シリア戦役 幕間:アッコ包囲戦中の逸話
Anecdotes from the Siege of Acre
アッコ包囲戦中の逸話①:ダニエル・ブライアンによる埋葬
※1799年5月11日、アッコ要塞包囲戦中にフランスの将軍を埋葬するダニエル・ブライアン
老練な船乗りであるダニエル・ブライアン(Daniel Bryan)は、かつてフリゲート艦「ブランシュ(Blanche)」の前甲板のリーダーだったがシドニー・スミス将軍の旗艦「ティーグル」に転属させられていた。
※HMS「ブランシュ」は、一時期、地中海で活動していたイギリス海軍の32門ハーマイオニー級 五等艦である。地中海でスペインの大型フリゲート艦と戦って勝利したものの大きな損傷を負った。その後、イギリス領海に帰還し、輸送船に改造された。恐らくイギリス領海に帰還した後にティーグルへ転属し、再び地中海に来たのだろう。
アッコ包囲戦の間、この屈強な老兵は陸上での勤務を何度も要請したが、高齢で耳が遠かったためその要請は受け入れられなかった。
フランス軍が突破口を初めて強襲したとき、多数の戦死者の中に将軍の内の1人がいた。
※突破口を初めて強襲した時とのことだが、第1次及び第2次アッコ要塞突入戦の時には「陸から吹きつける春分の暴風」を避けるためにティーグルはアッコから避難していた。第3次アッコ要塞突入戦の時に突入した将軍はヴォー将軍のみだったが、ヴォー将軍は死亡していない。そのためここで言う“突破口を初めて強襲したとき”というのは第4次アッコ要塞突入戦のことだろう。
トルコ軍は勝ち誇って、この不運な将校の首をはね、サーベルで非道なほどに遺体を切り裂いた後、裸のまま犬の餌食として放置した。
埋葬の儀式を施されなかった遺体は、数日のうちに腐敗し始めた。
※第4次アッコ要塞突入戦は5月8日に終わり、第5次アッコ要塞突入戦は5月10日に終わっている。
このように無防備な状態だったため陸にいた水兵が船(ティーグル)に戻ると亡くなった将軍の状態についてダン(ダニエル・ブライアンのこと)に絶えず尋ねられた。
ダンは船員たちに何度もなぜ埋葬しないのか尋ねたが、返ってくる答えは「自分でやれ」というものだけだった。
フランス軍の捕虜となったことのあるダンは「フランス軍はトルコ軍のように船上で腐らせるようなことはしない。敵にきちんとした埋葬を施すのだ」と言い、そうすると誓った。
5月11日朝、ようやく(アッコの)町を見に行く許可が下りると、まるで遊覧旅行に行くかのように身支度を整え、軍医スピルズベリー(Francis Brockell Spilsbury)と共にジョリーボート(装載艇)で上陸した。
約1、2時間後、軍医が病院で負傷したトルコ兵の手当てをしていると、正直者のダンがやって来て、いつもの気さくながらも人当たりの良い口調で「将軍の葬儀を済ませて、今度は病人の見舞いに来ました」と叫んだ。
軍医は船員の敬礼には特に注意を払わなかったが、ペストに感染するのではないかと恐れたため、すぐに彼を病院から退去させた。
船に戻ってきた軍医を見ると船長は、老ダンを見なかったかと尋ねた。
軍医は「ええ、彼はフランス軍の将軍の葬儀を済ませていました」と返答した。
軍医はダンが病院で最初に言った言葉を船長に伝えた。
英国の船乗りの真にふさわしい、高潔な美徳と温和な美徳が常に融合したこの寛大な行動を目撃した船員たちは、その経緯をこう語った。
老人は、つるはしとシャベル、そしてロープを手に入れ、城壁の銃眼から破口近くに降ろしてほしいと頼んだ。
年若い仲間たちが駆け寄ってきて「自分たちも手伝いたい」と伝えると、老ダンは「だめだ」と答えた。
「君たちは撃たれるにはまだ若すぎる。私は年老いて耳が遠いから失っても大したことはない」
銃撃の最中、冒険を続けるダンは吊り下げられ、武器を肩に担いで降ろされた。
ダンの最初の難題は、決して些細なものではなかったが、犬を追い払うことだった。
ダンが降りるとフランス軍は砲台を水平に構え、発砲しようとした。
そして発砲が開始されたまさにその時、水兵の友好的な意図を察した士官が隊列を飛び越える姿が見えた。
