ロディ戦役 13:偽りの機動 Lodi Campaign 13

ボルゲットの戦い

勢力 戦力 損害
フランス共和国 約30,907人 約500人
オーストリア 約17,790人 583人(捕虜含む)

偽りの機動Feint Maneuver

 ロンバルディアの反乱によりボナパルトと連絡が取れなくなっていた各師団は、ブレシアの背後15㎞~16㎞に集中していた。

 その数4個師団約27,700人に上った。

 クレマに本部があったが、各師団が集結しているブレシアの遥か後方だったため、参謀長ベルティエは本部をソンチーノに移し、そこで歩兵のためにオリオ川に橋をかけた。

 ボナパルトは5月26日夕方にソンチーノに到着するとようやく各師団に命令が下された。

 マッセナはカザーリアに駐留し、そこでベルティエから非難の書簡を受け取った。

 その内容は、他の師団が受け取るべきソンチーノに集積していた約10,000食分の食料をマッセナ師団が受け取ったというものだった。

 その返答のためにわずかな時間師団を停止させ、ベルティエの指摘を否定した。

 マッセナの推測によると、キルメインの命令下で食料にあり付けずにいた歩兵に数日分の食料を提供したとのことである。

 確かにキルメインはソンチーノを通過しているが、マッセナが実際に受け取ったかどうかは不明である。

 カザーリアに駐屯しているマッセナは10㎞ほど離れたクインツァネッロで野営しているセリュリエ師団と連絡を取り、カステルヌオーヴォとモンティキアーリへ強力な偵察を送ることを急いだ。

 27日、本部をブレシアに移し、前衛であるキルメイン師団はロナートに到着した。

 マッセナ師団は午前3時頃に出発し、モンテキアーリへ向けて移動した。

 右翼のセリュリエ師団はゲーディに移動した。

 左翼のオージュロー師団はルスカを前衛とし、ポンテ・サン・マルコからサローに向かった。

 サローでガルダ湖を渡るとボーリューに思わせるためにルスカはボートを集めた。

 27日夜、ボナパルトはマッセナにミンチョ川通過に関する計画を伝えた。

 ペスキエーラ要塞方面に兵力を集約し部隊をチロル方面へ向ける動きにより、ボーリューはフランス軍がペスキエーラ要塞を占領し、チロル方面の退路を遮断するつもりであると考えた。

 そしてこの時点までにヴェネツィア共和国からペスキエーラ要塞の使用許可が届いていた。

◎ボーリューが推測したであろうフランス軍の行動

 この恐れはボーリューが方針を決める決定打となった。

 同日、ボーリューはリプタイ旅団歩兵約3,800人、騎兵約650人をペスキエーラ要塞とその後方に位置するカステルヌオーヴォ・デル・ガルダに配置し一部をチロル方面へ派遣、メラス中将麾下のガマー予備軍約4,500人をオリオジに派遣したのである。

◎ボーリューの計画

 ボーリューはこのペスキエーラ要塞周辺でフランス軍の進軍を食い止めるつもりだった。

 ボーリューの思惑通りにいけば、リプタイがペスキエーラ要塞でフランス軍中央を食い止め、チロル方面の連絡線は1部隊を向かわせて確保し、ガルダ湖から上陸してくるフランス軍左翼はカステルヌオーヴォ・デル・ガルダで食い止めることができるはずであった。

 オリオジの予備軍は状況に合わせて対応し、そしてフランス軍右翼はセボッテンドルフ将軍がボルゲット橋で撃退するのである。

 ボーリューは、フランス軍と比較して兵力は少ないながら自身が考え得る万全の態勢を整えてフランス軍を待ち受けていた。