モンテノッテ戦役 05 Montenotte campaign 05

モンテノッテの戦い

勢力 戦力 損害
フランス共和国 約9,000人 約800~900人
オーストリア
サルディーニャ王国
約6,000人 約2,500人

モンテノッテの戦いBattle of Montenotte

 1796年4月9日、アルジャントーは総司令官ボーリューの命令書を受け取った。しかし、アルジャントー麾下の部隊は分散しており、兵を集めるのに時間を要した。

 4月10日、フランス軍はヴォルトリで敗退した。敗退したことよりも、フランス軍にとってそれほど重要でもないヴォルトリをオーストリア軍が攻撃してきたことが驚きであった。

 このオーストリア軍の行動によりボーリューの位置が判明し、カルカレとボーリューとの間は山岳地帯を挟み大きく離れることとなった。ボナパルト中将は4月15日に開始するはずだった作戦を繰り上げ、即座に反撃の準備に取り掛かった。第一の目標はカルカレ、そして背後に控えているであろうアルジャントーとコッリであった。

 同日、アルジャントーはサッセッロ、ミオーリア、デゴ、カルカレの部隊をモンテノッテ・インフェリオーレに集結させ、一部の部隊(約1,500人)をカジノに移動させた。

 4月11日、アルジャントーは約3,700人を集め、総司令官ボーリューの命令よりも1日遅れではあったがモンテノッテ・スペリオーレへ南下し、サヴォナ攻略へ向かった。この部隊にはロアノの戦いで活躍したルカヴィナ少将も所属していた。

モンテ・ネジーノMonte Negino

 4月11日、アルジャントーの先遣隊はフォルネシー大佐麾下の2個大隊(約1,000人)が防衛するフランス軍の前哨基地モンテ・ネジーノへ攻撃を仕掛けた。カジノの約1,500人の部隊もモンテ・ネジーノの東からモンテノッテ・インフェリオーレから南下したアルジャントーの部隊と合流し攻撃を仕掛けた。

 モンテ・ネジーノにはオーストリアが建設した砦があり、フランスが修復して使用していた。

 砦は不規則な5角形をしており、北に2つの鋭角を形成し、堀で囲まれていた。3面に2列の狭間があり、距離を離して2つの尖塔が設けられていた。

 周囲の地形も周りは急な斜面で囲まれており、特にアクアブオナ川近くの底部はより険しくなっていた。

 そして、砦から南に下り約200mほどの位置に約60人を収容できる兵舎があった。兵舎は溝で囲まれており、南方との連絡も容易な位置だった。

 モンテ・ネジーノの砦があるため、オーストリア軍はこの兵舎を直接攻撃することは難しかった。

 マドンナ・ディ・サヴォナで指揮をとっていたフランス軍のランポン大佐麾下約1,200人はモンテ・ネジーノに急行し、アルジャントーの部隊を攻撃したが、モンテ・ネジーノの砦に押し戻されてしまった。

 アルジャントーは攻撃部隊を形成し、北側の斜面から何度も突撃を仕掛けた。

※西側の斜面から突撃を仕掛けなかったのは、西の斜面がより険しく攻撃に適していないと考えたからだと思われる。実際、アルジャントーの右翼は兵数が少なく配置されていた。アルジャントーは西側からモンテ・ネジーノの砦へ突撃をかけることは自殺行為だと思っていたのではないだろうか。そして西側から攻撃しないということは、アルジャントーの右翼は見せかけの兵力であり、北側から何度も突撃したということは、左翼を強くしたのである。中央はモンテ・ネジーノ正面に位置するため、それなりの兵力は必要となる。

 しかしアルジャントーの突撃は、終日、フォルネシーとランポンの奮闘によりはね返され、攻撃は失敗に終わった。この突撃でルカヴィナは肩を撃たれて負傷した。

 アルジャントーは午後4時頃、モンテ・ネジーノへの攻撃を中止した。オーストリア軍はモンテ・ネジーノの正面に6個大隊を残し、野営に入った。

 呼び寄せた増援の大隊は翌日未明に到着する予定であるが、アルジャントーはその大隊をアルターレ方面の道の封鎖へ振り向けた。

 モンテ・ネジーノ周辺地域の防衛の全体指揮を任されているランポン大佐は、翌日のオーストリア軍の攻撃に備えるために、マッセナに増援を求めた。