ロディの戦い 04 Battle of Lodi 04

コドーニョの戦い

勢力 戦力 損害
フランス共和国 約4,000人~5,000人 ラハープの他は不明
オーストリア 約1,600人 不明だが多かったと推測される

コドーニョの戦い、ラハープの死Battle of Codogno

 5月8日夕方4時頃、リプタイが攻撃されている現状を知ったボーリューはリプタイを支援するために先遣隊のいるカザルプステルレンゴへ向かった。しかしリプタイはすでにピッツィゲットーネまで完全に退却していた。

 カザルプステルレンゴにいたシュビルツ麾下ナポリ騎兵隊指揮官であるファルデッラ中佐は、約5㎞離れたコドーニョへの夜襲をシュビルツに提案し、シュビルツはその提案を採用した。

 シュビルツの部隊は月が無い星明りの中コドーニョへ向かった。

 5月8日午後10時頃、シュビルツ率いるボーリューの偵察部隊約1,600人(歩兵約1,000人、軽騎兵約600人)がコドーニョへの攻撃を開始した。リプタイを撃破した後すぐに他のオーストリア部隊が攻撃してくるとは思わず、防備が不十分なラハープ師団を大いに驚かせた。

 シュビルツの部隊はものの数分でコドーニョの入り口に配置されている2つの大砲を奪い、広場に向けて疾走した。前哨基地の武装をひっくり返し、避難しようと走った兵士を斬り、建物の窓に向けて発砲した。

 同時に他のオーストリア2個中隊も行動を開始し、塹壕内に設置されている他の2つの大砲を破壊した。しかし偶然にも広場を移動中にオーストリアの部隊と遭遇したフランス軍デュプイ少将の対応は的確であり、オーストリア2個中隊は狭い通りに追いつめられた。

◎コドーニョの戦い 突入時イメージ

 その頃、夕食を終えたラハープは、戦争委員ラヴェルニュ、副官のラホーズ、ランドリュー、家主のランべルティ伯爵とともにテーブルで眠りに落ちていた。

 酔っぱらった砲手が乱暴にドアを叩いた。ラホーズがドアを開けると、砲手は慌てて建物の中に入りオーストリア軍の夜襲があり、デュプイ少将が広場で応戦していることを報告した。

 ラハープ達は現状の確認をするためにすぐさまデュプイの元へ急行すると、暗闇の中から銃撃を受けた。オーストリアの部隊と交戦している中、敵味方の区別がつかなかったのである。「フランス!」と叫び、自分たちがフランス軍であることを伝えると、銃撃が止まった。

 デュプイは「フランス!」と叫んだ者達がフランス側だと確認すると、教会の壁と約4,000人のフランス軍に囲まれて立ち往生している約300人のオーストリア2個中隊を照らして見せた。オーストリアの2個中隊は店の通りに沿ってかなり混乱している様子だった。

 ラホーズ、ランドリュー、ラヴェルニュ達はラハープが見当たらないことに気付き、辺りを見渡した。副官のラホーズがラハープ将軍を呼んだが返事は返って来なかった。

 ラホーズ達がラハープを見つけた時、ラハープはラホーズ達の間で路上に倒れ死亡していた。

 ラハープはスイス出身であり、故郷を追われ36歳でフランス軍に入隊した。このコドーニョで暗闇のなか味方に撃たれ、妻と6人の子を残し41年の人生に幕を閉じた。

 このオーストリア軍の攻撃についてマレーオで知ったダルマーニュは2個大隊と騎兵100人を連れてコドーニョに駆け付けた。

◎コドーニョの戦い シュビルツ撤退時のイメージ

 参謀長ベルティエ少将もコドーニョへ駆け付け、ラハープ師団を結集してシュビルツの部隊と戦った。

 夜明け前、シュビルツはコドーニョを防衛するフランス軍が厚くなっていると確信し、形勢不利と見て撤退を決断した。

 シュビルツの部隊をコドーニョから排除したベルティエは、シュビルツを追ってカザルプステルレンゴへ向かった。ボーリューはすぐさまシュビルツの部隊をカザルプステルレンゴから撤退させた。

 数時間後、ベルティエは結集したラハープ師団とともにカザルプステルレンゴを占領した。

 このコドーニョの戦いは突入時点ではオーストリア軍有利に進んだものの、広場でほぼ包囲されており、その後はフランス軍有利に進んだ。ラハープとともに行動していたランドリューの回想録に、オーストリア軍が教会の壁と商店街の狭い小路に追いつめられて捕虜になった記述があるので、オーストリア軍の損害は多かったと推測される。しかし、オーストリア軍の夜襲は損害と引き換えにフランス軍師団長ラハープの戦死という大きな戦果を挙げたのであった。