ナポレオンとジョゼフィーヌの出会い
本記事は「ナポレオンとジョゼフィーヌの出会い」について掲載しています。
ヴァンデミエールの反乱を鎮圧したナポレオンは、次の執政を決める選挙での票の獲得に奔走するバラスの開催する夕食会に招かれ、そこでジョゼフィーヌと出会いました。
みすぼらしいナポレオンと華やかなジョゼフィーヌの出会いのエピソードです。
ジョゼフィーヌとの出会い
ヴァンデミエールの反乱鎮圧後、再度の反乱を防ぐためにパリ市民の武器所有を禁止する法令を発布し、刀狩が行われました。
この法令にはナポレオンも署名したと言われています。
1795年10月15日、反乱鎮圧の後処理などの任務を行っていたナポレオンは旧知の有力議員ポール・バラスの主催する夕食会に呼ばれました。
会場はバラスの愛人であり「テルミドールの聖女(Notre Dame de Thermidor)」タリアン夫人のサロン「藁葺き屋根の家」でした。
「藁葺き屋根の家」はその名前からは想像もできないくらい豪奢な邸宅でした。
リラやポプラの木に囲まれ、邸宅の中には三脚台のランプやエトルリアの壺、ギリシャ風の長椅子などが置かれポンペイ風に飾り付けられていました。
◎タリアン夫人の邸宅「藁葺き屋根の家」
この頃のバラスはフランス共和国の新たな指導者を決める選挙のためにパーティーや夕食会などを主催し、新たな支援者の獲得、既存の支援者へのアピール、集金活動を行っていました。
そのためヴァンデミエール将軍の異名を持つナポレオンはバラスの広告塔の1人として呼ばれたのだろうと考えられます。
この夕食会の出席者の証言によると、ナポレオンは当時流行っていた「犬の耳(Oreilles de chien)」と呼ばれる髪型をしており、着ていたフロックコートは素朴でとても惨めに見えたため外見からこの男性が将軍だと信じることができなかったそうです。
※「犬の耳」とは、揃った髪を両肩に垂らした髪型で、ナポレオンは後ろで編んだ毛を背中に垂らしていました。
会場の持ち主であるタリアン夫人は「犬の耳」に隠れたナポレオンの視線の鋭さと服装の貧しさにショックを受けたと言われています。
ナポレオンはこの夕食会でタリアン夫人から、口を大きく開けず微笑みハンカチで口元を隠して話す優雅さ、社交界の礼儀や立ち振る舞い、そしてファッションを兼ね備えた「ローズ」と呼ばれる女性を紹介されました。
※口を大きく開けずハンカチで口元を隠す話し方は、ジョゼフィーヌがひどい虫歯を隠すためのもので、その仕草がジョゼフィーヌに優雅さを与えていました。
ジョゼフィーヌがひどい虫歯だったのは、実家がマルティニーク島でサトウキビ農園を所有しており、幼少時からサトウキビを吸うことが習慣になっていたからと言われています。
ローズの全名はマリー・ジョゼフ・ローズ・タッシェ・ド・ボアルネ(Marie Josèphe Rose Tascher de Beauharnais)であり、近い将来ナポレオンの妻となるジョゼフィーヌでした。
当時のジョゼフィーヌから見たら貧しい服装でみすぼらしいナポレオンは指の端にも引っかからない男だったのではないかと想像できます。
形見の剣のエピソードと昇進の効能
夕食会の数日後、ローズの息子であるウジェーヌ・ド・ボアルネ(Eugène de Beauharnais)は刀狩令で押収された亡き父の剣を返してもらえるようカプシーヌ通りの国内軍本部に赴き直接ナポレオンに訴えました。
ナポレオンは14歳のウジェーヌ少年の行動にいたく感動し、その訴えを聞き入れました。
剣の返却が行われた翌日、母ローズは国内軍本部のナポレオンの元に赴き、息子への同情と亡き夫の思い出への敬意に感謝を伝えました。
この時、ナポレオンはシャントレーヌ通り(Rue Chanteraine:現在のRue de la Victoire)6番地にあるボアルネ家への訪問許可をもらい、これがきっかけとなってナポレオンはローズの元に赴くようになりました。
ですがナポレオンの軍務は忙しく、なかなか訪問できませんでした。
10月25日、ナポレオンは正式に中将への昇進と国内軍司令官の辞令を受け、その数日後、ジョゼフィーヌから手紙が届きました。
◎1795年10月28日、ジョゼフィーヌからナポレオン宛の手紙
「あなたはもはやあなたを愛している友人に会いに来てくれないのでしょう。あなたはその愛を手放してしまいました。あなたは勘違いをしています。私はあなたに愛着を持っています。明日いらしてください。一緒に昼食を食べましょう。私はあなたに会い、あなたのことについてもっとよく知りたいと思っています。おやすみなさい、私の友人。私はあなたを抱きしめます。未亡人ボアルネより」
◎1795年10月28日、ジョゼフィーヌからの手紙に対するナポレオンの返信
「何があなたにこのような手紙を書かせたのかわかりません。私ほどあなたとの友情を望んでいる人はいないと信じてください。私はそれを証明するために何でもする準備ができています。もし私の仕事が許していたなら、私は自ら手紙を届けるために赴いたでしょう。ボナパルトより」
文面から推測すると、ナポレオンはほんの1度か2度ジョゼフィーヌに会いに行き、仕事の忙しさでしばらく会いにいけなくなった。そこへ国内軍司令官の辞令を受け取り、その辞令のことを聞きつけたジョゼフィーヌがナポレオンに目を付けて昼食に誘ったのではないでしょうか。
ナポレオンの戸惑いとぎこちなさが伝わってくるため出会って間もない時期であり、これからお互いのことを知り仲を育んでいくような印象を受けます。
この手紙の後からローズとナポレオンの仲は深まっていき、ローズはナポレオンからジョゼフィーヌと呼ばれるようになります。
「マリー・ジョゼフ・ローズ・タッシェ・ド・ボアルネ」の男性名ジョゼフの部分を女性名のジョゼフィーヌに変えたのです。
ローズはジョゼフィーヌと言う呼び名を気に入ったと言われています。
以降、ローズは徐々にジョゼフィーヌと呼ばれるようになっていきました。