ロディ戦役 15:ボルゲットの戦い Lodi Campaign 15
ボルゲットの戦い
勢力 | 戦力 | 損害 |
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フランス共和国 | 約30,907人 | 約500人 |
オーストリア | 約17,790人 | 583人(捕虜含む) |
ボルゲットの戦いの始まり
1796年5月30日午前2時頃、マッセナ師団は渡河目標地点であるボルゲットに向けて移動を開始した。
オージュロー師団、セリュリエ師団もボルゲットへ向けて移動を開始した。
夜明け、キルメインは狙撃兵の傍にいる騎兵隊の先頭でボルゲットを視界に収めた。
キルメインはミンチョ川右岸にあるオーストリア軍の前哨基地を攻撃し、橋の先端に押し戻した。
この攻撃を騎兵と砲兵の支援により強化し、午前9時頃、橋の前で防衛しているオーストリアの部隊に向けて突撃した。
橋の先頭の部隊の支援に支えられていたものの、激しい突撃によりオーストリア軍は武器を奪われ、ミンチョ川左岸に向かって敗走した。
この一連の動きは急速だったため、オーストリア兵数人が橋から落とされた。
落とされたオーストリア兵は浅瀬を渡り、橋を防衛している部隊の後方を補強した。
ガルダンヌはそれを見て浅瀬に気付き、率先してマスケット銃を頭にかざし川に飛び降りた。麾下の兵士たちもガルダンヌに続いて川に飛び降りた。ガルダンヌは脇下までを川の水に浸し、川に飛び降りた50人の兵士たちを率いてオーストリア兵の逃走経路をたどって浅瀬を渡った。
ピットーニは100人の兵士で橋を防衛している部隊を補強したが、この浅瀬を渡ったガルダンヌの部隊は右岸に配置されたフランス軍砲兵隊の砲撃により支援され、ほとんど損失を受けなかった。
橋を防衛しているオーストラリア部隊は、ガルダンヌに背後に回り込まれて退路を断たれることを恐れ、急いで橋を左岸に向かって渡り切り、工兵が橋を破壊し始めた。
しかし、ガルダンヌの後に続き橋を攻撃するダルマーニュはオーストリア軍の後退に合わせて追撃し、工兵による橋の破壊を妨げた。
狙撃隊は壊された部分をジャンプして飛び越え、オーストリア軍のブドウ弾の砲撃の中、他の部隊の支援の下で橋を補修することに成功した。
ダルマーニュはガルダンヌとともにこの地点の防衛を強化した。
橋を防衛していたオーストラリアの2つの部隊は後退し、スカリジェロ城で防衛している4つの部隊に保護されて合流し、抵抗を続けた。
ボーリューによる予備軍への緊急命令
フランス軍からの攻撃を受けたのを見てボーリューは、オリオジからほぼすべての予備軍をヴァレッジョに向かうよう命令した。
ボーリュー視点では、29日にカステルヌオーヴォにフランス軍が進出した時点でボルゲットで渡河をする可能性が高まったと予想していたはずであり、実際にボルゲットを攻撃されたことによりそれが確信となり、オリオジの予備軍すべてを呼び寄せなければ兵力が少ないボルゲットでフランス軍の渡河を許してしまうこととなる。
29日にオーストリア軍は指示が二転三転して混乱していたことについて、ボーリューはペスキエーラ方面に重心を置いた兵力配置から一転してボルゲットに重心をおいた兵力配置にしようとしたことで情報の錯綜が起こり、メラスやセボッテンドルフと認識の齟齬が生まれ混乱をきたしたと考えられる。
ボーリューがボルゲットを攻撃された時点でほぼすべての予備軍を即座にボルゲットに向かわせる命令を出せたのは、ボーリューがボルゲットでの渡河を予期していたからなのだろう。
