ボルゲットの戦い 05 Battle of Borghetto 05

ボルゲットの戦い

勢力 戦力 損害
フランス共和国 約30,907人 約500人
オーストリア 約17,790人 583人(捕虜含む)

ボルゲットの戦い 前半Battle of Borghetto ( first half )

 28日、ロディから先はヴェネツィア共和国の領土であったため、ヴェネツィア共和国に配慮しつつ進軍しなければならなかった。ボナパルトはブレシアにて全軍にその旨を通達した。

 マッセナがモンテキアーリに到着すると、そこにはいくつかのオーストリア騎兵隊が駐留していた。マッセナ師団の前衛はモンテキアーリのオーストリア騎兵隊を難なく倒し、村の前に駐留した。

 マッセナ師団には偵察に適した部隊の人数が少なかったため、十分な偵察ができなかった。マッセナは偵察に必要な騎兵隊と砲兵隊を要求したが、ボナパルトはミラノから到着したばかりの1個歩兵大隊のみをマッセナの元に派遣した。

 マッセナ師団がモンテキアーリに駐留している間、キルメイン師団はロナートからカスティリオーネ・デッレ・スティヴィエーレに進軍した。セリュリエ師団はメッツァーネ・ディ・カルヴィザーノに行軍し、駐留しているオーストリア軍を追い出しモンテキアーリにいるマッセナと連絡を取り、カステルヌオーヴォへ向かった。

 オージュローはデゼンツァノ・デル・ガルダに進軍し、ボナパルトは本部をカルチナートに移した。

 5月29日、ボナパルトはキルメインにカスティリオーネ・デッレ・スティヴィエーレを出発しソルフェリーノを経由してボルゲットに向かうよう命令した。

 オージュロー師団はロナートへ移動した。

 カスティリオーネ・デッレ・スティヴィエーレからミンチョ川までは100mから200m級の山々が広がっており、それをカーテンとして直前までフランス軍の動きが察知され難いようにしたのである。

◎28日~29日のフランス軍の機動

 これらフランス軍の機動から、キルメイン師団に先にボルゲットを攻撃させ、他の3師団はその後にボルゲットに到着するように計画していたことが分かる。

 そしてこのフランス軍の機動に最も驚いたのがボーリューである。28日の時点でフランス軍右翼はメッツァーネ・ディ・カルヴィザーノにおり、フランス軍はペスキエーラ要塞で渡河するつもりであると判断し、ペスキエーラ要塞方面に軍の重心を置く命令をしたばかりだったにもかかわらず、その後カステルヌオーヴォに配置していた騎兵隊からフランス軍発見の連絡が入ったのである。

 フランス軍の狙いが判明せずオーストリア軍司令部は慌てふためいた。指示が二転三転しオーストリア軍は混乱をきたした。

 5月30日、オーストリア軍はボナパルトが誘導したように渡河目標地点であるボルゲットから引き離されていた。

 リプタイ旅団歩兵約3,800人、騎兵約650人はヴェネツィア共和国が所有しているペスキエーラ要塞を使用し、さらにその後方に位置するカステルヌオーヴォ・デル・ガルダで右翼を形成した。そして一部をチロル方面へ派遣していた。

 中央はセボッテンドルフが指揮し、麾下にはニコレッティ旅団とピットーニ旅団があった。ニコレッティはカンパニョーラにあり歩兵約2,000人、騎兵約560人を率い、ピットーニ旅団はヴァレッジョ・スル・ミンチョを歩兵約2,000人、騎兵約1,240人で防衛していた。

 ゴーイトを防衛しているコッリは、ルカヴィナ旅団歩兵約2,600人、騎兵約400人、マントヴァ守備隊約12,000人で左翼を形成した。

 予備は右翼と中央の中間に位置するオリオジに7個大隊、10個騎兵中隊(合計約4,500人)で宿営し、メラス中将が指揮をした。

※このメラス中将は1800年6月14日、マレンゴの戦いでナポレオンと決戦をすることとなる。

 30日午前2時頃、マッセナ師団は渡河目標地点であるボルゲットに向けて移動を開始した。オージュロー師団、セリュリエ師団もボルゲットへ向けて移動を開始した。

 夜明け、キルメインは狙撃兵の傍にいる騎兵隊の先頭でボルゲットを視界に収めた。キルメインはミンチョ川右岸にあるオーストリア軍の前哨基地を攻撃し、橋の先端に押し戻した。この攻撃を騎兵と砲兵の支援により強化し、午前9時頃、橋の頭の前で防衛しているオーストリアの部隊に向けて突撃した。

