ロディの戦い 02 Battle of Lodi 02

グアルダミーリオの戦い、フォンビオの戦い

勢力 戦力 損害
フランス共和国 グアルダミーリオ前哨戦:約500人
グアルダミーリオ:10,500人~11,500人
フォンビオ:10,500人~11,500人
合計約450人
オーストリア グアルダミーリオ前哨戦:約150人
グアルダミーリオ:約5,000人
フォンビオ:約5,000人
合計約500人~約600人

グアルダミーリオの戦いBattle of Guardamiglio

 5月6日、カステル・サン・ジョバンニからピアチェンツァの間のボートすべてを組み立てたボナパルトは、予定通り、5月7日の作戦決行を命令した。

 セリュリエはヴァレンツァ近辺で牽制攻撃を仕掛け続け、マッセナはサーレに砲台を設置しボートを組み立て、表面上ヴァレンツァで渡河するための準備をすべて整えた。

 ラハープはトルトナから、オージュローはジェロ―ラからヴォゲーラへ向けて出発した。ジェロ―ラには代わりにマッセナ麾下のジュベールが入りオージュロー麾下のルスカが行っていたボート造りを引き継いだ。ルスカのボート造りをジュベールに引き継がせたのは、ジェロ―ラから部隊がいなくなるとオーストリア軍が作戦に気付いてしまう可能性があるからである。そしてヴォゲーラに向かったのは、ヴァレンツァからピアチェンツァは約80㎞ほどだが、ヴォゲーラからならスクリビア川という障害を越えた上に約50㎞ほどとなり、約30㎞距離をかせぐことができるからである。

 一方、ボーリュー率いるオーストリア軍はフランス軍がヴァレンツァで渡河するつもりがないことを察するとオットビアーノからパヴィアに向かい、セボッテンドルフ少将と10個大隊、10個中隊とともにコルテオローナとサンタ・クリスティーナに向かった。

 パヴィアで分離した部隊には、パヴィアとパヴィア南のポー河沿岸に塹壕を掘らせ防備を固めさせた。

 リプタイ少将にはアッダ川、ランブロ川、ポー河の間の地域を8個大隊、8個中隊(約5,000~6,000人)で防衛させ、ビカソヴィッチ大佐にはテルドッピオ川の後背に2個大隊、2個中隊を残しパヴィアへ向かわせた。

 ボーリューは防衛の重点を ヴァレンツァ ~ パヴィア間から パヴィア ~ ピアチェンツァ間に変更したのである。

 コッリはボッファローラ・ソプラ・ティチーノへ向かっていた。

 この時点でオーストリア軍はいくつかの分遣隊で強化され総勢約26,200人、内騎兵約5,600人、大砲69門を備えていた。

 5月7日未明、ダルマーニュの選抜部隊がストラデッラを出発し、夜明けにピアチェンツァに到着した。

 すでに用意してあるボートにランヌ大佐の部隊が乗り込み、対岸に渡った。リプタイの偵察部隊であるナポリ軽騎兵2個中隊(約150人)が上陸を防ごうとしたが、最初に上陸したランヌ大佐の部隊(約500人)に攻撃を仕掛けた。ランヌ大佐の部隊は茂みや凹凸に隠れて応戦した。数分間の射撃の後、ナポリ騎兵隊はサン・ロッコを経由しグアルダミーリオへ撤退した。

 リプタイはランブロ川へ向かっている途中であり、ピアチェンツァからフランス軍が渡河し始めたことを知った。リプタイは歩兵約4,000人、騎兵約1,000人を率いピアツェンツァの渡河地点まで急行した。

 リプタイが到着したとき、すでにいくつかの部隊が上陸を果たしており、ダルマーニュとラハープはすでにグアルダミーリオまで進出し橋頭保を形成していた。午後、リプタイはフランス軍を対岸に押し戻すべく攻撃を開始した。

 激しい攻撃の応酬が続いたが、リプタイの必死の攻撃も相まってダルマーニュとラハープを河岸に押し戻すことに成功した。

 しかしフランス軍はポー河北岸への上陸作戦を諦めずに継続していた。7日夜、次々と押し寄せるフランス軍の上陸を抑えていたリプタイはフォンビオに後退することを決断した。リプタイが後退を決断した時、フランス軍はリプタイの部隊の2倍以上になっていたため、これ以上、フランス軍を河岸に押さえつけておくことは難しかったのである。

 グアルダミーリオでの戦いの間、マッセナとセリュリエはヴォゲーラを経由しピアツェンツァ方面へ向かった。

 オージュローはピアツェンツァへ向かう途中で荷船を接収し、ピアツェンツァの少し西の地点から対岸へ渡ろうとしていた。

 5月7日夜、マッセナはカステル・サン・ジョバンニで野営をした。

 リプタイがフォンビオへ後退した後、夜を通してダルマーニュの選抜部隊とラハープ師団はポー河渡河を成功させた。フランス軍はついにポー河北岸に橋頭保を確立したのである。