラトを守っている左翼から右翼へ約2,000人を残し、部隊を移動させて支援した。しかしアルジャントーの行動は遅すぎた。

 マッセナの部隊とオーストリア軍右翼の戦いはすでに終わっていたのである。

 マッセナの最初の攻撃でオーストリア軍の戦線は完全に崩壊した。アルジャントーは即時撤退を命じ、モンテノッテ・インフェリオーレへ逃亡した。

 モンテ・プラトを守っていた約2,000人のオーストリア軍左翼は撤退が難しく、大きな損害を被った。

 アルジャントー自身もフランス軍の手に落ちそうになっていたが、なんとか追跡を振り切りデゴ方面とミオーリア方面へ分かれて逃亡した。

 アルジャントーが自身の安全を確保したときには、手元の兵力は約700人にまで減らされていた。死亡したか捕虜となったか散り散りになったのである。

 この戦いでフランス軍はオーストリア軍から多くのマスケット銃を奪い取ることができ、このマスケット銃は、多くの兵が武装できずに進軍したオージュロー師団に渡された。

 フランス軍はモンテノッテの戦いで勝利を収めたのである。この戦いがモンテノッテ戦役でのフランス軍の最初の勝利となった。

カルカレ占領Carcare Occupation

 マッセナがモンテノッテでアルジャントーと戦っている頃、メニエル師団は抵抗らしい抵抗も無くアルターレ、カルカレを占領していた。深夜、それにオージュロー師団が加わった。

 カルカレを占領したことにより、オーストリア軍とピエモンテ軍の連絡線は長くなり、ピエモンテ軍・オーストリア軍間の意思疎通は困難になった。しかし未だデゴで繋がっていた。

 ボーリューもアルジャントーに対しデゴは何としても死守するようにと命令してあり、そのためモンテノッテで敗走したアルジャントーの部隊は死守すべきデゴとボーリューに知らせるためにミオーリア方面へ逃亡したのである。

 ボナパルトはアルターレに近いカサ・ビアンカの高台でモンテノッテの戦闘が始まるのを見ていた。そして、アルジャントーを排除したという報告を受けるとアルターレに戻り、オージュローとマッセナに新たな命令を下した。

 その命令とはミレッシモ、モンテゼモロへの進軍とデゴの占領であった。