ロアノの戦い 08 Battle of Loano 08

ロアノの戦い

勢力 戦力 損害
フランス共和国 約25,000人 約1,700人
オーストリア
サルディーニャ王国
約18,000人 約4,000人
捕虜:約4,600人
 

その後After

 ロアノの戦いは終わった。オーストリア軍は撤退後アックイ周辺を中心に防衛線を構築し、ピエモンテ軍もチェバ周辺を防衛していた。ピエモンテの将軍たちは国王ヴィクター・アマデウス3世にフランスとの早急な和平条約締結を進言していた。

 敗北の原因を作ったアルジャントーは軍法会議にかけられたが無罪となった。

 フランス軍は ロアノ ~ サヴォナまでを支配下に置き、その前線はチェバの手前まで進出した。しかし、季節的な問題があり、本営から前線までの連絡線の長さ、兵員、食料等の物資も不足していた。増援も徐々に到着していたが、すべてが到着するには時間がかかっていた。

 そのため、シェレールは進軍を停止し、ピエモンテ・オーストリア軍に防備を固める時間を与えることとなった。

 イタリア方面軍は総司令官にボナパルト中将を据え、翌1796年に進軍を再開することとなる。1796年から1797年にかけてのイタリア戦役(モンテノッテ戦役)である。

ロアノの戦いの感想Impression

 このロアノの戦いでは、ナポレオンが後に元帥に任命する人物が多数参戦している。

 マッセナ、オージュロー、セリュリエについてはこの戦いの3師団を率いていた主要人物達である。バネル少将が負傷して指揮権を渡されたランヌ大佐。オーストリア軍ルカヴィナ少将に突破されたヴィクトール。もしかしたら、その他にも参戦しているかもしれない。

 この戦いは広い戦域においての、連絡線の重要性がよくわかる戦いだったと思う。マッセナがアルジャントーを敗北させた時点でアルジャントーとコッリとの連絡が遮断され、コッリは27日までオーストリア軍の退却を知らずセリュリエと戦い続け各個撃破された。マッセナがメローニョからサン・ジャコモを先回りで占領することによりオージュローを支援しつつアルジャントーとウォリスを分断していた。

 マッセナの状況判断の正確性と優秀さが際立っていたと思う。

 フランス軍総司令官シェレールもマッセナから軍を分割してセリュリエ師団の側面として支援させたタイミングも良かったと思う。オージュローもオーストリア軍テルニシー少将がランヌ旅団を突破してヴィクトールの左を突こうとした時にドマルタンに最大限の兵を預けてテルニシーを追い返した判断も輝いていた。

 それにしても、フランスの兵士たちは靴も無く、雪の降る山岳地帯をあちこち歩き回るのは素直に凄い。とても自分にはできそうにないと思う。裸足で雪山を歩くというのは想像以上に過酷である。食料、物資がフランス軍と比較して潤沢なピエモンテ・オーストリア軍によく勝てるなと感心もする。

 もしデ・ヴィンスが通常の警戒を保っていた場合、恐らくここまで上手くはいっていなかったのではないだろうか。

 シェレールはこの方面の地形はあまり知らなかったが、事前準備や戦場全体を俯瞰し、戦力配分を行ったのは流石である。

 ピエモンテ・オーストリア軍もほぼやられっぱなしだったが、ルカヴィナはかっこいい。ロアノの戦いの後もルカヴィナはモンテノッテの戦いでアルジャントーの部下として戦うことになる。

参考文献References

André Masséna著 「Mémoires de Masséna 第一巻」
デイヴィッド・ジェフリー・チャンドラー著 「ナポレオン戦争 第一巻」
その他