モンテノッテ戦役 14:モンドヴィの戦いにおけるナポレオンの計画 Montenotte campaign 14
モンドヴィの戦い
勢力 | 戦力 | 損害 |
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フランス共和国 | 約17,500人 | 約600人 |
オーストリア サルディーニャ王国 |
ヴィコフォルテ:約5,000人 モンドヴィ:約8,000人 合計:約13,000人 |
約1,600人(捕虜含) |
※勢力について、オーストリアが含まれているのはオーストリアの将校と部隊が含まれているため記載
ナポレオンの作戦Napoleon's Strategy
1796年4月18日夜、ボナパルトは作戦会議を開き、フランス軍の現状を包み隠さず将軍達に伝え、サン・ミケーレからピエモンテ軍を追いだすことによって戦争の舞台をピエモンテの平野に移すこと。非常に厳格な行動によって規律を再確立することが緊急であることが全会一致で合意された。
ボナパルトは3個師団で対峙しているピエモンテ軍への攻撃を計画し、その準備と補給の改善含む連絡線の変更のために丸2日間、作戦行動を休止した。
レゼーニョからミレッシモ、カルカレ、サヴォナを経由していたオーストリア軍の脅威にさらされている本国との連絡線をチェバ、オルメアを経由する安全なルートに変更した。この連絡線の変更によりミレッシモ、カルカレ、サヴォナ周辺を防衛していた兵力を縮小しピエモンテ攻略に振り向けることができるようになり最前線の兵力は増強された。
そして攻撃計画は4月21日に決行することが決まった。
マッセナ師団はジュベール旅団とともにレゼーニョ正面にいるピエモンテ軍左翼を攻撃する。
マッセナ麾下メニエル師団は2個騎兵大隊で強化され、レゼーニョからブリアーリアの高台を掃討しつつサン・ミケーレに接近する。
ギウ、ペルティエ、フィオレラ旅団を保有するセリュリエ師団にドマルタン旅団を加え、トッレ村周辺からサン・ミケーレ、ヴィコフォルテを攻略する。
オージュローはカステッリーノを占領し保持する。
ここでオージュロー師団を追撃に加わらせず、なぜカステッリーノに留まらせたのかが疑問となる。オージュロー師団がカステッリーノからタナロ川右岸沿いに進軍し、バスティアを経由しモンドヴィへ直接攻撃すればコッリ率いるピエモンテ軍は圧倒的多数のフランス軍に完全に包囲されるからである。
これは推測であるが、ナポレオン視点でカッルやケラスコ方面から新たなピエモンテ軍が現れてカステッリーノやレゼーニョ、チェバを落とされることを嫌ったためであると考えられる。なぜなら、チェバの要塞群を防衛していたピエモンテ軍左翼はケラスコ方面へ後退していったからである。ケラスコ方面へ後退したということは、その方面に未だ部隊が存在するということを意味している。
ラハープ師団にはオーストリア軍の警戒を、オージュロー師団にはピエモンテ軍の別動隊への警戒をさせたと考えられるのである。
マッセナの回想録には、オージュロー師団はピエモンテ軍の連絡線を遮断するためにカステッリーノを占領すると書いてあるが、モンドヴィの戦いの時点でカステッリーノはピエモンテ軍の連絡線の重要地点ではなくフランス軍の連絡線の重要地点であるので、ナポレオンが後方の連絡線を遮断されることを嫌ったためが正しいのではないだろうか。