瞬時に武器の轟音と軍の雷鳴は止み、厳粛な静寂が辺りを覆った。
そして、ダンは将軍の遺体を本来の土に返した。
彼は遺体の足元を土と石で覆い、頭には大きな石を置いた。
しかし、ダンの仕事はまだ終わっていなかった。
質素な墓は完成したが墓主の運命や人物を記した碑文がなかったのである。
ダンは英国船員特有の風格で、ポケットからチョークを取り出し、「老クロップよ、ここに眠れ!」と書こうとした。
※クロップ(Crop)がどのような意味かは不明である。
しかしダンはつるはしとシャベルと共に町へと連れて行かれ、すぐに敵の銃撃が再開された。
数日後、事情を知ったシドニー卿は、ダンを船室に呼び寄せるよう命じた。
「さて、ダン、フランスの将軍を埋葬したと聞きいたが?」
「はい、そうです!」
「誰か一緒にいたのか?」
「はい、そうです!」
「スピルズベリー氏は、誰もあなたと一緒にいなかったと言っている。」
「しかし、いました」
「誰があなたを連れて行ったのだ?」
「全能なる神です」
「実に良い助手だ!ダンにグロッグを一杯飲ませてくれ。」
※グロッグとは、水兵に毎日午前11時~12時の間に配給されるラム酒のこと。
「ありがとうございます!」
ダンはグロッグを飲み干し、大満足で船室を出た。
アッコ包囲戦中の逸話②:旗艦「ティーグル」上でのシドニー・スミスとクレベール、ジュノーの会話
アッコ要塞包囲戦では塹壕や突破口で激しい戦闘が繰り広げられ両軍ともに敵意に満ちた様子が窺えたものの、戦闘は頻繁に中断され、フランスの名将たちはそのような機会にティーグルに乗艦するシドニー卿を訪ね、大いに喜んだ。
ある時、包囲軍がある程度進軍した後、クレベール将軍とジュノー将軍はシドニー卿と共に、ティーグルの後甲板を、非常に和気あいあいとした様子で歩いていた。
クレベールとジュノーはイギリスの最高司令官であるシドニー・スミスの両脇に1人づつ立っていた。
数度沈黙した後、ジュノーは目の前に広がる荒廃した要塞群を見つめ、距離が遠ざかるにつれてその重要性は薄れていくのを感じながらまるで偽りの予言のようにこう叫んだ。
「提督、私の言葉に耳を傾けてください!3日後の今この瞬間には、あの惨めな町の残骸にフランスの国旗が掲げられているでしょう。」
シドニー卿は即座に「親愛なる将軍、あなたがその町を占領する前に私が町を吹き飛ばし、あなたをエリコ(Jericho)へ送るでしょう。」と返答した。
※エリコ(Jericho)は死海北西部にある町である。紀元前10,000年頃まで遡る定住の跡が発掘されており、世界最古の町と評されることもある。
シドニー・スミス将軍は旧約聖書における「エリコの戦い」に見立てて、「もしフランス軍がアッコ要塞を占領するならば、角笛を吹いて(艦砲によって)城壁を崩壊させ、イギリス軍に従属する者以外を殺害する」という意味でエリコ(Jericho)と言った可能性がある。
「やむを得ません。本当に痛み入ります。インドへの道はこれで開かれるでしょう。」とクレベールは言った。
「心から感謝致します。」とシドニー卿は答えた。
「ボナパルト殿、そして全軍をそのように前進させるお手伝いをさせていただきます。ご都合がつき次第、すぐに開始いたします。」
この申し出は、非常に親切なものであったにもかかわらず、受け入れられることも、返事をもらうこともなかった。
※この逸話は「シドニー・スミス卿の回想録」に記載されており、この話の後に「包囲戦の51日目、待ちに待った、そして切望されていたハッサン・ベイ率いる援軍が遠くから現れた。」と書かれていることから、4月25日に行われた第3次アッコ要塞突入戦と5月7日~8日にかけて行われた第4次アッコ要塞突入戦の間の出来事だろうと推測できる。しかし、この時クレベール将軍とジュノー将軍はヨルダン川の警戒任務に当たっており、クレベール将軍がヴェルディエ旅団とともにアッコ前に到着したのは第4次アッコ要塞突入戦の翌日の5月9日である。なぜ担当場所を離れてティーグルに乗船できたのかは不明である。
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