ボルゲット橋の突破とボーリューの後退
5月30日正午頃、ガルダンヌは大隊を率いて左に回り込んだ。
ガルダンヌの動きを見て、スカリジェロ城で抵抗している6つのオーストリア部隊は退路を遮断されることを恐れ、ヴァレッジョの街に後退した。
ヴァレッジョに向かっていたメラス麾下ガマー予備軍と砲兵隊に対し、ボーリューはカステルヌオーヴォに後退するよう命令を出した。
そして自身もピットーニとともにカステルヌオーヴォ・デル・ガルダへ向かって後退し、他の部隊との合流を計画した。
キルメイン師団はピットーニの後退を埋めるようにヴァレッジョの街に足を踏み入れた。
この間カンパニョーラにいたセボッテンドルフはセリュリエ師団の動きに気を取られていた。
セリュリエはセボッテンドルフに見えるように浅瀬での渡河を計画しているように見せかけていたのである。
ゴーイトにいるコッリは午前の間ボーリューからの命令を待っていた。
ボルゲット橋の通過を許し、メラス麾下ガマー予備軍及び砲兵隊、そしてピットーニ旅団が退却した時点でボルゲットの戦いの勝敗は決した。
開戦から僅か3時間の出来事だった。
オーストリア軍の分断の危機
5月30日正午にフランス軍がボルゲット橋を通過したことを知らされたセボッテンドルフ将軍は100騎の騎兵とともにヴァレッジョを偵察した。
セボッテンドルフはヴァレッジョのフランス軍に見つかり、ヴァレッジョにいたキルメイン師団及びその後方に位置するマッセナ師団は警戒態勢を取った。
セボッテンドルフはヴァレッジョを失ったことを確認すると、右翼から切り離されようとしているのを見て、部隊を結集させて分断を防ぐために引き返した。
そしてボーリューと合流するためにゲルラへの道にニコレッティ旅団を移動するよう命令した。
オーストリア軍は危機的状況に陥っていた。
オーストリア軍中央のピットーニ旅団はカステルヌオーヴォ・デル・ガルダへ後退し、ニコレッティ旅団はカンパニョーラからゲルラに移動しようとしていた。
オーストリア軍右翼との間にフランス軍の進軍を阻むものは何も無かったのである。
フランス軍がビラフランカへ向けて進軍した場合、分断されるだけでは無くニコレッティ旅団と左翼はチロル方面への退路を失うこととなる。
キルメイン師団によるボーリュー本体への追撃
オーストリア軍分断の危機に数人の士官が2、3個の騎兵隊を集結させてフランス軍に突撃した。
これによりオーストリア軍は後退を続ける能力とカステルヌオーヴォ・デル・ガルダへの集結の時間を得た。
キルメインはオーストリア騎兵隊の突撃により分断された部隊の秩序を確立するとその騎兵隊を追跡するよう素早く動ける騎兵隊に命令を下した。
ボーリュー本体はオリオジの野営地に向かっていたが、後衛がフランス騎兵隊に追いつかれて攻撃を受けた。
オリオジには1個大隊が残されていた。その残されていた大隊はフランス騎兵隊の突撃を見て警鐘を鳴らした。
フランス騎兵隊の攻撃と突然の警鐘に引き返してきたボーリュー本体は慌てふためき、混乱状態に陥った。
ホーエンツォレルンはその混乱を見て本部の代わりに指揮を執り、オリオジに配備されていた1個大隊を道路上に移動させ、その後方に兵士たちを集結させた。
ホーエンツォレルンは態勢を立て直しフランス騎兵隊を追い散らすと、キルメイン師団によって分断されたセボッテンドルフとコッリとの連絡を再び取り戻すためにヴァレッジョへ向かった。
セボッテンドルフ将軍によるヴァレッジョへの急襲
キルメインは橋を渡った部隊を集結させるとボーリューを追いオリオジ方面へ向かった。
