ロディ戦役 11:新たな作戦 Lodi Campaign 11
ボルゲットの戦い
勢力 | 戦力 | 損害 |
---|
フランス共和国 | 約30,907人 | 約500人 |
オーストリア | 約17,790人 | 583人(捕虜含む) |
新たな作戦New Plan
5月19日、フランス軍の新たな作戦が始動した。
フランス軍にとってミンチョ川を通過する地点の候補は5箇所あった。
北からペスキエーラ要塞、ボルゲット、ゴーイト、リヴァルタ、マントヴァ要塞である。
その内のペスキエーラ要塞についてはヴェネツィア共和国が所有していて尚且つ強固であり、リヴァルタについてはマントヴァ要塞に近すぎ、マントヴァ要塞についてはオーストリア軍の最も強固な地点であるのでここを通過することは無謀であった。
残りのボルゲットとゴーイトであるが、ゴーイトは沼地で覆われ、尚且つ橋は強固な塹壕によって守られていた。
沼地で足を取られ塹壕からの銃撃のなか、橋を通過することは困難であると考えられた。
しかもマントヴァとゴーイト周辺は4個大隊からなるビカソヴィッチ旅団がゴーイトからカサティコまでの右岸のすべての出口を監視し、カサティコの南に位置するマルカリアでは2個大隊がオリオ川とミンチョ川の間でポー河を観察していた。
マントヴァ要塞への道は封鎖されており、ゴーイトを渡河地点と定めた場合、フランス軍の動向は筒抜けになるため、マントヴァ駐留軍12,000人とも対峙しなければならないのである
ボルゲットは橋の両端を防衛のためのアーチ門によって守られていたが、ボナパルトは渡河地点候補の中で最も弱いであろうボルゲットでミンチョ川を通過することを決定した。
◎ナポレオンの作戦
ボナパルトの目標は、ボルゲットでミンチョ川を通過することによりオーストリア軍の防衛線をアディジェ川の背後にまで後退させ、マントヴァ要塞を孤立させ包囲することだった。
軍の編成に一部変更を加え、抵抗を続けているミラノのスフォルツェスコ城のためにデスピノイ少将麾下5,278人でミラノを封鎖させ、前衛をキルメイン師団(6,262人)、中央をマッセナ師団(メナード師団含む9,481人)、左翼をオージュロー師団(6,089人)、右翼をセリュリエ師団(9,075人)とし、ブレシア周辺に軍を集結させることを計画した。
左翼のオージュロー師団をガルダ湖西側に位置するサローに移動させ、湖を渡る準備をさせることによりガルダ湖を船で渡る可能性、そしてガルダ湖を迂回してチロル方面のオーストリア軍の連絡線を遮断する可能性をオーストリア軍に懸念させつつ、ペスキエーラ要塞周辺地域での渡河しようとしているように見せかける。
ボーリューのウィーンとの連絡経路は3経路があった。
①チロルの都であるインスブルックを経由しブレンナー峠を越えガルダ湖へ至る経路
②クラーゲンフルト、フィラハを経由しウディネに出て、ヴェローナやレニャーゴへ至る経路
③クラーゲンフルト、リュブリャナを経由しアドリア海岸にあるトリエステに出て、ヴェローナやレニャーゴへ至る経路
◎オーストリア軍の本国との連絡線
②と③はヴェネツィア共和国の領土を横断するので、オーストリア軍にとって最も重要な連絡経路は①であった。
最も重要な①チロル方面の連絡線を脅かし、ペスキエーラ要塞周辺で渡河しようと見せかけるのである。
これにより思惑通りにいけば、オーストリア軍の兵力の一部をヴェネツィア共和国が所有しているペスキエーラ要塞(作戦立案時点ではオーストリア軍は、ペスキエーラ要塞の使用許可が得られず、ペスキエーラ要塞には兵力を配置していなかった)に誘導することができ、連絡線防衛のためチロル方面へと分散させ、主戦場に設定したボルゲットから遠ざけることができる。
オーストリア軍の兵力配置の重心をペスキエーラ要塞方面に誘導するのである。
前衛のキルメイン師団と中央のマッセナ師団はボルゲットへ向かい、右翼のセリュリエ師団はオーストリア軍左翼を引き付けるためにカステルヌオーヴォを経由しカンパニョーラ方面へ向かい、付近の浅瀬を探索し渡河するように見せかける。
このセリュリエの行動はゴーイト、カンパニョーラ周辺にいるはずであるオーストリア軍の注意を引き付けて警戒させるための陽動である。
その後オージュロー師団、セリュリエ師団がオーストリア軍を引き付けている間に、マッセナ師団、キルメイン師団(合計15,743人)がボルゲットでミンチョ川を通過し、オーストリア軍を分断しアディジェ川の背後にまで後退させ、マントヴァ要塞を包囲するのである。