ボルゲットの戦い 06 Battle of Borghetto 06

ボルゲットの戦い

勢力 戦力 損害
フランス共和国 約30,907人 約500人
オーストリア 約17,790人 583人(捕虜含む)

ボルゲットの戦い 後半Battle of Borghetto ( Latter half )

 正午にフランス軍がボルゲット橋を通過したことを知らされたセボッテンドルフは100騎の騎兵とともにヴァレッジョを偵察した。セボッテンドルフはヴァレッジョのフランス軍に見つかり、ヴァレッジョにいたキルメイン師団及びその後方に位置するマッセナ師団は警戒態勢を取った。

 セボッテンドルフはヴァレッジョを失ったことを確認すると、右翼から切り離されようとしているのを見て、部隊を結集させるために引き返した。そしてボーリューと合流するためにゲルラへの道に部隊を移動するよう命令した。

 オーストリア軍は危機的状況に陥っていた。オーストリア軍中央のピットーニ旅団はカステルヌオーヴォ・デル・ガルダへ後退し、ニコレッティ旅団はカンパニョーラからゲルラに移動しようとしていた。オーストリア軍右翼との間にフランス軍の進軍を阻むものは何も無かったのである。

 フランス軍がビラフランカ・ディ・ベローナへ向けて進軍した場合、分断されるだけでは無くニコレッティ旅団と左翼はチロル方面への退路を失うこととなる。

 このオーストリア軍の危機に数人の士官が2、3個の騎兵隊を集結させてフランス軍に突撃した。これによりオーストリア軍は後退を続ける能力とカステルヌオーヴォ・デル・ガルダへの集結の時間を得た。

 キルメインはオーストリア騎兵隊の突撃により分断された部隊の秩序を確立するとその騎兵隊を追跡するよう素早く動ける騎兵隊に命令を下した。

 ボーリュー本体はオリオジの野営地に向かっていたが、後衛がフランス騎兵隊に追いつかれて攻撃を受けた。

 オリオジには1個大隊が残されていた。その残されていた大隊はフランス騎兵隊の突撃を見て警鐘を鳴らした。

 フランス騎兵隊の攻撃と突然の警鐘に引き返してきたボーリュー本体は慌てふためき、混乱状態に陥った。

 ホーエンツォレルンはその混乱を見て本部の代わりに指揮を執り、オリオジに配備されていた1個大隊を道路上に移動させ、その後方に兵士たちを集結させた。

 ホーエンツォレルンは態勢を立て直しフランス騎兵隊を追い散らすと、キルメイン師団によって分断されたセボッテンドルフとコッリとの連絡を再び取り戻すためにヴァレッジョへ向かった。

 キルメインは橋を渡った部隊を集結させるとボーリューを追いオリオジ方面へ向かった。ヴァレッジョに向かってくるホーエンツォレルンの部隊を発見すると2個騎兵中隊の長であるミュラ大佐はホーエンツォレルンの部隊の左に位置するナポリ軽騎兵隊に突撃し、サーベルで切りつけた。

 キルメインがホーエンツォレルンの部隊の退路を遮断しようとしているのを見て、慎重にカステルヌオーヴォ・デル・ガルダへ撤退することを決断した。

 キルメイン師団が橋を渡り切った後、ボナパルトはヴァレッジョに入り、マッセナは橋の前に師団を駐留させた。

 ボナパルトはオージュローに命じ、進路を左に向けペスキエーラ要塞に向かわせた。

 セボッテンドルフは殿(しんがり)を形成しヴァレッジョにいるフランス軍を正面から攻撃した。

 この攻撃は成功しなかったがボナパルトを捕縛の直前まで追い詰めた。この出来事に危機感を持ったボナパルトは自身を警護する部隊を組織し、将来の親衛隊の前身となったと言われている。

 セボッテンドルフはビラフランカ・ディ・ベローナへ撤退した。

 セボッテンドルフが殿部隊でヴァレッジョを攻撃していた頃、コッリはセリュリエ師団を攻撃するためにミンチョ川を遡っていた。

 コッリがヴァレッジョ周辺に到着した時、セボッテンドルフは完全に後退していた。

 コッリは歩兵と砲兵をルカヴィナに率いさせ慎重にマントヴァ要塞に送り返し、自身は騎兵隊を率いビラフランカ・ディ・ベローナに向かった。コッリはフランス軍に発見されることなく、その日の内にビラフランカ・ディ・ベローナに到着した。

◎コッリの動き

 午後4時前頃、リプタイはボーリューから撤退命令を受け、すぐに撤退準備に取り掛かった。恐らくこの時点でボーリューはペスキエーラ要塞の後方にあるカステルヌオーヴォ・デル・ガルダへ到着していたのだと考えられる。ホーエンツォレルンの部隊はキルメイン師団の騎兵部隊に追撃を受けながらカステルヌオーヴォ・デル・ガルダへ向かっているためリプタイ旅団に撤退命令を出さなければリプタイ旅団はオージュロー師団とキルメイン師団に挟まれ孤立してしまう。

 午後5時頃、オージュロー師団の前衛部隊はリプタイが防衛しているペスキエーラ要塞に到着した。

 リプタイはオージュロー師団の到着前にペスキエーラ要塞を立つことができず、戦いは避けられない状況となった。

 撤退を成功させるためにはオージュロー師団の本体が到着する前に主導権を握りオージュロー師団を停止させる必要があると考えたリプタイは、オージュロー師団の前衛部隊を打ち砕くべく歩兵約600人と騎兵隊を率いてペスキエーラ要塞から出撃した。

 オージュロー師団の前衛部隊はこれに驚いて秩序を失った。

 リプタイはオージュロー師団の前衛部隊をミンチョ川で溺死させ、計約200人を死傷させた。この奇襲攻撃はオージュロー師団の前進を阻み、リプタイ旅団が撤退する時間を十二分に稼いだ。リプタイは旅団を4つに分割し、カステルヌオーヴォ・デル・ガルダ、コラ、サンドラ、ラツィーゼ周辺の道路に散らばって退却させた。

 午後7時頃、キルメインの追撃から逃れたホーエンツォレルンの部隊はリプタイ旅団と合流を果たした。

 混乱から立ち直ったオージュロー師団はボナパルトからリプタイを追跡するよう命令を受け、カステルヌオーヴォまで追跡をした。

 このボルゲットの戦いで、フランス軍は約500人の死傷者を出し、オーストリア軍は583人が死傷または捕虜となった。捕虜の中にナポリ軽騎兵隊の指揮官であるクート(Cuto)王子がいたとのことである。