モンテノッテ戦役 03:ボーリューとナポレオンの作戦計画 Montenotte campaign 03
モンテノッテ戦役
勢力 | 戦力 | 損害 |
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フランス共和国 | 37,775人 | 約6,000人 |
オーストリア サルディーニャ王国 |
約57,500人 | 約10,000人~約12,000人 |
ボーリューの作戦Beaulieu's Strategy
ボーリューはオーストリア政府からの情報を重視し、ピエモンテ軍と連携した作戦ではなく、イギリス地中海艦隊と協力してフランス軍を攻撃する作戦を考えていた。
この時、サヴォナ沖にはジョン・ジャーヴィス提督麾下のホレーショ・ネルソンが戦隊を率いて配置されていた。
ボーリューはイギリス地中海艦隊とともにヴォルトリを攻撃し、アルジャントーはモンテノッテ・インフェリオーレを通りモンテ・ネジーノを攻撃し、ヴォルトリを占領したボーリューはアルジャントーとイギリス地中海艦隊とともにサヴォナを攻撃するという作戦である。
もしこの作戦が成功した場合、オーストリア軍は再びサヴォナを手中に収めることができ、イギリス地中海艦隊と協力してフランス軍の交易航路を妨害することができるようになるのである。ピエモンテがフランスと和平を結んだ場合でも、オーストリア軍はイギリス地中海艦隊と協力して防衛態勢を確立できる作戦でもあった。
ボーリューがヴォルトリを占領した後の行動だが、アルジャントーの成否によって行動が変化するだろう。
アルジャントーが成功しモンテ・ネジーノを占領できた場合、ともにサヴォナをイギリス地中海艦隊の支援を受けながら攻撃し占領する。
そしてボーリュー自身はサヴォナから海岸沿いに南下してイギリス地中海艦隊の支援下でフランス軍を追跡し、ピエモンテ軍にチェバから南下を指示、アルジャントーにアルターレからサン・ジャコモを経由しメローニョやフィナーレ方面を攻撃させたと考えられる。
アルジャントーが足止めを受けていた場合、ボーリューはサヴォナへ進軍し、アルジャントーに引き付けられているフランス軍の後方へ攻撃したと考えられる。
アルジャントーが敗北した場合、ボーリューはヴォルトリに占領部隊を残し、アックイへ後退。ミオーリア、サッセッロを経由しアルジャントーと合流するだろうと考えられる。ただ、ヴォルトリからアックイ、ミオーリア、サッセッロへは長い道のりであり時間がかかるので、敗北のことはあまり考えていなかったのではないだろうか。
ボーリュー視点だと、ピエモンテはオーストリアと敵対まではしないまでもフランスと和平を結ぶ可能性があり、尚且つフランス軍は大部隊をヴォルトリへ進めた。これらの情報から、ピエモンテとの和平交渉は進んでおり、そのためフランス軍はヴォルトリまで進軍しジェノヴァを占領しようとしているのではないかと考えたのだろうと思われる。
ナポレオンの作戦Napoleon's Strategy
ナポレオンは侵攻作戦を考えていた。イタリア方面軍の兵力と現状から、ピエモンテ軍とオーストリア軍の分断を考えていたのである。作戦を立案した時点では、ピエモンテ軍の前線基地は分かっているものの、オーストリア軍主力の正確な位置は不明であった。
しかし、ピエモンテ軍とオーストリア軍を同時に相手にすることは敗北を意味しており、フランス軍の取るべき作戦はピエモンテ軍とオーストリア軍の分断しかなかった。
ピエモンテ軍とオーストリア軍の接点はカルカレである。カルカレは北はデゴからアックイへ道がつながっており、デゴを東に進むとミオーリアやサッセッロにつながっているのである。そして、カルカレを西に進むとミレッシモやチェバ、モンドヴィへつながっている。カルカレを占領することができれば、ピエモンテ軍とオーストリア軍はお互いの現状を知らせ合うことができなくなるのである。
ナポレオンはカルカレ攻略を主軸に置いた作戦を実行に移すことを考えていた。
第一段階・・・マッセナ麾下のラハープ師団(11,075人)とメニエル師団(5,428人)はモンテ・ネジーノ、カディボナからアルターレ、モンテノッテ・インフェリオーレ、カルカレを攻略。オージュロー師団(7,908人)はフィナーレからサン・ジャコモ、マレーレを経由しカルカレを攻略、セリュリエ師団(6,538人)はオルメアから北上してピエモンテ軍の注意を引き付ける。マッカード(3,690人)、ガルニエ師団(3,136人)はタンド峠周辺で示威行動をとる。
第二段階・・・オーストリア軍の動向を警戒しつつ、デゴを占領しオーストリア軍とピエモンテ軍の連絡線を完全に遮断し、ピエモンテ軍にフランス軍の主力を向ける。
第三段階・・・カルカレから西進し、兵力差を生かしつつコッリを追いつめ、モンドヴィを占領。ピエモンテの肥沃な平野を手中に収める。
この作戦は合理的であり考え得る中でフランス軍が生き延びる唯一と言っていい計画であった。しかしピエモンテ、オーストリア軍の動向にひどく左右される作戦でもあった。もしボーリューがコッリの作戦を採用していたとしたら、フランス軍はすり潰されていただろう。