 橋の頭の部隊の支援に支えられていたものの、激しい突撃によりオーストリア軍は武器を奪われ、ミンチョ川左岸に向かって敗走した。

 この一連の動きは急速だったため、オーストリア兵数人が橋から落とされた。

 落とされたオーストリア兵は浅瀬を渡り、橋を防衛している部隊の後方を補強した。

 ガルダンヌはそれを見て浅瀬に気付き、率先してマスケット銃を頭にかざし川に飛び降りた。麾下の兵士たちもガルダンヌに続いて川に飛び降りた。ガルダンヌは脇下までを川の水に浸し、川に飛び降りた50人の兵士たちを率いてオーストリア兵の逃走経路をたどって浅瀬を渡った。

 ピットーニは100人の兵士で橋を防衛している部隊を補強したが、この浅瀬を渡ったガルダンヌの部隊は右岸に配置されたフランス軍砲兵隊の砲撃により支援され、ほとんど損失を受けなかった。

 橋を防衛しているオーストラリア部隊は、ガルダンヌに背後に回り込まれて退路を断たれることを恐れ、急いで橋を左岸に向かって渡り切り、工兵が橋を破壊し始めた。

 しかし、ガルダンヌの後に続き橋を攻撃するダルマーニュはオーストリア軍の後退に合わせて追撃し、工兵による橋の破壊を妨げた。

 狙撃隊は壊された部分をジャンプして飛び越え、オーストリア軍のブドウ弾の砲撃の中、他の部隊の支援の下で橋を補修することに成功した。

 ダルマーニュはガルダンヌとともにこの地点の防衛を強化した。

 橋を防衛していたオーストラリアの2つの部隊は後退し、スカリジェロ城で防衛している4つの部隊に保護された。そしてスカリジェロ城で抵抗を続けた。

 フランス軍からの攻撃を受けたのを見てボーリューは、オリオジからほぼすべての予備軍をヴァレッジョに向かうよう命令した。

 ボーリュー視点では、29日にカステルヌオーヴォにフランス軍が進出した時点でボルゲットで渡河をする可能性が高まったと予想していたはずであり、実際にボルゲットを攻撃されたことによりそれが確信となり、オリオジの予備軍すべてを呼び寄せなければ兵力が少ないボルゲットでフランス軍の渡河を許してしまうこととなる。

 29日にオーストリア軍は指示が二転三転して混乱していたことについて、ボーリューはペスキエーラ方面に重心を置いた兵力配置から一転してボルゲットに重心をおいた兵力配置にしようとしたことで情報の錯綜が起こり、メラスやセボッテンドルフと認識の齟齬が生まれ混乱をきたしたと考えられる。

 ボーリューがボルゲットを攻撃された時点でほぼすべての予備軍を即座にボルゲットに向かわせる命令を出せたのは、ボーリューがボルゲットでの渡河を予期していたからなのではないだろうか。

 正午頃、ガルダンヌは大隊を率いて左に回り込んだ。

 ガルダンヌの動きを見て、スカリジェロ城で抵抗している6つのオーストリア部隊は退路を遮断されることを恐れ、ヴァレッジョの街に後退した。

 ヴァレッジョに向かっていたたメラス麾下ガマー予備軍と砲兵隊に対し、ボーリューはカステルヌオーヴォに後退するよう命令を出していた。そして自身もピットーニとともにカステルヌオーヴォ・デル・ガルダへ向かって後退し、他の部隊との合流を計画した。

 キルメイン師団はピットーニの後退を埋めるようにヴァレッジョの街に足を踏み入れた。

 この間カンパニョーラにいたセボッテンドルフはセリュリエ師団の動きに気を取られていた。セリュリエはセボッテンドルフに見えるように浅瀬での渡河を計画しているように見せかけていたのである。

 ゴーイトにいるコッリは午前の間ボーリューからの命令を待っていた。

 ボルゲット橋の通過を許し、メラス麾下ガマー予備軍及び砲兵隊、そしてピットーニ旅団が退却した時点でボルゲットの戦いの勝敗は決した。開戦から僅か3時間の出来事だった。