ヴァレッジョに向かってくるホーエンツォレルンの部隊を発見すると2個騎兵中隊の長であるミュラ大佐はホーエンツォレルンの部隊の左に位置するナポリ軽騎兵隊に突撃し、サーベルで切りつけた。
キルメインがホーエンツォレルンの部隊の退路を遮断しようとしているのを見て、慎重にカステルヌオーヴォ・デル・ガルダへ撤退することを決断した。
キルメイン師団が橋を渡り切った後、ボナパルトはヴァレッジョに入り、マッセナは橋の前に師団を駐留させた。
ボナパルトはオージュローに命じ、進路を左に向けペスキエーラ要塞に向かわせた。
セボッテンドルフは殿(しんがり)を形成しヴァレッジョにいるフランス軍を正面から攻撃した。
この攻撃は成功しなかったがボナパルトを捕縛の直前まで追い詰めた。
この出来事に危機感を持ったボナパルトは自身を警護する部隊を組織し、これが将来の親衛隊の前身となったと言われている。
その後、セボッテンドルフはビラフランカへ撤退した。
コッリ将軍によるマントヴァ要塞の強化とボーリュー本体への道
◎コッリ将軍の動き
セボッテンドルフが殿部隊でヴァレッジョを攻撃していた頃、ゴーイトを出発したコッリ将軍はセリュリエ師団を攻撃するためにミンチョ川を遡っていた。
コッリがヴァレッジョ周辺に到着した時、セボッテンドルフは完全に撤退していた。
コッリは歩兵と砲兵をルカヴィナに率いさせ慎重にマントヴァ要塞に送り返し、自身は騎兵隊を率いビラフランカに向かった。
コッリはフランス軍に発見されることなく、その日の内にビラフランカに到着した。
リプタイ旅団のペスキエーラ要塞からの撤退
5月30日午後4時前頃、リプタイはボーリューから撤退命令を受け、すぐに撤退準備に取り掛かった。
恐らくこの時点でボーリューはペスキエーラ要塞の後方にあるカステルヌオーヴォ・デル・ガルダへ到着していたのだと考えられる。
ホーエンツォレルン旅団はキルメイン師団の騎兵部隊に追撃を受けながらカステルヌオーヴォ・デル・ガルダへ向かっているためリプタイ旅団に撤退命令を出さなければリプタイ旅団はオージュロー師団とキルメイン師団に挟まれ孤立してしまう。
午後5時頃、オージュロー師団の前衛部隊はリプタイが防衛しているペスキエーラ要塞に到着した。
リプタイはオージュロー師団の到着前にペスキエーラ要塞を出発することができず、戦いは避けられない状況となった。
撤退を成功させるためにはオージュロー師団の本体が到着する前に主導権を握りオージュロー師団を停止させる必要があると考えたリプタイは、オージュロー師団の前衛部隊を打ち砕くべく歩兵約600人と騎兵隊を率いてペスキエーラ要塞から出撃した。
オージュロー師団の前衛部隊はこれに驚いて秩序を失った。
リプタイはオージュロー師団の前衛部隊をミンチョ川で溺死させ、計約200人を死傷させた。
この奇襲攻撃はオージュロー師団の前進を阻み、リプタイ旅団が撤退する時間を十二分に稼いだ。
リプタイは旅団を4つに分割し、カステルヌオーヴォ・デル・ガルダ、コラ、サンドラ、ラツィーゼ周辺の道路に分散して退却させた。
午後7時頃、キルメインの追撃から逃れたホーエンツォレルンの部隊はリプタイ旅団と合流を果たした。
混乱から立ち直ったオージュロー師団はボナパルトからリプタイを追跡するよう命令を受け、カステルヌオーヴォまで追跡をした。
このボルゲットの戦いで、フランス軍は約500人の死傷者を出し、オーストリア軍は583人が死傷または捕虜となった。
捕虜の中にナポリ軽騎兵隊の指揮官であるクート(Cuto)王子がいたとのことである。