モンテノッテ戦役 12 Montenotte campaign 12

チェバの戦い

勢力 戦力 損害
フランス共和国 約7,700人 約600人
オーストリア
サルディーニャ王国
約3,500人 約270人
※ペダゲラ要塞周辺の戦いの数値のみ記載

チェバの戦いBattle of Ceva

 4月15日、オージュロー師団はルスカと別れ、コッリが残していった少数のピエモンテ部隊を蹴散らしてモンテゼモロを占領し、チェバに向かった。

 チェバに近づくとオージュローは、チェバの北の絶壁に囲まれたテスタ・ネラにある3つの要塞と周辺の長大な塹壕で防衛態勢をとっているコッリ率いるピエモンテ軍を発見した。

 最北端に位置するペダゲラ要塞、ペダゲラ要塞すぐ南のゴーヴォン要塞、そして最も巨大な最南端に位置するベルベデーレ要塞である。コッリはこの要塞群と周辺の塹壕地帯、そしてチェバの町を約3,500人で防衛していた。

 コッリは約20,000人の兵力を保有していたが、オージュローが脅かしている周辺地域と主にセリュリエが脅かしている後方の警戒、モンドヴィ周辺、ケラスコへの連絡線の防衛のために兵力を割かざるを得なかったのである。

 サン・ジョバンニ山方面を掃討してきたルスカが捕虜約500人を連れ、オージュローと合流した。

 コッリは夜にチェバの町から要塞の防衛のために兵を引き上げた。

 オージュローは塹壕地帯が厚く難攻不落なベルベデーレ要塞を攻略するより、ペダゲラ要塞、ゴーヴォン要塞から攻略する方が攻略できる可能性が高いと判断した。

 オージュローはペダゲラ要塞から東に続く尾根から攻撃してこの要塞群を攻略する計画を立案した。

 ベイランド少将麾下約3,200人はペダゲラ要塞に接近し、正面及び右側面を攻撃する。ジュベール少将麾下約1,800人はペダゲラ要塞の左側面から攻撃し、ベイランドを支援する。ルスカ少将麾下約2,700人はゴーヴォン要塞を攻略する。

※赤いギザギザが塹壕地帯

 4月16日早朝、オージュローはセリュリエ師団とオージュロー師団左翼との連絡点(恐らくプリエーロかモッレーレと思われる)にいた。オージュロー達一行はコッリのいるペダゲラ要塞へ続く尾根を行軍した。そして、それぞれの目標に向かって別れた時、パロルド村で約500人のピエモンテ大隊を発見し、これを捕らえた。

 ジュベールはモンバルカーロとペダゲラ要塞の間にある断崖からペダゲラ要塞の左側面に接近した。。

 ベイランドがペダゲラ要塞に攻撃を始め、ジュベールは森の中を進みペダゲラ要塞の左側面を攻撃した。ジュベールは森の中とはいえペダゲラ要塞の目下におり、非常に危険な位置にいた。

 ルスカ麾下のボイヤーがゴーヴォン要塞へ攻撃し、ルスカもバスティアへ攻撃を行った。

 ベイランドの突撃は幾度となくはね返され、ジュベールも反撃を食らい大きな被害を受けた。

 一方、ルスカはボイヤーの攻撃に支援され、激しい攻防の末ピエモンテ部隊を追い出すことができ、バスティアを占領した。オージュロー師団はペダゲラ要塞、ゴーヴォン要塞を攻略中であり、このルスカの位置はモンドニとベルベデーレ要塞からの反撃を真正面から受ける位置であった。ルスカはモンドニとベルベデーレからの支援を阻害するためにこの危険な位置を保持し続けた。

 モンドニとベルベデーレの大砲がバスティアにいるルスカの部隊に火を噴いた。主にベルベデーレとモンドニを防衛しているベルガルド大佐はさらに約600人の部隊を形成しバスティアへ攻撃を開始した。しかし、ルスカの防御は固くベイランドの部隊は撃退された。

 ピエモンテ軍の攻撃は激しく、ついにゴーヴォン要塞を攻撃していたボイヤーの部隊が後退し、ベイランドが耐え切れずに撤退を始めた。そしてジュベールも側面を攻撃されたと勘違いをしたことにより包囲されていると思い規律を失い敗走した。

 次々とフランスの部隊が退却していくのを見たルスカは孤立することを恐れてバスティアを放棄して後退した。

 4月16日のフランス軍の攻撃はすべて撃退され、パロルドへの後退を余儀なくされた。

 この攻撃により周辺の村を防衛していたピエモンテ軍は孤立することを恐れて要塞群の後方に後退した。

 この攻撃最中、マッセナ師団はモンバルカーロに向けて行軍中であった。靴と食料が不足しており周辺の村から略奪していたためボナパルトが要求する速度で移動することはできなかった。オージュローがチェバの要塞群を攻撃しているときにピエモンテ軍の後背を突くことはできなかったのである。

 さらにマッセナは遅れていたため、その日の作戦目標であるカステッリーノを占領することもできなかった。

 セリュリエ師団はモンバジーリオを占領し、16日の夜、目立つように野営した。

 セリュリエが占領したモンバジーリオは チェバ ~ モンドヴィを繋ぐ連絡線のそばにあり、ボナパルトは連絡線を遮断できるにも関わらず遮断せず連絡線を脅かすにとどめたのである。

 16日深夜、コッリは作戦会議を開き部下たちと話し合いを行った。モンドヴィ、ケラスコとの連絡線はすべて遮断されつつあるため、完全に遮断される前に撤退することが決まった。チェバの要塞群に一部の兵を残し、左翼はムラッツァーノ、ドリャーニを経由しケラスコへ、中央はタナロ川右岸沿いに移動しカステッリーノへ、右翼は主要道路を通りレゼーニョへ後退するのである。

 コッリは約800人の部隊をチェバの要塞群に残し、部隊を夜の内に後退させた。

 4月17日朝、コッリの退却を知ったオージュローは落ち着いてチェバの要塞群の攻撃を指揮した。要塞群を包囲し、2つの砲台での遠距離攻撃を主軸に攻撃を行った。しかし、この攻撃はほとんど効果が無かった。オージュローはさらに砲台を6つに増設し、砲撃を加えて降伏を促した。チェバの要塞群の守備隊はこの砲撃により降伏した。

 チェバはついにフランス軍の手に渡ったのである。